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(大理石の町・エストレモス)
Portugal Photo Gallery --- Estremoz
☆エストレモスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ファーロから、6時間半、エヴォラから、1時間半のところにある町。
ゆるやかな丘陵の上に建つ城壁で囲まれた町は、陶器や、土人形で有名である。
中世のままの塔と壁のある「上の町」と人々の生活の場の「下の町」から、成っている。
半日くらいで歩ける、小さな町である。
郊外には、大理石の採石場が、多く存在している。
「ポー君の旅日記」 ☆ 大理石の町・エストレモス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
《北海道ほどの面積しかないポルトガルで6時間半のバスの旅をした。
南部のリゾート地ファーロから北に250キロほどバスで走ると城壁に囲まれたエストレモスの町があった》 2時間走って1回目の休憩。街道のレストランがバス停だった。 15人ほどが降りて飲み物や菓子などを調達。なにも手にしていないのはトイレ組か。 相棒は停車時に一瞬目覚めたがそのままだった。 コルク樫(かし)の木が植えられた草原が点々と1時間ほど続く。 2回目のバス停は街道から5分ほど入った小さな町であった。 一人の若い女性が降りて、三人のお年寄りが乗り込むとバスは街道に戻り、更に北上した。 雲間からこぼれる陽だまりの中に、羊の群れが浮かぶ。 『きれいだね〜』車窓を眺める相棒のお目覚めの顔があった。 そして、ペットボトルのお茶を美味そうに飲んだ。 水のボトルに、日本で行きつけの回転寿司からいただいてきた緑茶袋を2つ入れ、昨夜作っておいた「お茶」だった。 『お茶は日本茶にかぎるね!』と目覚めの相棒。 (麦茶の紙パックも用意していた。ポーには考えられない技だ) 『後、どのくらいかかるのかな〜』と2時間ほど眠っていた相棒。 「3回目のバス停がテクノビアという小さな町で、そこを発ったのが10時25分。 まあ、後4時間はかかるとおもうよ」とポー。 『・・・おなか、空いたね〜』 朝食は昨夕、スーパーで買った残りのパンをファーロのバス待合室で食べたきりだ。 腹が減っているのも無理もなかった。 「ゴマ煎餅で一時かせぎ、だね。昼はたらふくと願いたいね」 「けいの豆日記ノート」 4回目のバス停はやや大きな町ベージャ。乗り込む人が多かった。 11時15分に発って1時間余りまた草原を走り抜け、5回目のバス停に着いた。 エヴォラのバスターミナルだった。12時15分。 車内アナウンスが終るとざわざわと乗客が降りだした。 2階の窓越しに、楽しげに下車して行く人々を眺めていたら、パンチパーマの運転手がやってきて何かしゃべる『△□☆><?』降りろと言っているようだ。 荷物を持ったら、そのままと言う感じ。『乗り換えじゃないよ、これは』と相棒。運転手に従ってバスを降りた。 バスに鍵をかけて運転者は指一本あげ、そして食べるアクション。 『一時間の昼飯時間なんだよ、ポー』と相棒が微笑む。 未体験にわくわくだ。まさか、昼になったらバスから全員が下車してランチタイムとは。 バスターミナルから足早にパンチパーマが出て行くのを相棒が目撃。 『ついて行こう、ポー!きっと行きつけの食堂よ!』写真家の眼だった。 白い壁沿いの石畳をパンチ君が煙草を吸いながら急ぐ。後を追った。 《SICAL》 と書かれた薄汚れた看板がかかった小さなレストランに入った。 相棒の勘はドンピシャ! 間口は狭かったが店内に入ると奥が深い。