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(初代国王誕生の町・ギマランイス)
Portugal Photo Gallery --- Gumaraes

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ギマランイス1
グリーンのじゅうたん

ギマランイス2
冷え込む朝

ギマランイス3
鐘がなるなる

ギマランイス4
国王が生まれた城

ギマランイス5
ブラガンサ公爵館

ギマランイス6
そびえる城壁

ギマランイス7
セント・アントニオ教会

ギマランイス8
オリベイラ広場

ギマランイス9
サンタマリア通り

ギマランイス10
路の上の家

ギマランイス11
きょうは社会見学

ギマランイス12
アーチをくぐる

ギマランイス13
オープンカフェ

ギマランイス14
テントテント

ギマランイス15
市場の主

ギマランイス16
市場の花園

ギマランイス17
なかよし

ギマランイス18
ブックギャラリー

☆ギマランイスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ギマランイスは、初代国王が誕生した町として知られている。
アフォンソ王が生まれた城などゆかりの史跡も多い。
裏道に続く家並みは、歴史に取り残され、味わい深いところばかりだ。
ポルトから、バスで1時間。バスターミナルは、巨大スーパーになっている。
近代化は、どこにも押し寄せている。

「ポー君の旅日記」 ☆ 初代国王誕生の町・ギマランイス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 《2004年4月中旬のポルトガル北部、コスタ・ヴェルデ地方は寒かった》
 ポルトガル第2の都市〔ポルト〕の空港に着いたのは深夜だった。 4月15日(木)日本との時間差は9時間。時計の針を左に9時間戻す。 いよいよポルトガルでの生活が始まると思うと心が踊った。 0時を過ぎていた。 予約しておいたホテルにタクシーで向かう。 ライトアップされたポルトの町が車窓を飾る。 光に浮かび上がった建物群に胸が閉めつけられる感動が2年ぶりによみがえってきた。 25分間が幻想的であった。着いたホテルは「ペニンスラール」。 2年前の1月に来た時に泊まったホテルはとても豪華で安かった。 今回も泊まりたかったが、シーズンはじめの4月の料金は倍であった。 シーズンとシーズンオフの値段がこんなに違うなんてびっくりだった。 しかたなしに、旅に便利なサン・ベント駅まで歩いて3分の安いホテルを旅の起点にした。 タクシーが着いた今回の宿は深夜のせいもあってひなびて見えた。

 「けいの豆日記ノート」
 タクシーの中で、「観光案内しようか」というようなことをさかんに運転手はいっていた。 電話番号の書いた紙をくれようとしたが、「いらない」と断ってしまった。 で、降りる時の料金が30ユーロ(4140円)。 深夜料金と荷物料金をくわえて高くても15ユーロくらいのところだ。 これは、絶対に吹っかけられたなと思い、20ユーロ渡して、さっさとホテルに入った。 それでも、損したなあ。 とりあえず、電話番号の紙だけでも受け取っておけば、普通料金だったかもしれないな。
はじめから、ついてないなあ。

 フロントの中年女性は真夜中ご到着にもかかわらず笑顔で迎えてくれた。 記帳もなしに301の鍵をくれた。 FAX予約の日本人を本当に来るのかと待ち構えてくれていたようだ。 その顔に、ああ、これで寝られると思った節が見て取れた。手動エレベーターで4階へ昇る。 4階だから日本的には部屋の鍵番号は401だが、こちらでは1階が0階なので4階が3階になる。 だから、4階の301号室は3階だった。部屋は広かった。日本的には10畳はあった。

 「けいの豆日記ノート」
 この笑顔の秘密が後でわかった。 FAXで申し込んだときに、クレジット払いでの申し込みだったのだが、 6泊のうちの3泊分をすでに引き落とされていたのだった。 そうとは知らないので、このホテルは後払い制なのかとかってに思ってしまった。 3日後、泊まる前に残り3日分の料金を請求されてはじめて料金のしくみがわかった。 初めての客を簡単に信じるほど甘くはないのは、当たり前のことだが、 かってにクレジットで引き落としされてしまうことにはびっくり。 これは、気をつけないとね。

 窓を開けると冷たい空気が流れ込んできたが、心地よかった。 対面の建物はオフィスだった。まだ、仕事をしている姿が窓越しに見えた。 ポルトガルのサラリーマンも頑張っていた。

 翌朝、4月16日(金)。モーニング食をたらふく腹に収めてホテルから飛び出した。 ゲゲゲ!あまりの寒さに驚いた。
4月中旬だから、もうポルトガルは暖かいと決め付けていた。 大誤算!一発くらった心境だった。 道行く人たちは革ジャンパーや厚手のコートを着ていた。 そんなサラリーマンがサン・ベント駅に白い息を吐いて急いでいた。 半袖姿の相棒、写真家けいちゃんは叫んだ。『ウッ、ソー!』 部屋にとんぼ返りした相棒は、あせった。 長袖は1枚しかない。半袖を重ね、雨具の長袖まで着込んだ。 モコモコ!姿。今や少しばかりのおしゃれは論外だった。 悲壮なあり合わせの着こなし姿であった。 『ポー、わたしを撮るなよ!』厳しいお達しが発令された。 ポーは、撮るのを、ご遠慮した。

