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ポルトガル写真集(近郊住宅地・アマドーラ)
Portugal Photo Gallery --- Amadora

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アマドーラ1
アマドーラの新名所

アマドーラ2
博物館

アマドーラ3
住宅地

アマドーラ4
忍者市場

アマドーラ5
アマドーラ駅

アマドーラ6
マトリズ教会

アマドーラ7
日曜学校

アマドーラ8
神父様から

アマドーラ9
次はだれかな

アマドーラ10
表彰式

アマドーラ11
ぼくのハスキー

アマドーラ12
帰路は報告会

リスボンの5月1日コンサート

リスボン25
民俗大会

リスボン26
出番待ち

リスボン27
白い衣装

リスボン28
セッション

リスボン29
ギタリスト

リスボン30
ハトも観客

リスボン31
祖国の歌

リスボン32
コーラスグループ

リスボン33
なごむ笑顔

リスボン34
おしゃぶり

リスボン35
自慢の足

リスボン36
旅人

リスボン37
陶酔

リスボン38
まぶしい日差し

リスボン39
露天

☆アマドーラの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンの郊外にある近郊住宅地のアマドーラは、生活の場である。
ロシオ駅からシントラ方面の列車で、ケルースの手前の駅である。
観光地でないため、資料がなく、詳しいことがわからなくてすみません。

「ポー君の旅日記」 ☆ 近郊住宅地・アマドーラ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 小雨降る〔レイリア〕からバスに乗って3時間、午後1時に〔リスボン〕のバ スターミナルに着いた。
 快晴の2004年5月1日(土)だ。 バスの中では降りるのが終点だと判っていたので相棒の写真家もポーも途 中の車窓風景が記憶にないほどぐっすり眠ってしまった。 歩き続けて来た17日目、疲れのピークだったのかも知れない。
 基点の宿アメリカーノに戻り一休みする手もあったが、この抜けるような 青空を見ては相棒の心は踊る。石畳の坂道を下って宿に向かっていたが、 『ポー、電車に乗ろう!』と相棒。思ったら即、実行だ。 宿を素通りしてロシオ駅のキップ売り場の前で相棒はガイド本を開き20 分ほどで行ける〈宮殿があるケルース〉に決めた。
 20分間の車窓を楽しむことにした。しかし、心地よく揺れる乗り物は睡 魔が宿る。ハット目覚めたポーは腕時計を見ると電車に乗ってから20分が 過ぎているのを確認した。電車はホームに滑り込んでいる。
 『起きろ!』相棒をゆすり起こして開いたドアからホームに走り降りた。  電車が走り去るのをぼやけた目で確認。
 『ポー、ここはケルースじゃないよ!』と相棒。ホームに書いてある文字は、 〔amadora:アマド−ラ〕と読めた。目覚めた頭に少しずつ判断力がよみがえる。  ケルースのひとつ手前の駅だった。普通なら次の電車を待ってケル−スに 行くのが順当だが、相棒は『これも神様がくれた縁だよ、ここにしようよ!』 と決めた。まっ、いいか!の心境で同意した。

「けいの豆日記ノート」
 乗り物に乗ると、すぐに眠気がおそってくる。 日本だけかと思ったら、ポルトガルでもかわらない。 危ない国だったら、ウトウトなんてできないのだろうな。 それに安心感もあるからかな。 窓の外の景色でも見ればいいのにね。 しかし、バスも電車も窓ガラスが汚い。 ボケている景色は、眠気を誘う。 というのは、いいわけかな。

