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(愛しの日本食・リスボン2)
Portugal Photo Gallery --- Lisboa 2

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リスボン1
展望台からの眺め

リスボン2
ミニバス

リスボン3
ジェロニモスの回廊

リスボン4
ゴール

リスボン5
くちばしの家

リスボン6
キヨスク

リスボン7
フィラゲイラ広場

リスボン8
4月25日橋

リスボン9
海の玄関口

リスボン10
露天市場

リスボン11
アコーデオンひき

リスボン12
メニューはいかが

リスボン13
景色の良いレストラン

リスボン14
夜景のレストラン

リスボン15
バス待ち

リスボン16
どろぼう市

リスボン17
どろぼう市の常連

リスボン18
ジグザグ道路

リスボン19
マイカー

リスボン20
ポルトガルカラー

リスボン21
アルファマのテント

リスボン22
工事中

リスボン23
ジョッピングセンター

リスボン24
オリエンテ駅

☆リスボンの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトガルの首都リスボンはヨーロッパの都市経由で入国する。
リスボンだけでも見どころが多く、何度いっても初めての場所がたくさんある。
ビジネス街のリベルダーデ通り、商店・土産物屋が多いバイシャ地区、
夜の街バイロ・アルト地区、リスボンの下町のアルファマ地区、
世界遺産の建物があるベレン地区、美術館動物園のある市北部、
リスボン万博の開催されたオリエンテの国際公園。etc.etc.

「ポー君の旅日記」 ☆ 愛しの日本食・リスボン2 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 《ポルトからリスボンに向かう列車の中で、「明日帰国するからどうぞ」と偶然出会 った日本人の夫婦からガイド本をいただいた。バスに置き忘れ、不自由して いたので大助かりだ。その横浜から来たというKさん夫婦とは、首都リスボ ンの終点サンタ・アポローニア駅で別れた》

 リスボンの旅の基点宿にしたのは、ロシオ広場に近い〈アメリカーノ〉だ った。ガイド本のホテルのページをめくっていくと〔経済的なホテル〕のとこ ろに出ている。二つの重い旅行バックがあったのでタクシーを使った。5ユ ーロ(650円)だった。 車窓から4年前に見た懐かしいサン・ジョルジェ城が、2004年4月2 7日(火)午後2時半の陽射しを浴びて青空に浮かんで見えた。その城の高 台からリスポンの景観をはじめて見たのは3年前の9月だった。 忘れもしないアメリカのあの9.11同時テロ事件の11日後だった。オ レンジの屋根が幾重にも連なる先にテージョ川が陽射しに輝き、大きな船が 大西洋に向かって進んでいた。その一服の絵が、今も心に焼きつき忘れられ ない。またその城壁で下着の線をくっきり浮かべ本を読む女性の後姿も忘れ られない。
【題名は「背中」。《山之内けい子・愛しのポルトガル写真展part1》 の会場で発表し、評判を呼んだ】

 「けいの豆日記ノート」
 2001年の同時テロ事件の前にチケットを購入したので、かなり迷った。 自分から、取り消しをするとチケット代は戻らない。 初めてのポルトガル旅行だった。 どうしても行きたかった。 家族の反対を押し切って行くことにした。 ポルトガルについて見れば、テロなどあったのかと思うほど、平穏であった。 この時は、写真展をする予定などなく、趣味での写真を撮ったにすぎなかった。 それが、帰国してから、「発表してみたら」の助言を得て『愛しのポルトガル写真展』開催となった。 このポルトガル写真展が、10回以上も続くとは、思っていなかった。 この時、大事をとって行っていかなかったら、ポルトガルには縁がなかったかもしれない。

 タクシーが着いた宿〈アメリカーノ〉は、ロシオ広場とロシオ駅の間の狭 い路地に面したスーパーの上にあった。 2mほどの間口。その入り口を5mほど入っていくと小さなフロント。今ま でに泊まったホテルの中では、最小のフロントだった。人のよさそうなおじ さんに『日本から来た』と相棒が告げると、すぐ鍵をくれた。 名古屋からFAXを送ってあったので、サインもなしだった。余り簡単にこと が進むと返って不安になるものだ。1階(2F)に部屋があった。入り口は狭い ホテルだが、内部通路は意外と広い。部屋に入ったらこれも、広かった。 『ポー、これって、拾い物のホテルかもよ!』相棒に笑顔が浮かんだ。町 の中心地、ロシオ広場まで30秒の近さだ。勿論、モーニング付きだった。 荷を解いてホテルを飛び出した。2時。まだ、太陽は高い。  なだらかな石畳を下ると目の前にロシオ広場が広い広い青空の下に開けた。 その広い広場の中央に周りの建物より高く見える円柱の塔が青空に向かって 伸びている。そのいただきにブロンズ像がある。初代ブラジル国王となった ドン・ペドロ4世だ。リスボンで一番にぎやかな広場と聞いていたが、この 日はそんなに人の姿はなかった。 『今日は泥棒市がある日だよ』相棒の記憶だ。もらったガイド本でポーが 確認した。 火曜日と土曜日に開かれていると再確認した。地図上では1.5kmほど だった。路面電車を使わずに歩くことにした。歩かないといい被写体に出会 えないからだった。