 2年ぶりにポルト市民の台所〔ボリャオン市場〕に向かう。 会いたい人たちがいたからだった。『どきどきするね!ポー』と嬉しそうに相棒が微笑んだ。 『覚えていてくれるかな〜』写真展で発表した市場の人たちとの再会であった。 市場に入る前に、モコモコ姿が気になったのか、市場の隅っこで雨具を脱ぎ、半袖を二枚脱いだ。 石畳の坂道を20分ほど歩いてきたので汗ばんでもいた。 『あ〜、すっきりした!』2年ぶりの再会に、ちょっぴりおしゃれがしたかったに違いない。 個展で発表したタイトルの《看板娘》の八百屋に、まず向かう。 市場の中は、朝9時。相変わらず賑わっていた。 女達の楽園であった。売り手も買い手も、女達。 その活きのよい声が2階建ての市場の100店舗ほどからこだましていた。
なんて素敵な空間だろうか。胸がわくわくした。 あの八百屋の店先で、相棒は持参した2Lサイズの「娘」の写真を見せた。 『リナ、リナ!』と叫んだのは母親だった。

 「けいの豆日記ノート」
 市場も店も、2年前と変わっていなかった。 おかあさんが『あの時の日本人ね!鶴、鶴!』と叫んでくれた。 撮影のお礼にあげた折鶴を覚えていてくれた。 写真を持って市場の仲間に見せて回ったので人々の輪ができた。 看板娘は今年から学校に行っているので会えなかったけれど、覚えていてくれたのがとても嬉しかった。 涙が出てしまったよ!
《寒い朝》のオレンジ売りのおばあさんにも会えた。 あの時より少し老いて見えたが笑顔は写真のままだった。 その写真を見てはずかしそうに笑っていた。 《人気の魚屋さん》のおばさんは店から飛び出てきて、頬にキスしてくれた。 写真をじ〜と見て今度は抱きついてくれた。魚の匂いがしたよ。でも、嬉しかった。 《私の売り場はここよ》のテーブルクロス売りのおばあさんの姿はなかった。 小さな丸椅子が、あの通路の角にポツリとあった。 今日は寒いから暖かくなった頃に《丸椅子の店》にご出勤なのかも知れないと思う。

 予定通り、12時のバスで北東にある〔ギマランイス〕に向かった。 1時間後、2年前に雨の中を歩いたポルトガル国王生誕の地に着いた。 大型スーパーに併設したバスターミナルが懐かしかった。 『雨でなくて、よかったね』と相棒は嬉々として狭い石畳の坂道を町の中心地オリベイラ広場へ急いだ。 2001年に世界遺産に登録された中世の町だった。
中世の家並みに挟まれた狭い道をバスターミナルから20分ほど歩くと急に視野が広がる。 そこはトウラル広場といいレストランやカフェで賑わっている。 「ここにポルトガル誕生す」と壁に刻まれている。

 「けいの豆日記ノート」
 2年前にもギマランイスにきたけど、雨だった。 雨の中の霧の教会もよかったけど、やはり、雨だと気分がのらないんだよね。 カメラが雨に濡れるかと思うと、出すこともできないよ。 水に弱いのはしかたないよね。 今回は、曇り空。 空が青くないのは、残念だけど、雨よりいいかもね。 教会前の植え込みの緑があざやかできれいだったよ。

 その左手に広がるのが中心地オリベイラ広場だった。 広場に面してノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会がある。
ロマネスク様式とゴッシク様式が混合した教会だった。 1342年、ムーア軍を破ったサラードの戦いの勝利を記念して建てられた。 ファサード(玄関)の完成と同時に目の前にあった枯れたオリーブの木から芽が吹き出したという。
それ以来、オリーブの木の聖母教会と呼ばれ、信者が絶えないそうだ。 こんな伝説があっても不思議ではない、そんな雰囲気があった。 教会内部の壁面に展開するアズレージョ(タイル画)には、圧倒された。 オリベイラ教会の壁面アズレージョには驚いた。 ポルトのサン・ベント駅構内の大きな壁面アズレージョを見たときは感嘆したけれど、ここの青彩色には息を呑んだ。 心が洗われるようだ。 太陽光線に直撃されずに保存されていたんで、青い色彩の美しさが色あせなかったらしい。 なんか、得したみたいだった。こんな青彩色はなかなか見られない。 2年前は雨が激しく早々に引上げたから寄る機会がなかった。 でも、今回は入った。神様に感謝だ。

 「けいの豆日記ノート」
 公園とか、教会の横に、ピンクのようなムラサキのような花が咲いていた。 1月は、『アーモンド』の花が咲いているのは、前に来た時に見た。 桜かと間違えたくらい、そっくりの花だったよ。 このピンクの花は、なんの花なんだろう。 6月にポルトガルに行った人に聞いたことあるが、ムラサキの花が満開でとてもきれいだったらしい。 『ジャカランダ』というらしいが、その花なのだろうか。 今は4月なのに咲いているのは、ちょっと早いので、違う花なのだろうか。 (という疑問を持ちつつ、日本に帰ってから、ネットで知り合ったポルトガル在住の人に聞いて、それが『ジャカランダ』であることがわかった。) 早咲きのジャカランダだったのかな。その場で聞けない自分が悔しい・・・言葉が・・・

