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(山腹に広がる緑豊かな町・ラメーゴ)
Portugal Photo Gallery --- Lamego

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ラメーゴ1
丘の上の教会

ラメーゴ2
ノッサ・セニョーラ・ドス・レメデイオス教会

ラメーゴ3
踊り場の彫刻

ラメーゴ4
ワインの里

ラメーゴ5
朝もやの町

ラメーゴ6
市長庁

ラメーゴ7
ラメーゴ美術館

ラメーゴ8
カテドラルの回廊

ラメーゴ9
カテドラル

ラメーゴ10
戦車と教会

ラメーゴ11
うろこ壁

ラメーゴ12
買い物帰り

ラメーゴ13
旧市街への入り口

ラメーゴ14
たずね人は・・・

ラメーゴ15
早朝のお掃除部隊

ラメーゴ16
赤鼻の靴屋さん

ラメーゴ17
皮のギター

ラメーゴ18
焼きたて

ラメーゴ19
看板

ラメーゴ20
七面鳥

ラメーゴ21
アヒルの散歩

☆ラメーゴの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトから、バスで、ヴィラ・レグア乗り換えで3時間半ほどかかる。
古くからこの地方の宗教や商業の中心として繁栄したことを、
16世紀に建設された修道院や18世紀の領主達の館が物語っている。
アフォンソ・エンリケス王がポルトガル初の国会をラメーゴで開いた。
発泡性のワインとおいしいスモークハムがラメーゴの自慢である。

「ポー君の旅日記」 ☆ 山腹に広がる緑豊かな町・ラメーゴ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 4月19日(月)。ブラガンサからラメーゴへの移動日。 予定していた11時発のバスを、早朝6時発に切り換えた。
昨夜、スーパーで調達したサラダ具材を調理(?)していた相棒が『明日は早朝の一番バスでラメーゴに行こう、ポー』と、予定変更はひらめきか。 すんなり決まる。 予定では、バスが1日3本しかなく、昼のバスにしていた。 明日の朝も、雨模様らしいので早く先の旅がしたかったようだ。 ホテルのモーニング付を捨てて、まだ暗い5時10分に、街灯の明かりが石畳を照らす坂道を登ってバスターミナルに急いだ。 ポーの腹がグ〜ッと、鳴った。 相棒がウフッと、笑う。5時30分にバスターミナルに着いたが切符売り場は閉まっていた。 ベンチで相棒はリックからバナナを取り出し、モグモグ。 『ポーも食べる?おなかが泣いて、たよ』 空が少しずつ明るくなってきた。 ブラガンサからラメーゴまで3時間10分かかるようだ。 昨夜、ここで下調べしておいた。

 「けいの豆日記ノート」
 余裕もって早く来すぎて30分も待っていた。 6時になり、やっと、バスが来た。 朝、切符売り場が閉まっていたので、切符を買わずに、バスに乗り込んだ。 バスの運転手さんは、切符がないとダメだといっているらしい。 でも、切符売り場に戻って買う時間はないと判断したのか、そのまま乗せてくれた。 次のバスターミナルで運転手さんは、切符売り場までついてきて係りの人に説明してくれた。 無事に切符を買うことができた。よかったよ。 朝、早く来すぎて、かえってダメだったね。 10分前くらいだっったら開いていたのだろうけどね。 運転手さんが親切でよかったよ。

 ラメーゴまで直通だと信じていた。 乗客は他に3人しかいなかった。ガラガラだったので、席をひとつずらして座った。 それが、失敗だった。写真家はいつものように即、眠りにおちていた。 だから、後の席で文庫本を読んでいた。 どれくらい走ったのか、うとうと眠ってしまった時、運転手に起こされた。 乗換えだと知らされた。 急いで荷物をまとめて降りた。 (ブラガンサから2時間ほど走ってきたヴィラレアルの小さなバスターミナルだった。) 30分後にラメーゴ行きが来ると言う。乗換えなんて、聞いてない!あわててしまった。 仕方なしにベンチに座って待つことにした。 その時、気が付いた。 座席のネットに、ガイド本とポルトガル語の会話本、それに旅の記録帳を忘れたことを。 既に、さっき乗っていたバスは出発した後だった。 ガイド本がないとこれからの旅の情報が停止だ。旅を続ける羅針盤がない。 あ〜あ。予期せぬ出来事は突然やって来るものだ。 ガイド本がない。旅の羅針盤がない。これからの旅に不安が迫る。