 アマド−ラはガイド本にのっていない。  ホームから短い地下トンネルを抜け、改札口を出て左折すると広場に出た。 黒い肌の人が多い町だった。広場で見た光景は衝撃であった。布を広げそ の上に商品を並べって商をしていた人々がピーと口笛を吹いた少年の合図で 路上の商いが閉じられた。少年の口笛で、布の四隅を瞬時に合わせ持ち肩に かつぐと6つの集団は離散した。いっ瞬の退散劇であった。路上の商いが許 されていない場所なのか。
 何が起こったのか目をこする。ポリスの姿も飛んで来ない。何だ、この寸 劇はと思った。パホーマンス?でもなさそうだ。慌ただしさだけが残った。 10分ほどが目の前で経過した。何も起こらなかった。あの6つの集団は 何もなかったように大きな布の四隅を開いて露天商売を再開した。その上空 には抜ける青空が広がっていた。
 商品は衣類や家庭用品。ポリスの目を気にして逃げるほどの商品ではなか った。なぜ、誰の目から逃げて商いをしているのか理解できないポーだった。 見張りらしい少年の瞳はキラキラ輝いている。話せたらとことん話してみ たい少年の瞳であった。緊迫感が漂う少年の日々を知りたい。家族の生計を 守る必死の生命感が少年の姿にはあった。
『あの少年を撮ったか?』ポーは聞く。 『撮れなかった・・・』と相棒は悔しそう。
 首都リスボンから電車で20分ほどの町で、ポルトガルの今を目撃した。 その生活ドラマに偶然遭遇した。それが、旅だった。

「けいの豆日記ノート」
 露天市場はよくある風景だ。 それと同じなのかと思っていた。 何を売っているのか、見ようと思ったときにこの事件が起こった。 ここは、商売禁止の場所だったのだろうか。 日本でブランドのニセモノを道路で売っている人が捕まったという話は聞いたことがあるけどね。 でも、こりずに売るんだよね。 それと似たようなものなのかな。 そんなに通行にじゃまになる場所じゃないから、許可してあげてもいいような気がするのだけどね。 ほかに理由があるのかな。

 アマド−ラの商店街を抜けると、閑散とした新興住宅地が広がる。 その空間にひときは目立つ教会の時計塔が青空を突き抜ける。教会の前に は沢山の自転車がきれいに並んでいた。この新興地に住む人たちの生活態度 がしのばれ嬉しかった。 石段を昇って教会に入った。 天井が高い。今まで見てきたポルトガル繁栄の証的な装飾がない。天井か ら釣り下がるシャンデリアもない。壁にも装飾の飾りも刻まれていない。 正面祭壇もシンプル。可憐なキリスト像がポツリとある。 天井と壁は真っ白。ただ、祭壇の後の壁だけが抜けるほどの青色。 すべてが単純な雰囲気の教会であった。
 両側の壁には細長い縦長の窓が何十と連なり、そこから射し込む太陽光線 が構内を明るく照らしている。30人ほどの子供たちが神父を囲みその後に 子供たちの家族50人ほどが見つめていた。20分ほどすると子供たちを一 人一人呼出し、神父がひざまつく子供の肩に手を置き表彰しだした。 子供たちは笑顔で神父から賞状らしいものを受け取り微笑む。 どんな行事なのかはしゃべれないので家族の人に聞くことができないので 判らない。
 ポルトガルは今も97%以上がカトリック信者と聞いているが、若者の教 会離れが多くなっているとも聞く。教会の入り口の壁に、携帯電話の絵の上 に赤い×印がつけられたポスターがどの教会にも貼られていたが、ここにも あった。携帯電話マナーでどの国も頭を痛めているのが切実だ。 神聖な教会の中で、静寂の中、神父の祈りの最中に、携帯電話の呼出し音 があちこちから鳴っては興ざめだ。

「けいの豆日記ノート」
 この町には、住宅ばかりでなにもないのかなと思っていたら、教会が見えた。 すらっとしたステキな教会だ。 いかにも新しい教会だった。 古い教会ばかり見てきたので、新しい教会も興味があった。 それ以上に興味があったのは、教会に次々に入っていく子供たちだ。 なにかあるのだろうか。 これは、入って見るしかない。 神父様がよく見えるようにだんだん前のほうに行ってみる。 祭壇のすぐ横の壁まできた。 神父様も子供たちもよく見える。 たまたま、立ち寄った町で教会のイベント?に出会うなんて、なんてラッキーなんでしょうか。

