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(虹のカステロ・ブランコ)

こちらの原稿は、「ちたろまん」(178号)に掲載されたものです。
基本的には前ページと同じですが、こちらが、もとの原稿です。

「ポー君の旅日記」 ☆ 虹のカステロ・ブランコ ☆    〔 文・杉澤理史 〕

  

 2003年の2月19日にポルトガルの中央部、ベイラ・バイシャ地方にあるカステロ・ブランコに入ったのは、15日目の夕方だった。
 首都リスボンからバスの旅を続け、あの町この町で夕方を迎えて14日が過ぎていた。 古都エヴォラからバスで3時間20分。写真家けいちゃんはバスの座席がベットだった。 1日2万歩の撮影旅行の疲れがピークにきていたのか、後部座席で眠り込んでいた。 カステロ・ブランコは、スペインとの国境から20キロ余り。 この地方の中心都市であった。 日本から持ってきたガイド本には、「1807年のナポレオン軍による攻撃で町は破壊され、歴史的なモニュメントはあまり残ってない。 現在は旅行者にとってはさほど魅力ある町ではない」と書いてあった。 その町にポー君とけいちゃんはバスに揺られてやってきたのだ。
 バスターミナルから予約しておいたホテル・アライアナまで石畳の道をゴロゴロ重い荷物を転がしての900メートルは 無理と判断し、渋々タクシーを使う。 走行距離の他にバック2個分の料金を払うのがしゃくだった。 4.5ユーロ(585円)がもったいない、そんな旅を続けていた。
 でも、運転手さんはいい父さんという雰囲気で、お互いしゃべる言葉が違ってもなぜか通じ合った。 けいちゃんは降りるとき料金の他に、手作りの折り鶴を添えた。笑顔が来た。 今回の旅も「折り鶴」が何羽も、その町その村の人々の手の中で舞った。 撮影させてもっらた人、旅行案内所で地図をくれた人、ホテルで親切にしてくれたおばさん、 笑顔をくれた小さな子供たちなど、1日に30羽がけいちゃんの手から感謝を込めて飛び立っていった。 そのお礼は素敵な弾ける笑顔でかえってきた。
 荷をといて町に飛び出した。5時を過ぎていた。まず高台に登り、町の外観を知る。 それが基本の行動だった。高台にある城壁。急な石畳の坂道を登った。30分はかかった。 町は厚い雲の下に広がっていた。どの町でも見る煉瓦色の屋根が重なり合っていた。
 暗くなって来た坂道を下った。 昼はエヴォラのバスターミナルのベンチで残り菓子を食べただけ。 腹が減ってレストランで夕食を食べたくなっていたポー君の耳にけいちゃんの明るい声が飛び込んできた。 「あっ!スーパーが」

 (ここからはけいちゃんが書き溜めた「けい豆日記ノート」からの抜粋だ。)
 スーパーを発見。1日1回は外食の予定だったが、スーパーの中を見て回る内にこれでいいかと思ってしまうせこい自分が悲しい。
 マヨネーズでサラダを食べたくて、レタス・トマト・ハム・イチゴを買ってしまう。 750mlの1ユーロワインもポーのために買った。日本では考えられない安さ。 シーチキンらしき缶詰を見つける。安かったので買ってみる。 ハムのパック詰め売り場で、『量が少し多いな。』と考えていると計り売りで買っている人を発見。 『どのくらいの計り売りでハムが買えるのかな。』と客の様子を観察。 5枚買う独身男性らしき人がいた。で、皆が買うハムをちょっとずつ買ってみることにした。 はじめ『2』と指で示したら200グラムと間違えたらしくハムをたくさん秤にのせようとするので、 「ちがう!2枚!」といったら2枚だけ計ってくれた。 1枚の大きさが油あげくらいあった。 肉係りのお姉さんに申し訳ないので、お詫びに折り鶴をあげたらにこやかになった。
 ホテルの部屋でサラダをつくる。 レタスをちぎって山盛りにして、トマトスライスとハムとシーチキンそれにイチゴを盛り付けてマヨネーズをたっぷりかけた。 さっぱりとしたマヨネーズがおいしい。 レストランのオリーブ油とビネガーだけでは何か物足りなかったから。 満腹になった夕食だった。 『残ったレタス半分とトマトは明日にまわそっと。』
 ということは、明日もサラダのみかな。 でも、やっぱりサラダは作って食べるにかぎるよ。

