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![]() ポー君は、ポルトガルのいろいろなところを見てきたよ。・・・すごいなあ・・・ ポー君は、旅の守り神なんだよ。エッヘン ・・・ほんとかな??・・・飛べないけどね・・・ |
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☆☆干しイチジクとポー君☆☆モンサントの近くの村に行ってみようと思った。交通機関がないので、タクシーを頼んだ。 モンサントの宿の主人と知り合いのタクシー運転手さんだ。 ペーニャガルシアとイダーニャヴェリアという村だ。 ガイド本にも載っていない小さな村だ。 日本からのお土産の安い和風金魚のポーチをあげた。 そしたら自家製のワインと干しイチジクをくれた。 なんか、申し訳ないなあ・・・ 干しイチジクばかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆モンサントの岩山とポー君☆リスボンから、バスで3時間でカステロブランコに到着する。そこから、バスで1時間半ほどでモンサントに到着する。 ただし、モンサント行きバスは、1日に1本か2本しかない。 タクシーを使うと60ユーロくらいである。 モンサントは、ポルトガルの東部、スペインとの国境付近の エストレラ山脈の東にある小さな村である。 モンサントはポルトガルで最もポルトガルらしい村といわれている。 標高約758mに位置するモンサントの村。 モンサントには村のいたるところにごつごつした大きな岩がある。 なかには、200トンの重さをもつ岩もあるそうだ。 この特異な地形から昔は聖なる場所として崇められていた。 ここに住む人々はこの大きな石を利用して家を建てている。 この石は、地中のマグマが雨で冷やされ固まったものが、 後に地上に表れたものだ。 山の上にある集落は、中世の城砦の高い塔が目印となって 遠方からでも一目で分かる事から、敵から身を守る戦略地として 大きな役目を果たしたようだ。 屋根の上にも岩が乗っているね。つぶれないのかなあ。 正確には、上に乗っているのでなく、岩の周りに家を造っているんだって。 岩と岩の間に家を造っているんだよ。 家の壁が岩なんだって。すごいなあ。 岩で、ポー君の家も作れるのかなあ。 ポー君は、岩につぶされてペッチャンコ・・・ダメじゃん・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆バカリュウ・ア・ブラスとポー君☆☆シントラの王宮の横のホテルレストランでランチにした。バカリュウ・ア・ブラスはいつも食べる好きなポルトガル料理である。 このレストランで頼んでみた。 バカリュウ・ア・ブラスの作り方は、干したらとタマネギを炒め、 千切りのフライドポテトを合わせ、卵で溶いた物。 素朴な家庭の味である。 バカリュウ・ア・ブラスの上に干したらが乗っていて豪華である。 値段も少し高かった。 干したらばかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆シントラの王宮とポー君☆リスボンのロシオ駅から列車で40分でシントラに到着する。通勤列車でもあるため、本数が多く列車も8両編成で長い。 リスボンから日帰りで行きやすい場所である。 カスカイスやロカ岬行きのバスもある。 リスボンから西へ約28kmにシントラの町がある。 王宮を中心として豪華な城館や貴族の別荘が点在する。 イギリスの詩人バイロンが「この世のエデン」とたたえた。 美しい景観は、1995年に世界遺産にも登録されている。 19世紀に王室一家の避暑地となってから急激な変化をつげて、有名なリゾート地となった。 ゴシック様式で施された王族の別邸のレガレイラ宮殿が古城のように建っている。 各様式の寄せ集めのペーナ宮殿も建っている。 標高500mの山頂からの展望は、大西洋まで見渡すことができる。 シントラ王宮は、14世紀にジョアン1世によって建てられた夏の離宮。 イスラム教徒が残した建物をディニス王が居城とし、14世紀にはジョアン1世が増改築を行った。 ムデハル、ゴシック、マヌエル、ルネッサンスなどの多彩な建築様式が見られる。 ポー王様もステキな別荘がほしいな。 夏の別荘だけでなく、冬も別荘にするんだ。 別荘は山の中なので、クマがでるのかなあ。 ポー王様、クマに食べられてしまうかもね。 