 「けいの豆日記ノート」
 以前にガイド本でみた泥棒市にいったことがある。 でも曜日が違っていて、なんにもなかった。 室内の市場のような建物はあったが、中はなんにもなかった。 もっと朝早く行けば、店が出ていたのかもしれない。 名物のようだったので、1度は見てみたかった。 市場は室内の常設市場より、屋外でやる露天市場のほうが数段おもしろい。 おもしろいというより、写真的に撮りやすいから、好きだ。

 アルファマ地区は迷路のような狭い路地が多い。 リスボンで最も古い町並みが残っているこの地区は何度歩いても楽しいと ころだった。 路地が人々の日常生活に欠かせない。路地は〈憩いの細長い庭〉でもあっ た。挨拶をすれば挨拶の言葉が返ってくる。微笑めば微笑みが返ってきた。 狭い路地を抜けると狭い石畳に路面電車のレールが走っている。そこに、 路地の角から急に車体に広告を満載した路面電車が現われる。両サイドの 家すれすれにコトンコトンと走ってくるのを避けるのが面白い。 満員の乗客と目を合わすと、必ず大きな笑みがある。 乗ってる方も歩いている方も、その軽やかなスリルを楽しんでいるのだ。

 狭い路地を抜けると、サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会に出た。時計 を見たら3時を過ぎていた。 ホテルからグネグネと相棒の気の向くまま撮影をしながら歩いてきたので、 4kmは歩いて来たと思う。旅行ではなく旅をしているので、時間は気にな らなかった。 でも、目的の泥棒市が終ってしまったかなと少し不安でもあった。教会の 裏の石畳の道を足早に歩いていくと思っていたより小ぶりの広場で市は開か れていたが、閑散としていた。客は数えるほどしかいなかった。ポーが路上 に並べ売っている品々を見ている間に、相棒は撮影をしていたが乗りが薄か った。 ポーにはどれもガラクタに見えた。万年筆のキャップだけにどれほどの価 値があるのか分らない。見る人が見れば、分るのかも知れないが。でも、こ の泥棒市には生活の香りが滲んでいた。かたまって路上にしゃがみ話す男た ちの目には笑みがない。ちょっと怖いぐらい。景気が悪く思うように売れな いのかもしれない。 気がつくとポーの視界から相棒の赤い帽子が消えていた。相棒のボディー ガード役でもあるポーは焦る。任務を怠ったと。治安のよいポルトガルでは あったが、首都リスボン、それも泥棒市の現場だ。緊張の素早い視線を送る。 いた!赤い帽子だ。なんと、相棒はアイスクリームを舐めながら店から出 てきた。それも嬉しそうな笑みをたたえてだ。ポーの肩が震えて落ちた。 そして『ポーも舐める、美味しいよ!』と気楽だ。 アイスクリームはひとつだけ、だった。

 「けいの豆日記ノート」
 楽しみにしていた泥棒市だが、店が少なかった。 朝だったら、もっと出ていたのかもしれないけど。 ガラクタのようだけど、きれいに並べてある。 はたして売れているのだろうか。 値段が付いてないので人を見て値段を決めるのだろう。 値切るという駆け引きがおもしろいのかもしれない。 興味があるような顔をしているとふっかけられるのかもしれない。 まあ、買うようなことはないのでその心配はないのだが。

 泥棒市の広場からテージョ川に向かって狭い坂道を下っていくと小学校が あり、鉄扉で覆われた校門には下校の子供達を出迎えに来た家族でいっぱいだった。 この光景は首都リスボンだけではなく、ちいさな村の小学校でも同じ光景 に出会った。こちらでは当たり前の光景だった。日本のように何か事件があ ってからでは遅いのだ。地道な行動の積み重ねこそが、子供たちへの愛の証 なのだ。どうも、事が起こるとテレビのワイドショーは、それ見たことかと ばかりに朝のテレビ画面で各局が取りあげ、その筋の評論家がいつもの知っ たか顔で語り散らす。それも2日持てばいい。咽喉もと過ぎればなんとやら 的報道が目立つ。なら、具体的にどうすれば良いのかという提案もその場の 思いつき的発言であり、その後日本の小学校ではこの様な対策でこの様に継 続行動を実地しているという報告がワイドショーには、ない。 それほど、次々に話題の事件が発生しているのが今の日本なのかも知れな い。《今日は報道する事がありません》とワイドショーのキャスターが笑顔 で報告し《では、ここで惜しまれて亡くなった〈落語家小さんの艶話〉を4 5分間お送りしますので充分お楽しみください》なんて粋な放送をする日っ てないものか。