 と言う具合だ。けいちゃんのお疲れ解消法はサラダもりもり食いだった。 ポー君は、130円のワインを飲みながらお手製のサラダで腹を満たした。 シーチキンが入っていたのでおいしかった。 明日の夕食もサラダだけか、とフト思った。
 万歩計を今夜も見た。けいちゃん18826歩。ポー君18322歩だった。 2万歩に及ばなかったのはバス移動があったからだ。
 (翌朝はバスが1日1便しかない石の村・モンサントに午前中いったが、 この村の話は、後日のお楽しみに)
 そのモンサントからカステロ・ブランコに戻ったのは、昼の12時だった。
 ホテルに戻ると30分ほどで洗濯物が部屋に万国旗なみに吊るされた。 こまめに洗濯をしていくのも旅の術だった。荷物は少なめに。 計画的に持ち物を持参してこないと苦労して運ばなくてはならないのは自分なのだから。 ホテルを出てなだらかな石畳の坂道を3分ほど下ると小さな広場があった。 昼飯のレストランを捜していたけいちゃの収穫はカフェだった。 ピザとハンバーガーに小瓶のビール・ファンタで、6.25ユーロ(812円)が昼飯だった。 安くてでかいのが嬉しい。20代の若者が多かった。
 店を出て坂道を登り、30分ほど歩き宮殿庭園に行く。 刈り込まれた庭園に50体ほどの石像が立ち並んでいた。 シャッター音が庭園に流れた。小雨が降ってきた。 オレンジが実る木の下で雨宿りだ。

 (「けいの豆日記ノート」を覗いてみると・・・)
 20メートル先に修道院が見えたんで走った。 雨宿りのつもりで入り口を入っていくとおおきな男の人がいた。 「日本から来たカメラマンです。」とポーがいうと大男は笑みを浮かべ厚い重そうな扉を開いて中を見せてくれた。 普通は見せてもらえない所を案内してくれたようだった。 この修道院に残された貴重な品が並んでいる。 「ありがとう」と言った言葉の響きが気に入ったのか大男は「アリガトウ」を何度も繰り返して声に出した。 なぜか、うれしい。

 外に出たら雨はやんでいた。雨宿りしたのは、グラサ修道院だった。 もちろん、お礼の折り鶴を忘れなかった。
青空が見えてきたので、昨日登った城跡に息を吐きながら撮影をしながら40分もかけて再び登った。 青空のある町の俯瞰が撮りたかったからだった。昨日見過ごした白い花が咲くアーモンドに春を感じた。 そして、また雨が激しく20分ほど降った。カメラマン泣かせの天候だった。しかし・・・!

 (ここでまた「けいの豆日記ノート」だ。)
 雨が降ると寒くなる。さっきまでフーフーと登ってきたので熱く上着を脱いだのにまたしっかり着る。 雨が東の方からあがって日が差してくるのがよく見える。 すると、どうだ。虹が現れた。 晴れてくるところが近づいてくると、虹がだんだんはっきり大きく輪を作っていく。 半月の反対側にも虹の端っこがみえてきた。時間と共に上の方がつながって半円になっていくのだ。 「すごい!」こんな虹見たことないよ。 よく虹の架け橋、というけど本当に橋のよう。渡れそう。 35ミリのレンズでは全部はいらない。とてもとても大きな虹。はじめてみたよ。 十数分で、虹のショウは終わって東の方の出始めの虹から消えていく。消えるのは早い。 高台の城跡だからこそ、端から端まで見えたんだと思う。 苦労して登ってきてよかった。雨に感謝しなくちゃね。

 けいちゃんの夢だった。 日本とポルトガルの『夢の架け橋』に写真でなりたいと言い続けていたからだ。 そんな『虹』をカステロ・ブランコで、けいちゃんは見た。

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