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(山の麓に広がる町・ポルタレグレ)
Portugal Photo Gallery --- Portalegre

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ポルタレグレ1
カウンター


ポルタレグレ2
カフェの客

ポルタレグレ3
ポスター

ポルタレグレ4
PENSAO NOVA



ポルタレグレ5
ペンサオン ノバ


ポルタレグレ6
アズレージョの階段

ポルタレグレ7
壁の絵

ポルタレグレ8
おどり場

ポルタレグレ9
レプブリカ広場

ポルタレグレ10
青い空

ポルタレグレ11
遊び友達

ポルタレグレ12
ポルトガル国旗

ポルタレグレ13
警察署

ポルタレグレ14
丘の上から

ポルタレグレ15
住宅地

ポルタレグレ16
沈む太陽

ポルタレグレ17
日が落ちて

ポルタレグレ18
ペンサオン前

ポルタレグレ19
ペンサオンからの夜景

ポルタレグレ20
アンテナ

☆ポルタレグレの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
スペイン国境に近いポルタレグレは、古くから戦略上の要にあった。
1290年にディニス王によって城が築かれた。
16世紀以降はタペストリーやシルクの生産地として栄えた。
当時ブルジョアたちが築いたバロック様式の邸宅は今も町のあちこちに残っている。
背後に自然豊かなサン・マメーデ山脈をひかえ、マルヴァオンを訪れる際の起点となっている。

「ポー君の旅日記」 ☆ 山の麓(ふもと)に広がる町のポルタレグレ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2008紀行文・7≫
    === 第四章●アレンテージョ地方のポルタレグレ起点の旅@ === 落日のポルタレグレ

 6月8日(日)の午後1時には、予定通りポルタレグレ行き長距離バスに乗っていた。 リスボンから200キロメートル近いアレンテージョ地方の北部にあり、 スペイン国境に近いポルタレグレまで13ユーロ(一人・2200円)、3時間半のバスの旅であった。

          《セッテ・リオス・バスターミナル》

 ポルトガル各地を旅するには国鉄の列車もあるが、ほとんどはバスを使わなければどこにも行けない。 バス路線をいかに使うかが旅の鍵だった。ツアーの旅だってバスが主役である。観光バスではあるが・・・。 首都リスボンには、バスターミナルが4か所ある。 行き先によってバスターミナルが違う。だから、バスターミナルを知ることがバス利用旅の秘策だ。

 リスボンで一番大きく便利なのが〔セッテ・リオス・バスターミナル〕である。 動物園が近い地下鉄ブルーラインのジャルディン・ズロジコ駅から5分だ。 スペイン行きの国際バスや長距離バスはここから出ている。 5年前アフリカ大陸に近い南岸大西洋海岸線にある中心地ファーロやユーラシア大陸西南端の町サグレスに行ったのも、ここからだった。 切符はターミナル内の切符売り場で買う。 地下鉄を降りて、身軽な相棒が走って終点のポルタレグレ行きの切符を買ったのは、出発10分前であった。

 「けいの豆日記ノート」
 〔セッテ・リオス・バスターミナル〕は、数年前にできたばかりのバスターミナルである。 それまでは、〔アルコ・ド・セゴ・バスターミナル〕がリスボン最大のバスターミナルであった。 地下鉄のサルダーニャ駅から徒歩5分の便利な場所にあった。 なので、以前はこのバスターミナルを利用するので、隣のカンポ・ペケーノ駅の闘牛場近くのホテルを予約したものだ。 2006年の撮影取材のときから、新しい動物園近くのバスターミナルに移動したのだった。 わかりにくいところで、間違えて動物園までいってしまったりもした。

 〔カンポ・グランデ・バスターミナル〕も利用度が多い。 地下鉄イエローラインとグリーンラインがまじわるカンポ・グランデ駅で降りると露天バスターミナルが幾重にも広がっている。 行き先のバス発着停を探すのに一苦労するほど広い。切符は乗るバスの中で運転手から買う。 初めて利用したとき切符売り場を探してしまい、無駄な時間を労した苦渋がある。 ここからは、谷間の真珠と呼ばれるオビドスや巨大な修道院があるマフラ行きなど近郊行きに便利だ。