 「けいの豆日記ノート」
 泥棒市を過ぎて、小学校の横の道を下っていくとサンタ・エングラシア教会がある。 その前で教会の写真を撮っていると、上から声がした。 「イマ、ナンジデスカ?」 日本語でだ。 「えっ・・・」だれが言ったの? あたりを見渡すと、学校の塀から顔を出していた子供たちだ。 「3時だよ(←日本語)」 と答えると、「アリガトウ」 とみんなで笑って答えてくれた。 時間を聞きたいのでなく、日本人だと思って知っている日本語を使いたかったみたいだ。 近くだったら写真を撮れたのに残念だ。 外国で日本語を聞くとすごくうれしい。 それが、日本人でない人からの場合は格別である。

 更に下ると白亜の建物がぽっかり青空に浮かんだ白い雲を背景に迫った。 貰ったガイド本が役立った。調べると、サンタ・エングラシア教会。リスボ ンで一番大きなバロック様式の教会で、17世紀から建設が始まり1966 年完成。300年以上費やしていると知る。徳川時代がまるまる収まる年月 だ。その歳月に驚いたがもっと驚くことが眼下に飛び込んできた。さっき下 車したばかりのサンタ・アポローニア駅だった。タクシーで5ユーロ使った 距離を歩いて来てしまった。相棒の大笑いの声を久しぶりに聞いた。 また、アルファマ地区の起伏に富んだ石畳の路地を迷走迷歩?散策。これ が楽しく病みつきになる思いだった。 壁面がとがった造りの壁で作られた、口ばしの家。薄暗い聖堂内部にステン ドグラスが外光で花びら模様となって浮かぶ美しさに、神秘を感じさせてく れたカテドラル(大聖堂)を出て、テージョ川に面したコメルシオ広場に来 た時は川面に夕映えが迫っていた。その広場からアウグスタ通りをぶらつき 宿に向かっている時、通りの真中に並ぶテーブルでビールを飲んでいるガイ ド本をくれたKさん夫婦に出会った。ガイド本、役立っていますと礼を言 うと、二コリ笑みを返してくれた。ご縁とは不思議なものだ。

 「けいの豆日記ノート」
 ポルトガルで同じ人に3回も会うとは、なんという偶然なんだろう。 それも約束もしていないのにだ。 2回までは、たまにあるけど、3回はもう偶然でなく縁なのだろうか。 置き忘れたガイド本は、戻らなかったけど、やさしさのいっぱいつまったガイド本を手にいれたよ。 ほんとにありがとうございます。

 夜7時に約束があった。 リスボン市民にも人気の日本料理店《Novo Bonsai(新盆栽)》で、相棒の高校時代 の大先輩と1年ぶりの出会いだった。 一昨年と昨年と来るたびにお世話になってポルトガル料理を堪能させても らっていた。3回目の再会だ。先輩の名は、Yamasugaさん。先輩は60歳を 過ぎていたが若さ凛凛(りんりん)であった。ポルトガル軍人さんとリスボ ンで知りあい結婚したのは22年前。当時、名古屋の新聞にも「時の人」に とりあげられ話題を浴びた人だった。その後〈ポ日交流の架け橋〉として活 躍を続け、リスボン市民にも愛されていた。 その大先輩との再会を《Novo Bonsai》でと、昨夜相棒は電話で〈ポルト〉 を発つ前にとっていた。 《Novo Bonsai》のご主人は横地さん。かつて日本の水泳選手で名を馳せ た人だった。 愛しのポルトガルで水泳の指導を続けていたその人がポルトガルの人と結 ばれ、日本料理店を開いた。 横地さんはポルトガルに根をつけ水泳指導の功績が認められ、新しく出来 たスポーツ施設に〈ヨコチ〉の名前がつけられるほどのリスボン人になって いた。 その横地さんとの出会いは2年前だった。相棒がホテルから飛び出したと き偶然にぶつかった人が横地さん。犬も歩けば棒に当たる。その棒がすごか った!それがご縁で、その後親しくさせていただいた。
 これも奇遇の翌年12月、名古屋市の「市民ギャラリー栄」でおこなった 《愛しのポルトガル写真展part4》に立ち寄ってくれたのだ。実家が広島らしく その前にわざわざ、よってくれたのだ。 別の日に Yamasugaさんも、名古屋の友達二人と一緒に来てくれた。 おふたりに名古屋で会えるとは思ってもいなかったので感涙した。