  腹が減った。2時を過ぎていた。 『ポー、お昼にしようか』ナイスタイミングだった。 レストランは周りにいっぱいあった。何処に入るのか、楽しみ、だった。 相棒は赤いベンチが連なる公園に入っていき、ベンチにハンカチを敷き座った。
『立ってないで、座りなよ』嫌な予感がした。 リックから紙包みを、出した。開いた。おにぎりが4個、あった。 『はい、おにぎり。ふたつずつ。鮭と梅だよ』おにぎりがランチだった。 昨夜、ルフトハンザの機内食で出してもらったおにぎりだ。
でも、ポーも相棒も食べた。残っているはずがない。 しかし、目の前にはさん然とある。な〜ぜだ〜あ? 『余っても困るでしょ。で、頼んだら日本人のスッチーがくれたのよ。さっ、感謝して、食べよう!』 唖然、茫然、これ、にぎり!だった。スッチーさん、美味しくいただきました!

 オリベイラ広場から北にある城に向かう。 狭い狭い路地のサンタ・マリア通りは庶民の生活の香りがした。 14世紀からほとんど変わらないというこの通りの両側は中世にタイムスリップした民家が連なっていた。 そこを抜けるとブラガンサ公爵館のレンガの煙突が青空に向かって突き出す景観に出会う。 15世紀の初めに建てられ、今は国賓などの接待に使われているそうだ。 更にゆるやかな坂を登っていくと紫の房を垂らした藤の花が咲き乱れ、桜の花びらの先に10世紀の城がある。 ポルトガル初代国王、アフォンソ・エンリケスが生まれた城だ。

 「けいの豆日記ノート」
 城門を入ると28mの高い塔がある。塔に登る急な石段が迫る。 手すりもない急勾配。腰が引けたよ。 一歩一手、這うようにポーにガードされながら、町の俯瞰撮影がしたいばっかりに命をかけたよ。 ギマランイスの一望だ!樹木が多い町だと知らなかった。 高いところは登ってみるもんだね、登るより降りるほうが怖いけれどね。 城壁の上は狭い通路になっていて周囲が眼下に広がっていた。 ファインダーの中に白い世界が飛び込んできた。テントだった。 城の裏の公園が野外市場になっていた。もう、ラッキー!のワクワクもの発見の巻き、だね。

 市場大好き人間の相棒。人に会えるからだった。 市場はその地の顔があった。 今まで、ポルトガル各地の市場を20箇所以上も見てきたがそれぞれ雰囲気や人柄が違っていたし、その地の生活の香りがあった。 この野外市場は毎週木曜日に開催されていた。 各地を流し歩く行商人が同じであっても買い手は地の人だ。 その地の人に会えるのが相棒の目的だった。 公園いっぱいに埋め尽くされたテント張りの店はほとんどが衣料品だった。 いろんな色のブラジャーが花園みたいに店先に吊り下げられている。 それは、一枚の絵画だった。撮影をしていた相棒の足が止まった。 巾2mほどのポルトガル国旗の前だった。 7ユーロを5ユーロに負けて貰い、買った。 『今度の個展の時に飾ろうよ』相棒の笑顔が弾けていた。 国旗は、縦に2色。左が緑で右が赤色。その境に紋章だ。 緑色は誠実と希望、赤色は新世界発見のため大海原に乗り出したポルトガル人の血を表し、 紋章は天測儀でイスラムから奪い返した7つの城とポルトガル王を表す5つの楯。 それが、ポルトガルの国旗だった。

 「けいの豆日記ノート」
 オリベイラ広場に戻り東側の旧市街を取材中に白い帽子をかぶった小学生の社会見学の一団に出会った。 勿論、追いかけたよ。 歩くのが早いのでシャターチャンスを逃がす。先回りして、待つ。 子供たちはそれが面白いのか嬉しそう。でも、いい写真を撮れたよ。 先生は迷惑そうだったけれどね。ありがとう!

 坂の石畳を下ってバスターミナルでポルトまでの乗車券を買う。 バスが来るまで、併設の大型スーパーで夕食の調達をする。 レジが60箇所はあった。 2年前に来た時、あんまり大きなスーパーなのでびっくりした。 どの町にも郊外にいくと、巨大スーパーがある。 中世の町並みの外には、近代化が押し迫っているのだ。 相棒は、スーパーが大好きで、時間がかかってしかたがない。 やっと決めた買い物は、苺5個0.39、 オレンジ2個0.48、レタス1個0.55、トマト2個0.39、 シーチキン0.62、ワイン1瓶1.29、水1瓶0.24、計3.94ユーロ(512円)。
 今夜の自家製サラダの豪華な夕食?が約束された。                    *「地球の歩き方」参照*

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