 2時間ほどアマド−ラの町を歩きまわり、電車に乗ってリスボンに戻った。 4時半。まだまだ青空は高く、暑かった。
フィゲイラ広場でブラジル人?アフリカ人?のコンサートが開かれていた。パイプで組ん だ簡素なステージであったが打楽器はリズミカルなメロディ−を刻み、歌い 手の声は広場の青空に弾んで響き、観衆は手を打ち鳴らし聞き惚れていた。 200人ほどの観衆はブラジル系かアフリカ系の人々であった。
 その中を相棒の赤い帽子が動き回っていた。勿論、ボディガード役のポーの視線は赤 い帽子から目を離さない。人物映像が目的で歩きまわっている相棒にとって は宝の山に出会ったのだ。一時間は撮りまくっていた。 ポルトガルにはかつて植民地だったブラジルやアフリカの人が多いと聞い ていたがこれほどの群集を目にしたのは初めてだった。照りつける太陽の下 のコンサートは熱気があった。

「けいの豆日記ノート」
 ロシオ駅前の広場とその横のフィラゲイラ広場で人がたくさん集まっていた。 舞台が作られていて、コンサートが始まるようだった。 5月1日は、日本では、メーデーの日だ。 でもポルトガルでは、どうなんだろうか。 メーデーに関係あるのかないのかわからないけど、 コンサートに出会うなんてなんてラッキーなんでしょう。 演奏者の人より、観客のほうに興味があった。 黒人がたくさん集まっていた。 リスボンはもともと、黒人が多い都市だ。 でも写真は、なかなか撮れなかった。 広場の横とかで、集まっている人たちには、近づかないほうがいいと聞いていたから。 コンサートでは、みんなリズムにのっていい顔しているよ。 楽しそうな人を写していると、こちらまで、楽しくなってくるね。

 広場の横を12番の路面電車がのろのろと暑さにしおれたように走って行 く。 撮影に満足したのか相棒の歩行は軽やかだった。路面電車の線路を渡り路 地を入ったところでチャイナ−ズスーパーを見つけ、相棒は嬉々として入っ ていく。 日本の米や調味料もある。値段は日本の3倍もする。もやしもあった。市 場やスーパーではもやしを見たことがなかったので少し驚く。中華店でもや しが炒められて出てくると凄く嬉しかった。紹興酒ひとびん1.0ユーロ。 驚きの値段だった。130円では日本では買えない値段だ。狭いスーパーだ ったが飽きなかった。

「けいの豆日記ノート」
 小さい店でスーパーというより日用品の雑貨屋さんのようだった。 日本のラーメンだとか食品が並んでいた。 こんなところに売っていたんだ。 日本で売っているものばかりでなく、中国語で書いてあるものもある。 日本の食材を中国用に作ったものなのか、中国で似たものを作ったのか、わからない。 そのときは、そこまで見なかった。 ポルトガルのどの町にも1軒は中華料理店がある。 ということは、こういう中華の素材が売っている店があるはずなのだが、 いままで見たことはなかった。 モヤシ、タケノコの缶詰など、どこで買うのか不思議だった。 すくなくとも普通のスーパーには売っていない。 こういう中国用スーパーは、各町にあるのだろうか。

 夕方、6時。まだ太陽は高い。 今日は9時にならないと夜と呼べそうもない。気が着いた。昼飯を食べていなかった。 リスボンに着き、アマドーラに行き、コンサートに出会い昼食を忘れていた。 忘れさせたのは相棒だ。相棒の気まぐれと思わぬ出会いがあったからだ。 昼食が夕食になった。ロシオ広場から宿の裏にまわりロシオ駅に入る裏口 の高台に向かう。狭い階段を昇ると古本屋が2軒あり、その先にレストラン がある。階段の右側は赤茶の壁が続く。階段の幅は4mぐらい。その狭い階 段の踊り場にテーブルが並んでいる。通行人は食事中の客が食べる料理の香 りを嗅ぎながら通る。登ってくる人も下ってくる人もこのレストランの呼び 込みの髯おじさんに捕まる。そのテクニックは〈呼び込み芸〉の御手本のよ うだった。 階段の踊場レストランからサン・ジョルジェ城が目の高さで迫ってくる。 リスボンの穴場的レストランであった。鶏肉半分の鳥焼き7.5ユーロは 美味かった。
 眼下に見える宿に帰ったのは8時過ぎ。27782歩も歩いた1日だった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2007年7月掲載

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