 教訓【ガイド本は二冊、持参すること】と知った。でも、悩んでも仕方がない。 こんな時こその『まっ、いいか!』だった。 ブラガンサからの運転手は親切だった。 口ひげで怖い顔だったが心はとろけるほど優しかった。 忘れ物の手配は勿論のこと、任務が終ったのにラメーゴ行きのバスが来るまで待っていてくれて、若い運転手にポーたちの下車駅を指示してくれた。 口ひげの運転手に出発前、相棒は手製の折り鶴をお礼に差し出した。ひげの下から白い歯が光った。
「オブリガード!」と、ポーは運転手に頭を下げた。

 「けいの豆日記ノート」
 ガイド本がないとは、この先、不安だなあ。 普段、慎重なのに、こんな失敗することあるんだなあ。 ポルトガルには日本語のガイド本売っていないしな。 でも、ないものは、しかたがない。 まあ、なんとかなるでしょう。

 ラメーゴまでの1時間はポルトガルの広大さを知らされた。 バスの車窓に展開してくる風景に飽きなかった。 ぶどう畑が急斜面の山肌にしがみつくように耕され、それが走っても走っても車窓に続く。 さすが、ポルトワインの国。地の果てまでぶどう畑のようだ。 ぶどうの芽が出始めていた。その緑がパステル画のように色鮮やかに車窓を飾ってくれた。 綺麗だった。 ラメーゴに着いたのは、雨上がりの午前9時過ぎ。 わざわざ、若い運転手が座席まで知らせに来てくれた。頼まれた約束を守ってくれたのだ。 お礼の折り鶴が1羽、相棒の手から彼に飛んでいった。 ガイド本がないので、まず、トリズモ(観光案内所・インフォメーション)を探した。 地図と資料が欲しかった。カテドラル(大聖堂)の斜向かいにあった。 しかし、閉まっていた。10時オープンらしい。

 「けいの豆日記ノート」
 ラメーゴのホテルは、日本から、ファックスで予約しておいた。 普通、OKの場合、返事がくるのだが、このラメーゴのホテルは返事が来なかった。 再度、確認のファックスを送ったが、やはり返事が来なかった。 だから、予約が通っているのか心配であったが、繁盛期でもないので、ダメなら、ほかを探すつもりでいた。 でも、実際、尋ねてみると、すんなりOKで、心配することもなかった。 返事は、ほしいよねえ。

 まず、頼まれた用事を済ますことにした。 ラメーゴに行くなら届けて欲しいと3枚の写真を預かってきた。 1年前ここに写真仲間の友人が6人組ツアーで来た時写したおじいさんの写真だった。 高台にある城跡の旧市街地に住んでいたという。通りから町を見上げ城跡を探す。 トリズモの脇にある狭い石畳の坂道が城跡に向かって伸びていた。 おじいさんの家の門扉には《3》の数字が書かれている、その写真が手がかりだった。 旧市街の石畳を20分も登っていくと、12世紀に造られたという城跡が目の前に迫ってきた。 狭い路地に建ち並ぶ家々の門扉に書かれた数字を捜す。 《3》の数字が角を曲がったところで眼に飛び込んできた。その家の呼び鈴を押した。 返事なし。もう一度、押す。白髪の老人が渋い顔で戸をあけた。 写真の顔と違う。でも、写真を見せた。老人は黙って隣の扉を指差した。 門扉の番号は《5》だった。ごめんなさい、と頭を下げた。隣の門扉、《5》の家のベルを鳴らす。 女性がふたり出てきた。写真を見せると、困った表情に曇り、手を振る。在宅ではないようだ。 ふたりには笑みがない。でも、帰宅したら渡して欲しいと、写真と友達からのメッセージを渡す。 話せないから、この写真を届けに来たなり行きを細かく伝えられない。 だから、家族の人も写真を届けにこられても、なぜおじいさんの写真なの、と戸惑ったに違いない。 押し渡すように写真は無事、家族に。役目を果たした。 『チヤオ!』と、声を張り上げ家族に別れを告げた。不機嫌そうだ。 あの時、不機嫌だったのは、おじいさんは不在ではなく、亡くなっていたとしたら・・・ 幸せの郵便配達人になりたかったが、雰囲気が冷めて感じられた。 悲しみの後を土足で踏み込んでしまったのではないのか、無頓着に。 意志を伝えられない苛立ち(いらだち)に、そんな自分に腹立たしかった。 何が幸せの郵便配達人だと後悔した。