しかも客がいっぱいだ。 テレビ番組はお笑い番組か。天井から吊り下げられたテレビを見ながら客が笑いながら食事中だった。 隣の席に料理を運んできたおばさんが相棒の顔を物珍しげに見て『ジャポネーザ?』相棒は『sim!』と答え、おばさんが持っている料理を指して『um(ひとつ)』と注文した。 パンチ君がこちらを見て微笑んでいた。後をつけていたのを知っていた顔だった。 予想通りパンチ君は美味くて安い店にご案内。けいちゃんの大勝利だ。 料理は一皿に、炒めライスに揚げたポテトと豚肉が山盛り。二人で充分の量だった。 それに、ビールとファンタで7ユーロ(910円)。満腹だった。 「けいの豆日記ノート」 13時15分エヴォラを出発。バスに乗るとき相棒がパンチ君に折り鶴を1羽差し出す。 俺にくれるの、という表情が笑顔になった。 ここで、運転手が交代だ。 また、バスは草原を走り抜けた。40分ほどでゆるやかな丘の上に〔白い町〕が見えてきた。 そこが6時間半の大移動の終着〔エストレモス〕だった。 バスは、まだまだ北上する。 (バスターミナルから500メートル、石畳をガラガラ音たてて重いバックを転がした。
広場にはテント張りの店が並び、音の発信元のポーをおばさんたちが見送ってくれた) 「けいの豆日記ノート」 荷を解き、町に飛び出した。14時半が過ぎていた。 トリズモ(観光案内所)のマークが眼の先にあった。地図と観光パンフをもらう。 パンフは辞書で長い時間かけて、読む。 ポーの仕事だった。(正直、三分の二以上は、判読不明!だ)だから、頼りはガイド本。 でも、情報をすべて信じてはいけない。時は刻々流れているのだから。 しかし、旅人にとってガイド本は、旅の羅針盤だった。 ポーの羅針盤は《地球の歩き方》。初めてのポルトガルの旅以来、持参する羅針盤の本だ。 こいつを信じないと、先に進めない。 (こいつを信じて4年間、旅を続けているが、もう少し宿泊情報が欲しいと思うけど。 2004年、旅の途中でこの羅針盤をバスに忘れ、その後の旅を続けるのに難儀した。 教訓・羅針盤は二冊もって行け!だった) 《エストレモスは二重の城壁で囲まれた中世の雰囲気にあふれた町であった。
一つ目の城壁の中は、ロシオ広場を中心にした「下の町」と呼び、ホテルやレストラン、カフェ、商店、住宅地で占められた生活空間。
二つ目の城壁の中は、13世紀以来ほとんど変わっていないといわれる「上の町」と呼ばれている空間だった》 「けいの豆日記ノート」 ここからの展望は、王様になった気分だった。「下の町」の大パノラマ。 白い壁の上にオレンジの屋根が連なる景観が心を打つ。その町並みの先には緑の草原が延々と続く。 支配していると言う実感に酔う。これが、支配者の虚構か。素敵な支配風景だった。 それほどの、美学を見せつけられた景観でもあった。 その景観を見下ろす像に出会った。バラを両手の中に包み込むイザベル像だった。 イザベルはスペインから迎えられた王妃であった。 伝わる話では[王妃は城からパンや金貨を持ち出しては下の町の貧しい人たちに日々与えていたという。 ある日、王に見られたイザベルは観念して両手を広げた。金貨やパンがバラの花に変わっていた・・・という] サンタ・イザベル像は淋しげに、輝いて「下の町」を見下ろしていた。 サンタ・イザベル王妃の礼拝堂には、壁一面にイザベルの奇跡や生涯がアズレージョ(タイル画)で描かれていた。 歴史の中で生きた女性はポルトガルだけではない。 今年の、大河ドラマ「義経」の中で日本の女性も、時代の流れの中で可憐に自我を失うことなく生きていた。 イザベルの像から狭い「上の町」の石畳の路地を歩いていたら、小学生の一団に出会った。 自分の町の歴史を学ぶ「下の町」の子供達が母親同伴で社会野外学習中だった。 自分たちが住む町の歴史を文字の上でなしに実写の学習だ。子供達の目がキラキラ輝いていた。 大昔の自分を思い出させてくれた。城跡の端まで昇ると、羊の群に出会った。 30匹以上の羊が「下の町」を見下ろす高台のわずかな牧草地で飛び回っていた。 キリスト画に出てくるような、羊たちだった。 羊の光景を見た後、小さな郷土博物館を見つけた。1・03ユーロで入館。