 〔エスパーニャ広場バスターミナル〕は、地下鉄ブルーラインのプラサ・デ・エスパーニャ駅を出た広場にある。 海水浴場があるセジンブラやポルトガル第4の都市セトゥーバルに行くのに便利。 そして[オリエンテバスターミナル]は、地下鉄レッドラインのオリエンテ駅下車。 近郊行きが主だがセッテ・リオス・バスターミナルから出たスペイン行きの国際バスが止まる。

          《ヴァスコ・ダ・ガマ橋を渡る》

 予定通りの午後1時に出発したポルタレグレ行き長距離バスは、真っ白な丸みの車体に赤い線をお洒落にちょこっと添え、 日曜日の閑散とした首都リスボンの狭い石畳の町中を15人の客を乗せて走りぬけ、 テージョ川に架かる全長16キロメートルのヴァスコ・ダ・ガマ橋を渡った。 1998年に開通したヨーロッパでも最長の橋だった。車窓からテージョ川を見ていた相棒が吐いた。 『テージョ川は広いなァ、海だよ、これは海!』

 ヴァスコ・ダ・ガマ橋は渡る距離が長いだけでなしに、水面からの高さもあった。 40メートル以上はゆうにあるように見えた。 テージョ川は昼の太陽を川面に乱反射させ眩(まぶ)しく銀色に輝き、大西洋に向かう船は黒く小さく見える。 この橋を渡れば、川の向こうにはポルトガル国土のおよそ3分の1を占めるアレンテージョ地方があり、 しかも人口が全人口の10分の1に過ぎない広漠とした大地であることは経験でポーは知っていた。 かつて行った、古都エヴォラや手作り絨毯のアライオロス、城壁で囲まれたエストレモス、 要塞都市エルヴァス、美しい村モンサラーシュなど、みなアレンテージョ地方にあったからだった。

 「けいの豆日記ノート」
 アレンテージョ地方は、草原がひろがっていて、雄大なイメージがある。 長距離バスを走っていても、ずっと草原が続き、小さな町が見えてくる。 すぐに町を通り過ぎて、また草原がひろがっていく。 今回の撮影取材では、エヴォラを中心とする町をまわる予定である。 エヴォラは、3回目の訪問になる。 でも、行っていない町もたくさんあるものだ。 今回、8ヶ所の町をまわる予定である。

          《アレンテージョ地方を行く》

 高速道路のヴァスコ・ダ・ガマ橋を渡ると、15人を乗せたポルタレグレ行き長距離バスは北北東に進路を変えた。 映画好きには、[北北東]と聞けば、あの名監督ヒッチコック監督の《北北東に進路をとれ》が脳裏に浮かび、心がときめくはずだ。 橋を渡ると、ロータリーを半周しバスは右折し、高速道路を降りた。 道が急に狭くなった。 コンクリートの陽に射られた白い道は、広大な大地の中を遥か彼方まで、まるで滑走路のようにまっすぐ延びていた。 15人を乗せた白い車体のバスが、このまま青く濃いポルトガルの大空に向かって飛び立っていきそうだ、とポーは思った。 2車線の滑走路みたいな道路の両側には、背丈ほどのオリーブの木が照りつける陽射しの中で延々と続く。 人の姿も対向車もない未知の世界のようだ。長距離バスの中は冷房が心地よく、眠りに落ちている人もいる。 相棒はまだ健在であった。 乗り物の振動が眠りの波長に合体しやすい体質か、すぐ眠りに落ちる相棒だったが・・・。

 走り抜ける車窓の左側景観だけが急変した。鉄条網の鉄柵になりそれが3キロメートルも続いたろうか。 広い門が見えた。大砲が2基、門の両サイドを飾っていた。陸軍の基地だった。だが、基地内には人の姿はない。 走る軍用トラックも見えない。広大な敷地の中に建物が点在してみえた。 1939年9月にドイツがポーランド侵攻で火ぶたを切った第二次世界大戦。 翌年5月にはヨーロッパ全土に拡大する。6月にパリはドイツ軍の手に落ちた。 そしてパリ陥落の4日前にイタリアは、仏英に宣戦を布告していた。 日本は三国同盟の締結で独伊に加担した。 後に日本は太平洋戦争で大敗する、という歴史の流れがあった。