ネズミのように小さくてマズいってか・・・ダメじゃん・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆マクドナルドのシェークとポー君☆☆世界的なマクドナルドは、もちろんポルトガルにもある。大きな都市だけなので、サグレスにもラーゴスはない。 ファーロでは見つけたので、入ってみた。 トイレを借りたいという目的があるからなのだが。 商品を購入したレシートがないとトイレを借りられない。 レシートのバーコードをトイレのドアにピッとするとドアが開くのである。 ストロベリーシェークを飲んでみる。 ポルトガルのカフェではシェークは売っていない。 カフェでは、缶や瓶のジュースをそのまま出すだけだからだ。 まあ、安いからしかたないか・・・ シェークばっかり飲むとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆サグレスの要塞とポー君☆リスボンのオリエンテ駅からAPまたはICに乗り、途中トゥネスでローカル列車に乗り換え4時間ほど、 セッテ・リオス・バスターミナルから、4時間程でラーゴスに到着する。 ファーロからローカル列車で1時間半ほどでラーゴスに着く。 ラーゴスからバスに乗り西へ約30km。 ユーラシア大陸最西南端の町サグレスである。 サグレス岬の突端には、エンリケ航海王子が航海学校を開いた要塞がある。 砂地と未知の大海しか目に入らない要塞の中で、天文学者、数学者、地理学者たちが航海術の研究を行った。 ジル・エアネスのアフリカ・ポジャドール岬到達に続く数々の快挙を成し遂げた。 サグレス岬はサグレスの町と一直線の道路でつながっている。 岬の入口に要塞があり、現在は、博物館になっている。 16世紀に建てられた要塞が岬への入口を遮っていた。 地図上から容易に推察できるように、地中海を出てきた船は、ここで大西洋の北と南に分かれる。 このあたりの港はたとえ小さくても戦略上ででも、為政者が課税する上でも、極めて重要な地点であった。 エンリケ航海王子が航海学校を開いたんだって。 ポー君航海王子も学校を開こうかな。 世界に進出して、世界の王子様になるんだよ。 えっへん。群衆の前で演説をするんだよ。 ポー君が小さすぎて、踏まれてゴミになるってか・・・ダメじゃん・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆アイスクリームとポー君☆☆ラーゴスの市場の近くの店でアイスクリームを買った。グルグル巻きの柔らかいソフトクリームは、あんまり見ない。 ケースの中から専用スプーンですくうアイスクリームの方が多い気がする。 フレーバーが何種類もあると迷ってしまう。 よくわからないものは味が不安なので結局よくある味になる。 店によっては、バラの花ビラのように盛り付けてくれる所もある。 アイスクリームばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ラーゴスの市場とポー君☆リスボンのオリエンテ駅からAPまたはICに乗り、途中トゥネスでローカル列車に乗り換え4時間ほど、 セッテ・リオス・バスターミナルから、4時間程でラーゴスに到着する。 ファーロからローカル列車で1時間半ほどで着く。 ラーゴスは、今やもっとも気候に優れた滞在型リゾート地である。 周辺には、観光、スポーツ、イベント、おいしい料理など満載である。 ユーラシア大陸最西南端の町サグレスへ行く起点となる町でもある。 アルガルヴェ地方のかつての首都ラーゴスの歴史は古い。 紀元前から大西洋・地中海交易で栄え、文化の担い手がイスラム教徒に移った後も、ヨーロッパとアフリカの接点としての役割を果たしてきた。 1434年、アフリカのポジャトール岬に到達したジル・エアネスが船出した町がラーゴスである。 1755年に大地震はラーゴスにも大きな被害をもたらした。 復興が危ぶまれたが、今では国際的なリゾート地に成長した。 見事に南部の中心地として返り咲いた。 ラーゴス駅を降りて、マリア橋を渡り、川沿いのデスコブリメントス通りを歩いていくと常設市場がある。 市場がだんだんなくなっていく中、このラーゴスの市場は健在であった。 1階の魚売り場は、活気があった。 山になったイワシをビニールの袋いっぱいに入れて、さらに数匹オマケしてくれるのでお得感がある。 人気の店では威勢のいい女性が客を引き付けていた。 ポー君も魚屋さんをやろうかなあ。 「いらしゃい。いらっしゃい。魚が安いよ。」 「これとこれをくださいな。いくら?」 え〜〜と。え〜〜と。計算できない・・・ダメじゃん・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆モーニングの果物とポー君☆☆旅のホテルはモーニング付きを選ぶようにしている。