「ポー君の旅日記」 ☆ おしゃれな街・カスカイス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
首都リスボンから列車で30分ほど。
大西洋の青い海を満喫できるお洒落な街カスカイス。写真家けいちゃんは3度目の訪問だった。
地下鉄で、発着駅カシス・ド・ソレド駅に向かった。
カスカイスまで1.25ユーロ(163円)の列車は右手に住宅地、左手に大西洋に注ぐ運河沿いを走る。
「けいの豆日記ノート」から
地下鉄は1年前も自動改札があったけど切符なしでも自由にホームに入れた。
しかし、今はしっかり、切符を通さないと通れないようになっていた。(でも、日本のように厳しくない)
ただ乗りが多かったのかなあ。
そればかりじゃないかもしれないけどね。
地下鉄は4路線ある。どこまで乗っても0.65ユーロ(85円)だもの助かるよ。
名古屋もそうしてくれるとありがたいね。
各駅ごとのホームの壁にはアズレージョのタイル画がある。
みんな違った絵でおもしろい。
すべて、撮影して回っても楽しいかなと思う。
全部で36駅あるけどね。
カスカイスに行った1回目は一昨年の9月23日だった。
12日前にニューヨーク同時テロ事件があった。
時期が悪く迷ったが、初めてのポルトガルだった。ポルトガルは、平和そのものだった。
知り合いの水彩画家に進められてきたポルトガルは、右も左もわからない緊張した撮影旅行だった。
「『カスカイス』を『勝海舟(かつかいしゅう)』とおぼえると忘れないよ。」
と教えてくれたのが、印象的にポーとけいちゃんの脳に焼きついた。
2回目の訪問は昨年の2月2日だった。
けいちゃんの高校の大先輩がカスカイスに住んでいたからだ。
先輩を知ったのは同窓会だった。
卒業以来、初めて出席した会場で出会った。
先輩は20年前よりポルトガルに住み、1年に1回日本に帰ってきていた。
偶然に感謝だ。けいちゃんは神のお導きだと思った。
その5ヶ月後、けいちゃんとポーは先輩の住むカスカイスにあの列車で、向かっていた。
リスボンの駅から先輩の携帯に電話を入れておいた。
「けいの豆日記ノート」から
初めて、公衆電話をかけた。
ガイドブック通りやってみたが、お金がもどってくる。何度も。
近くにいた、駅のおまわりさんに教えてもらった。
番号のメモを見て、小銭入れのお金を指差した。
単に、入れるお金が足りなかったらしい。
携帯だと、金額を多く入れなくてはならず、ガイドブックの金額では、通じなかったのだ。
なお、公衆電話は、故障していることも多いので、注意。
何度も、貴重なお金を吸い取られた。悔しい。
カスカイス駅で先輩が笑顔で迎えてくれた。駅に改札口はない。だれでもホームに入れる。
先輩は20年前、名古屋でバリバリのキャリアウーマンとして、第一線で、活躍していた。
その彼女が会社を辞めリスボンにやってきて勉学し、恋をし、結婚。
もちろん、相手はポルトガルの人だ。
駅舎をでると、波模様にモザイクされた石畳が街に向かって流れていた。
その波紋に乗って散策すると街の中心地だ。
明るくてさわやか。目の前に大西洋が開け青い海と空からの風が心地よかった。
入り江は、まさにリゾート地。ヨットが海面を滑りモーターボートが大きな波模様を描いて飛び跳ねる。
寄港する漁船にカモメが群がる。広場の観光客がテラスで葡萄酒を傾け、笑顔で語り合っていた。
商店街は、ブティックやレストラン、土産物屋が、目を引く。
けいちゃんはカメラのファインダーを覗くのと、ショーウィンドーを覗くのに忙しかった。
「お洒落な街だね。ポー」ご機嫌だった。
カスカイスは古くから漁師町だった。今も新鮮な魚の水揚げが続いている。
レストランでうまい魚介類が楽しめる。
なぜ、リスボンから30分の漁師町がお洒落な町としてリスボンっ子の心を捕らえたのか。
それは、19世紀に王室一家の避暑地となってから注目され、今では国内だけでなくヨーロッパ各地からも観光に来るほどだ。
小さな町の周辺は別荘地が囲んでいた。
高級な広々とした建物が目白押しだ。
日本でも耳にする人の別荘もあったが、手放したらしい。
日本の不景気がポルトガルでもみられた。
今、先輩はポルトガルと日本の架け橋として活躍していた。
カスカイスの町を一時間も歩いて案内してくれた。
「地獄の口」と呼ぶ観光地は大西洋の波が岩礁に打ち寄せ、その波が岩の穴から空に向かって高く吹き出す迫力で観光客を引きつけていた。
観光地はそれだけだった。でも、観光地なんていらない町だ。
町の中をゆったり散策するだけで充分な町だった。
3回目のカスカイスは今年の2月6日だった。
東京にある『倶楽部ポルトガル』の会員になったけいちゃんのもとに小雑誌が送られてきた。
そこに先輩の記事も載っていた。そして、もう一人の投稿記事が飛び込む。
定年後カスカイスに移住しザビエルについて調べているという内容だった。
一週間前、名古屋から、現地に電話し、会うことにした。
彼は駅まで迎えにきてくれ海岸に近い借家に案内してくれた。
一ヶ月13万円のお手伝いさん付きの家だった。
風呂が3つあり、当然トイレも3つだ。
ゲストルームもある。天井も高く、どの部屋も広々としていて明るかった。
日本では信じられない家賃だった。
彼は、仕事の関係でブラジル滞在が長かったため、ポルトガル語ができる。
言葉に困らないのは武器だ。うらやましいがぎりだ。
ポー君は落ち込むが、けいちゃんは元気いっぱいだ。
台所に並ぶ水の買い置きに日常生活をみた。
「水代だけでもたいへんですね。」主婦になっていた。
「横浜に住む家族を呼ぶ」と彼はうれしそうに語る。
定年後、ポルトガルに住みたいという人が、増えているという。
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