この地の歴史博物館だった。エストレモスの民芸品である土人形が眼に飛び込んできた。
色彩豊かな可愛い土人形の行進だった。ポーは相棒の姿を探す。 「けいの豆日記ノート」 博物館を出て、店先に陶器を干している青年に会う。 店の中に入ると何故か見慣れた器にあった。急須だ。 ポルトガルに来て急須を作る陶芸家に会ったのは初めてだった。 彼は、5年前、愛知県の陶芸の町、常滑で3年間修行していたという。 ポーも常滑で、趣味で土いじりをしていると言うと、眼を輝かせた。 ホームステイで1年間、常滑で生活した後、二年間残って陶芸に励んだと言った。 日本に来たら常滑の隣町に住んでいるから連絡してくれとアドレスを渡した。 ホームステイを受け入れる約束をして別れた。彼の笑顔が残った。 犬に、会った。名前はゴン。ゴンザレスの略?写真家が勝手に決めた名前だ。 石畳の道に干された洗濯物の生活感をカメラに収めていた時、相棒がゴン?を発見した。 前足を踏ん張り、何かを守っている雰囲気が彼?にはあった。近づいて、見た。 ゴンの後で赤土を煉っている男がいた。こちらも陶芸家か。 「けいの豆日記ノート」 「上の町」を歩いていての発見があった。石畳が大理石なのだ。 白を始め鼠色や黒などの大理石がふんだんに敷き詰められた石畳だった。 ポルトガルの石畳を各地で歩いてきたけれど、大理石は初めてだった。 小雨に濡れる大理石の石畳を歩いてみたいと思う。 夕食は「下の町」のスーパーで調達。トマト・チーズ・いちご・ パン・ウイスキー・水・菓子で8・43ユーロ(1096円)。 『ポーのウイスキーが高かったかな、でも3ユーロ、400円もしないけれどね』と相棒。 その夜、相棒は大理石の風呂に入れてご機嫌であった。 エストレモス2日目(2月13日)の朝。 窓を開けたら白い霧が流れ込んできた。目の前はロシオ広場。 その白い空間を眺めていたら霧が割れて教会の建物が逆光の朝日の中に浮かび上がってきた。 『わ〜お!神秘!』つぶやきながら、シャターを相棒は切り続けた。 神からのプレゼントだった。 朝食は下のカフェに用意されていた。ホテル宿泊者は我らだけ。 でも、店内は常連客でいっぱい。 通勤前の人々がコーヒーで焼きたてのパンを食べながら新聞を読んでいる。 3種類の焼きたてパンの香りはたまらない。『おいしーい!』相棒の笑顔が弾けていた。 外に出たが霧は消えていなかった。公園の常設露天商の働くおばさん達を撮らせてもらう。 勿論、お礼の《折り鶴》は忘れない。 折り鶴を手のひらにのせて見つめる笑顔がたまらなくいい。 「けいの豆日記ノート」 「下の町」に戻りホテルのレストランで昼を取る。
お世話になったオーナーに《愛しのポルトガル写真集》を贈る。
身体も心もまんまるなオーナーがページを開き感嘆してくれた。笑顔が弾けた。
13時25分発のバスでエルヴァスに向かった。
途中の車窓から大理石を発掘する大規模な現場が見えた。露天掘り工法だった。
ポルトガルは大理石の生産地だったのだ。
石畳に惜しげもなく大理石が使われ、墓地は大理石の碑で埋め尽くされている謎が解けた。
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