モーニングがないと外のカフェで食べなくてはならない。 もちろん料金もいるし時間のロスになるし、おかわりもできない。 ファーロのホテルは、もちろんモーニング付きである。 パンとコーヒーで質素であるが、果物があった。 小さいリンゴは柔らかくておいしくない。 おやつにはバナナがいいかも。 果物ばっかり食べるととデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ファーロのカルモ教会とポー君☆リスボンから、ポルトガル航空の飛行機で40分、オリエンテ駅から特急列車APまたは、ICで3時間から3時間半、 バスでは、4時間程でファーロに到着する。 ファーロはポルトガルの南のアルガルヴェ地方の首都である。 1249年にアフォンソ3世によって再征服されたファーロの町は、 ポルトガルにおけるイスラム勢力終焉の地となった町である。 現在は、イギリスやドイツからの飛行機も発着し、 周辺リゾート地への玄関口としてにぎわっている。 ポルトガルでもっとも春の訪れが早いアルガルヴェ地方は、 1月には、満開になるアーモンドの花に覆われ、 あたりは雪景色のように白く染まる。 アプリコットの花が続き、新緑へと変わっていく。 6月には、ジャカランダの薄紫の花が満開となる。 カルモ教会 Ig. do Carmo は18世紀から19世紀に建てられた。 ふたつの鐘楼を持つバロック様式の教会である。 奥にある人骨堂 Capela dos Ossos は、天井から床まで1575人の修道士の骨で覆われている。 ポルトガルで人骨堂があるのは、ファーロとエヴォラだけである。 エヴォラのサン・フランシスコ教会には5000体もの人骨が壁や柱にぎっしりと埋め尽くしている。 修道士たちが黙想する場として造られたという。 人骨堂は、エヴォラよりファーロのほうが規模が小さいが明るい。 きれいに並んでいると本物の骸骨でなくオブジェのようである。 ポー君も壁の穴に入って並んでみたよ。 ポー君も死んだら骸骨になるのかなあ。 あれ? ポー君って骨があったんだっけ・・・? なんにも残らないじゃん・・・ダメじゃん・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆ビールとスプライトとポー君☆☆アルガルヴェ地方の東端のヴィア・レアル・デ・サント・アントニオは、スペインとの国境の町である。 スペインのアヤモンテまでフェリーで10分の距離である。 4kmの橋でもつながっている。 マルケス・ポンバル広場周辺の道にはオープンカフェが出ていた。 アントニオの町の道は碁盤目にきれいに区切られていて道幅も広い。 オープンカフェで飲み物を頼む。 水を頼むのは悔しいので、炭酸飲料を注文する。 コカコーラ系の飲料は高めである。 ビールでも炭酸でも値段はさほど変わらない。 炭酸ばっかり飲むとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ポルトガル国旗柄の牛とポー君☆リスボンのオリエンテ駅から特急列車のAPまたはICで、3時間から3時間半でファーロに到着する。 ファーロで普通電車に乗り換えて1時間程でアントニオに着く。 アントニオがローカル列車の終着駅である。 ファーロからバスで1時間40分ほどでアントニオに着く。 スペインのアヤモンテまでフェリーで10分で着く。 アルガルヴェ地方の最南東端に位置する。 グアディアーナ川を挟んだ対岸は、スペインのアヤモンテである。 グアディアーナ川はここで、大西洋への河口をなしている。 アントニオ市は、3つの区に分かれている。 この都市は以前より、スペインとの交易で栄えてきた。 1991年にグアディアーナ川上流にスペインへ渡る橋が出来たために、 この都市を中継する必要が無くなった。 その結果、アントニオ市における交易高は激減した。 アントニオ駅前からまっすぐに南に歩いていくとメイン通りと交差する道に出る。 店やオープンカフェが出ているのですくにわかる。 アントニオの町はきちんと碁盤目に区切られている。 マルケス・ボンパル広場では、大勢の人たちがくつろいでいる。 中心の向かってストライブの放射線状の模様の石畳が印象的である。 ポルトガルの店頭で牛のオブジェはよく見る。 雑貨店とサッカー用品店である。 お手軽価格の商品が多い。品質はわからない。 ポルトガルの国旗模様の牛はカッコいいねえ。 ポー君も国旗柄にするかな。 赤と緑の服はクリスマスみたいだねえ。 