 「けいの豆日記ノート」
 2度目のポルトガル撮影取材の時にリスボンの宿を先輩に紹介していただいた。 安いところをお願いした。 そこが、バイロ・アルト地区にあるペンサオン・ロンドレスだった。 グロリア線のケーブルカーを登ったところにある。 その近くに横地さんの日本料理の店があった。 その少し先には、先輩のリスボンの家があった。 だから、お会いしたのは、けっして偶然ではなかったのかもしれない。 これも縁なのかと思う。 ふたりが、写真展にいらしてくれた時は信じれなかった。 まさか、見間違いではと目を疑った。 とってもうれしかった。 日本滞在の忙しいだろうに貴重な時間を写真展のためにさいてくれたのだ。 感動の涙がでそうだった。

 ホテルを出て北西に向かった。 《Novo Bonsai》の場所は知っていた。一度通った道は忘れない、まるで 犬みたいな相棒がホテルを出ると街灯がつきはじめた石畳の坂道を嬉々とし て歩いていく。その後を追いかけるのは方向音痴のポーだった。 店には一度行ったことがある。相棒が横地さんに偶然ぶつかったその日、 泊まっていたホテルから1分もしない路地にあると教えてもらったので店を 訪れた。しかし、閉まっていた。その日、土曜日は休みだった。 涼しい風を感じながら夕映えの空を見上げ、レスタウラドーレス広場を通 った。広場の中央に高さ30mの勝利と独立の気持ちを記念として建てられ たという、大きな塔が夜空に向かってスクッと雄大にのびていた。 スペインに支配された60年間。だが、1640年ポルトガル再独立。 その勝利の塔であった。 ホテルから500mほど歩いたところにグロリア線のケーブルカーがある。 一人1.1ユーロ。家と家の間の急斜面を登る。250mはたっぷりある。 歩いて登ったら20分はかかる所を4分もかからない。リスボンは坂だらけ。 だから、3箇所も街の中にケーブルカーがある。  ケーブルカーを降りたすぐ右手にサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台 がある。約束の時間まで15分あったので立ち寄った。ここから店まで2分 とかからない。2年前に泊まったホテルが目の前にあった。 穴場の展望台だとポーは思っている。眼下に広がる家々には灯がともり、 夕闇迫る空の下にテージョ川がオレンジの屋根越しに見え、サン・ジョルジ ェ城が浮かんでいた。町に日が当る夕暮れ時がおすすめだ。

 「けいの豆日記ノート」
 前に泊まったホテルになぜ今回 泊まらなかったかというと理由がある。 まず、ロシオ駅、または最寄の駅から、遠いことである。 普通に歩けば、たいしたことない距離だが、坂道の上にあったので、荷物を持っての移動は無理だった。 そのたびにタクシーを使いたくなかった。 それに、ペンサオンのわりに料金が高かった。 リスボンは何泊もするので少しでも節約したかった。

 横地さんが笑顔で迎えてくれた。写真集を3冊もらっていただく。日本か ら来店した方が日本語の本があれば安らぐと思って。白ワインがポン!と抜 かれ、マグロの刺身で4度目の〈来ポ〉を祝ってくれた。涙が出るほど嬉し かった。偶然ぶつかったご縁なのに・・・。何か食べたいものがあるかと聞 かれ、相棒は天ぷらと答え、ポーはカツ丼と言った。(メニューには、天ぷ ら10ユーロ、カツ丼8ユーロ)これが、めちゃうま!カツに卵とじがふん わりからんで至福の美味しさだった。料理人は日本から来た板さん(高杉さ ん)であり、女性達であった。久しぶりの日本食に飢えた旨さではない。本 物の味であった。 横地さんの奢りだった。我々犬ッコロが当った棒は、懐が深かった。 Yamasugaさんは空港で日本から来た知人を送って来たと30分ほど遅れて 来た。カウンターに座るなり、たぬきソバを注文。相棒は大先輩の前に行き 直立不動で挨拶をした。先輩の笑みは優しかった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2007年3月掲載

路面電車のリスボン ・・・ポルトガル写真集・路面電車のリスボンはこちらからどうぞ

緑豊かな町ラメーゴ ・・・ポルトガル写真集・緑豊かな町ラメーゴはこちらからどうぞ

☆ リスボンシリーズです ☆
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