 「けいの豆日記ノート」
 友人は、おじいさんの家の場所をかなり正確に覚えていて、地図まで描いてくれた。 でも、家がくっついているので家は、勘違いしていたのかもしれない。 日本から、わざわざ、写真を持ってたずねていったのだから、普通、歓迎してくれるものなのだけどね。 友人の手紙はポルトガル語で書いてあったし、状況はわかりそうなのに。 折鶴をあげてもすごく感激されること多いのになんでかな。 ちょっとがっかりしてしまったよ。

 城跡に登った。空が開けた。そこからの展望が暗い気持ちを一掃してくれた。 ラメーゴの町が一望だった。相棒もその景観に気持が吹っ切れたようだ。写真家の顔に戻った。 小さな町だったが、中世を感じさせてくれる風景であった。笑顔が相棒に戻った。 城跡から狭い石畳の坂道を下る。両側に小さな店が列車の窓のように連なる。 チキンの丸焼きの香ばしい匂いが堪らない。 店先から細長く奥深く何千本ものワインが並ぶ酒屋、肉の固まりが店先に吊るされる肉屋、手を振る可愛い売り娘の八百屋など楽しい路地だった。 トリズモに、出た。11時、オープンしていた。 小柄な眼のクリクリした女性が笑顔で迎えてくれた。 観光資料と地図をカウンターにひろげ、熱心に地図を説明してくれた。 ここを訪れる日本人は珍しい訪問客のよう。 相棒は、言葉は判らなかったが、失くしたガイド本のラメーゴ地図が頭に残っているのか『sim!sim!』と返事も軽やか。 奥から、ラメーゴの絵葉書のセットをもってきてくれた。 けっこうりっぱなものだ。
彼女の対応が心地よかったのか、持参していた「愛しのポルトガル・山之内けい子写真集」を1冊あげた。 大きな瞳が更に大きくなって、喜んでくれた。 彼女の名はマリア・ヨゼ・フェレイラさん。アドレスの交換をした。

 「けいの豆日記ノート」
 未知の旅先で優しくされると嬉しいよ。特に、この3時間あまりに起こった事件? 《ガイド本紛失・おじいさん写真》で心が沈んでいたのでマリアさんの優しい対応に心が解けたよ。 どこのトリズモでも、だいたい親切にしてくれる。 特に、田舎のトリズモは、やさしいのでうれしい。 こちらから、なんにもいわなくても、この地域の名所などの場所など説明してくれる。 言葉は、わからなくても、地図に書き込みながらの説明はわかるものなのだね。

 朝食抜きだったので、腹ペコ。 11時半すぎ。トリズモの目の前、カテドラル側に中華店の看板を発見。 看板が呼んでいた中華店に入った。客は誰もいない。 昼にはまだ早い。若い女性が注文に来た。 「ニーハオ!」と言うと、えっ?という顔が笑顔に変わり「ニーハオ!」と応えてくれた。 美味いか不味いかは二の次。奮発した。驚く顔がくずれる。 無理もありません。注文は、海老チャーハン3・5 鳥のあんかけとナッツのチャーハン2・5  モヤシとレタスときくらげサラダ2・5 ワンタンスープ1・3 ジャスミン茶2・0 計11・8ユーロ(1534円)。 眼を丸くするのも当然だ。大奮発だ。 たまにはいいよね。 気がついたらガラガラだった店内が地元の人で満員になっていた。 ラメーゴの人は中華が好きなんだあ〜。久し振りの中華。お腹が空いていたので美味しかった。

