ポルトガル写真集 コインブラ特集 Coimbra
≪コインブラ大学の卒業イベント≫
≪ケイマ・ダス・フィタス Queima das Fitas≫
政治のリスボン、商業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市コインブラは文化の中心である。
丘の上の大学を中心に広がる人口10万人ほどの小さなまちだが、ポルトガルの歴史のなかで果たした役割は大きい。
多くの政治家や文化人たちを世に送ったコインブラ大学は1290年にディニス王によって創設された。
最初はリスボンにおかれていたが、その後コインブラに映ったりリスボンに戻ったりしながら、1537年コインブラに落ちついた。
ヨーロッパでもパリ、ボローニャ、サラマンカに並ぶ古い大学で、
1911年にリスボン大学が建立されるまでは国内一の学術の中心地であった。
学生は黒いマントに身を包み町中を闊歩し、そのマントの裾に切れ目が多いほどもてる証だったという。
2013年6月23日、コインブラ大学がポルトガル15番目のユネスコ世界遺産に認定されました。
・・・コインブラの歴史・・・
コインブラは古代ローマ時代にアエミニウム(Aeminium)と呼ばれた。
コインブラから南に約15kmにあるコニンブリガ考古遺跡は、イベリア半島に残る最大規模の都市遺跡であり、
かつてはケルト人の集落であったが、1世紀にローマ人によって都市が建設された。
属州ルシタニアの中心として繁栄を極めたが、5世紀の西ゴート族の進入によって破壊され、
この地域の政治の中心はアエミニウムに移った。
西ゴート王国時代には、コインブラは、エミニオ(Eminio)と呼ばれるようになった。
711年、ウマイヤ朝がイベリア半島に侵攻を開始するとコインブラは、イベリア半島北部のキリスト教世界と
半島南部のイスラム世界を結ぶ商業の中心地となった。
1064年、コインブラは、レコンキスタを展開したフェルナンド1世によってムスリムから奪回された。
コインブラを中心としたコインブラ伯領が設置され、モサラベの貴族シスナンド・ダヴィーディスに
よって統治されたが、後にポルトゥカーレ伯領に組み込まれた。
カスティーリャ王国から独立を達成したアフォンソ・エンリケスは、王国の首都をコインブラに定め、
1255年までブルゴーニュ王朝ポルトガル王国の首都であった。
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コインブラ特集 Coimbra ≪ケイマ・ダス・フィタス Queima das Fitas≫
月のこの時期は、コンサートやパレードなどさまざまな催しが行われ、町はお祭り気分に包まれる。
その年の卒業生たちが、学部ごとのシンボルカラーを身に着け、それぞれの色で飾られた車で町中を行進する。
リボンを卒業のときに焼いたのが祭りの始まりで、ケイマ・ダス・フィタスとは、「リボン焼き」という意味である。
旧大学前からスタートし、水道橋、レプブリカ広場、5月8日広場、ポルタジェン広場を経由し、サンタ・クララ橋手前が終点となる。
パレードは、午後3時ごろから始まり、最終の山車が橋に到着したのは、夜の9時半であった。
(2013年は、5月3日から10日に開催された。パレードは、5月5日開催。年によって開催日が変更されます。)
サムネイルの画像は、表示を早くするために画素を落としてあります。
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コインブラ5
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