ポー君はもともとサンタさんだっけ。 かわらないじゃん・・・ダメじゃん・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆干しダラのコロッケとポー君☆☆ポルトガル料理の名物で干しダラのコロッケがある。パシュティシュ・デ・バカリュウ Pasteis de Bacalhau という。 レストランで前菜で出てくることも多い。 バルの惣菜コーナーで売られている。 オビドスのレストランで頼んでみた。 コロッケばかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆オビドスの教会の礼拝堂とポー君☆リスボンのカンポ・グランテバスターミナルからバスで、1時間10分で到着する。オビドスは、カルダス・ダ・ライーニャに行く途中にある町である。 バスは、1時間に1本ほどあるのでとても便利だ。 日帰りも可能なので気軽に行ける町といえる。 『谷間の真珠』とも呼ばれる中世の面影を今に残すオビドスは、 城壁に囲まれ丘の上にある小さな村である。 城壁に囲まれたオビドスの人口は、800人ほどだ。 城壁をくぐると、そこには花で飾られた白い壁の家々があり美しくまたかわいい村である。 オビドスの歴史は古く、ローマ時代に海からの敵の侵入を防ぐため、砦が築かれた。 1148年にアフォンソ・エンリケスによってムーア人の支配が終わると、町に再建が行われた。 1282年にデニス王は、この地を訪れ深く魅せられたイザベル王妃にオビドスをプレゼントした。 1834年まで代々ポルトガル王妃の直轄地、別名“王妃村”(Vila das Rainhas)として栄えた。 サンタ・マリア教会は、1444年に10歳のアフォンソ5世が、わずか8歳のいとこのイザベラと結婚式をあげた教会である。 内部の壁は、全面が17世紀の美しいアズレージョで覆われている。 サンタ・マリア教会の手前にあるのがサン・ペドロ教会である。 その教会の礼拝堂にポー君がいたよ。 ポー君王も5歳で結婚するのかなあ。 わくわく・・・相手はだれなんだろうね。 ところで、ポー君王って何歳なの??? え〜〜〜と〜〜〜 わかんないや ・・・ダメじゃん・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆カフェのガラオンとポー君☆☆トイレを借りるためにカフェに入ることがよくある。たっぷりサイズのガラオンを頼む。 ガラオンはミルクたっぷりのコーヒーである。 熱いのに、ガラスのグラスに入っている。 なぜかアイスコーヒーはない。 もちろん缶コーヒーもペットボトルコーヒーもない。 カフェがたくさんあるから必要ないってか・・ コーヒーばっかり飲むとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ブラガの旧大司教館とポー君☆ポルトのサン・ベント駅から近郊列車で1時間程、バスでも1時間程でブラガに到着する。 本数が多いので日帰りで行きやすい場所である。 「リスボンは楽しみ、コインブラは学び、ポルトは働き、そしてブラガは祈りの町である」という言葉からも明らかなように、 ブラガは、ポルトガルにおいて、信仰面で重要な役割を果たしてきている。 ブラガを中心とするミーニョ地方は、先史時代より人々が居住していた痕跡があるが、鉄器時代には、Bracari人と呼ばれる人々が住んでいた。 彼らは、現在のガリシア地方やポルトガル北部に居住していたとされる。 旧大司教館は、貴重な蔵書を誇っている。 大司教ジョゼ・デ・ブラガンサはポルトガル王ジョアン5世の弟にあたり、 学識がある人物で、邸宅の側面を当時1751年の趣向を取り入れて増築した。 アンドレ・ソアレスの活動初期の設計だといわれている。 庭園には、バラ園になっており、季節の花々がキレイに咲いている。 貴重な蔵書がたくさんあるらしいよ。 ポー君の本もあるのかなあ。 「ポー君の誕生の歴史」「ポー君の秘密」「ポー君の内緒話」 「ポー君の仲間たち」「ポー君の人気話」「ポー君の仕事」 「ポー君の好きな物」・・・etc・・・etc・・・ へへへ・・・まだないよ。今から書くんだけどね。 だれが書くのかなあ・・・ダメじゃん・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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★☆「ポルトガル&?の旅」ポー君の豆日記 ★☆ 〜もっと見たいよね〜 ★☆
☆「ちたろまん」ポー君の旅日記 ☆