 「けいの豆日記ノート」
 中華店は、どこの町にいってもある。 赤い派手な提灯がぶらさがっているので、すぐに中華だとわかる。 安くて、量が多くて、ヘルシーだということが、ポルトガルでも人気のようだ。 昼時には、どこの中華店も満員になる。 ポルトガルで、モヤシが食べれるとは思っていなかったよ。 野菜炒めは、もちろんのこと、サラダにもたっぷりとモヤシが入っている。 普通のスーパーや、八百屋では、見たことがない。 中華専門の店があるのだろうか。 リスボンでは、中華食材店に入ったことがある。 日本のインスタントラーメンなどの食材も売っていた。 値段は、少し高いがしかたないかな。

 店の前はラメーゴのメインストリートだった。マリアさんから貰った地図が役立った。 ありがたい。巾40m、中央が公園になって南北に300mほど伸びたストリートの先は丘。 その丘の上に建っているのが、ノッサ・セニョーラ・ドス・レメディオス教会。 教会までは400mほど急な石段が続く。 その石段を数えて登ったら、557段あった。 石段の途中には、7箇所ほど踊り場があり、そこには見事なアズレージョの壁面が残されていた。 その壁面が楽しみで登りきれた。 隠れた横には、ケーブルカーが作ってあった。 やはり、信仰のない、観光客には、この階段はかなり辛いと思われる。
 教会は大きく壮絶だった。歴史の重みで、迫る。 1771年に完成したバロック様式。まず、ファサード(正面入り口)に圧倒される。 内部では、息を呑んだ。壁面に埋め込まれた天窓のステンドグラスの見事さ。天井のデザイン。 祭壇の華麗さ。それらが、心を溶かすほどの調和で降り注いできた。 何故か、嬉しかった。この国で沢山の教会に出会ってきたが、この教会は心に残った。
 翌朝、4月20日(火)。ホテル「ソラール・ダ・セ」の部屋の窓から、丘の上の教会が見えた。

 「けいの豆日記ノート」
 ホテルの0階はレストラン。1階(日本で2階だが)から上がホテル。 ホテル客の食堂は1階にあった。レストランに下りる階段から焼きたてのパンが運ばれてきた。 お腹をくすぐる香ばしい匂いがたまらない。 3種類のパンにバターとジャムをたっぷりぬって、香りと共に食べた。 おいしい、また太りそうだよ。 普通、食事がまずいとか、水が合わないとかで、痩せて帰るというのがよく聞く話だが、いつも3キロは太ってしまう。 質素な生活しているのになんでかなあ。 パンにバターをたっぷり塗りすぎるのが原因のような気がする。 歩くので、お腹が空いてたくさん食べてしまうからかな。 どこでも適応できる自分が恐ろしい・・・

 万歩計の25322歩の数字を0に戻した。昨日はよく歩いたものだ。 ポルトに帰るバス出発時刻までの2時間を歩き回った。 お店屋さんがあると覗いてみる。 靴の修理をする鼻の赤いおじいさん。 革製品を作るおじいさんはお手製の皮製のギターで生演奏してくれた。 アヒルの軍団を散歩させるおばあさんにも会う。相棒もアヒルに仲間入り。 アヒルとの散歩にご満悦。 七面鳥にも会えた。 白い大理石の墓碑が並ぶ墓地では、生花を飾る中年夫婦に会う。 撮影させていただいたお礼の《折り鶴》は忘れない相棒。その出会いの弾ける笑みがいい。 ポルトガルでもう何羽の折り鶴が舞って行っただろうか。 4回の訪問で、1500羽は下らないと思う。

 今日は、ポルトに戻る予定の日だ。 行きは、バスだったので、帰りは、列車にすることにした。 列車の駅のペソ・ダ・レグアまでは、バスに乗る。 野外バスターミナルのベンチで、6人のご婦人方との《折り鶴教室》が始まった。 時間があれば何処でも「お礼の折り鶴」を作る相棒。それを見て、おばさんたちは教えてと言う。 千代紙を配って、相棒は先生となる。言葉は、いらない。一枚の千代紙があればいい。 紙が鶴に変身。六つの皺だらけの両手から六羽の鶴が誕生していくと、その度に拍手と歓声が起こる。 皺の笑顔が弾ける。バスが来た。

                              *「地球の歩き方」参照*

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