 当然、ポルトガルも自国を守るために参戦していたのだろう。 詳しくはまだ勉強不足で把握していない。 しかし、この長閑な国には軍隊が似合わないとポーには思える。 なぜなら、各地を旅していて空爆で街が全焼した後もなければ、戦争での悲惨話を聞いたこともない。 どの町や村に行っても中世期の雰囲気がそのまま旧市街地には確かに残っていた。 ポルトガルは[国中が世界遺産]としか思えないポーが、バスの車中にいた。

 7年前ポルトガルに行くことになり、まったく未知のポルトガルだったので知多市と東海市の図書館でポルトガル関係の本を探し出し乱読した。 その時ノートに書き写した資料が残っている。 《ヨーロッパ・カルチャーガイドJポルトガル・1998年発行》というガイド本だ。 ガイド本といっても、ポルトガル各地へのアクセスやホテルやレストランの案内がことこまやに案内されたガイド本ではなく、ポルトガルという国のカルチャーガイド本である。 その中に、[徴兵制度と若者たちの就職事情・女子の兵役志願が増える中、男子は腰砕けの保守化、安定志向のようで…]という小見出しを見たとき、思わずポーは唸って笑ってしまった記憶がある。 おいおい、ポルトガルも女性がご立派、日本女性と気が合う国かいと。

 確かに、6回のポルトガルの旅を続けてきたが、例えば目の当たりにするおばさんたちやおばあさんたちの光景は生活力に満ちていた。 どこの町に行っても女性がたくましかった。 ナザレという漁村では浜辺で魚の干しものを作っているのは、すべて日焼けした女性たちばかりであった。 また、各地の市場(マーケット)でも働いているのはほとんどが女性たちである。 魚屋も八百屋も果物屋もパン屋も肉屋も、オリーブ売り屋も花屋も生きたウサギやニワトリ売り屋も、 市場はたくましい女性たちの売り声がステレオ音声で響き渡り活気に満ちていた。

 で、男どもだが(じいさんたちだが)昼間からカフェでワインやガラオン(ミルクコーヒー)をちびりちびり飲み語り合っているか、 テレビで繰り返し再放送されているフットボール(サッカー)を凝視しているか、 公園のベンチの指定席(毎日必ず座る場所)に座り込こみ銅像のように不動でいるか、トランプや麻雀みたいな牌で賭けごと遊びをしている男どもに出会った。 それが、朝っぱらからの老いた男どもの姿であり、その光景は各地で見られた。 この長閑な気配は年金制度が充実しているからかとポーは思い続けてきたが、実情はそんなに甘くはないようであった。
 また、ポルトガルは学歴社会だと聞いていたが、大学を出ても現実はなかなかうまい就職口がないようだ。 ポルトガルだけの話ではない。 就職内定を受けているのに、取り消される現実。当然、企業のご都合主義。 腹立たしい企業のわがまま。それが、社会問題にもなっているわが日本の現状。 ポルトガルとは、まるで兄弟国に思えるポーだった。 そんなポルトガル情報を語ってくれたのは、ピザをご馳走してくれたカスカイスに住む相棒の高校時代の大先輩、姐御(あねご)Yさんである。

 「けいの豆日記ノート」
 ポルトガルは老後などの生活にいいところなどの紹介記事を見たことがある。 たしかに、ほかのヨーロッパの国よりは、いいと思う。 住居権は、働かなくても生活していける収入源が必要らしい。 ポルトガルで働いて住むというのは、かなりむずかしいと思う。 日本でも就職はむずかしいのに、より貧乏な(失礼しました)ポルトガルで就職できるはずがない。 たとえ語学堪能であったとしても。 手続きもかなり面倒なようです。 なので、ポルトガルで住んでいる日本人は、尊敬してしまう。

 ポルタレグレ行きの長距離バスは一度もバス停で止まることなく乗客15人を乗せて、アレンテージョ地方の滑走路みたいな直線の狭い道路を延々と走り抜けていた。 トーモロコシ畑を左右車窓に従えて、もう4キロメートルはぶっ飛ばしている。 出発してから小1時間が過ぎ、乗客の半数は眠りに落ちていた。 勿論、相棒も落ちたその一員であった。 いくつもの小さな町や村を走り抜けた。 この広大な大地を相手に生きてきた人びとの一握り程の集落は、どこも白い壁とオレンジの屋根瓦をのせている。 広い緑色の耕地の中に白いひと固まりの集落が青い空にすっぽり包まれて輝いていた。 停止したようなその広い青空の中に、白い大きな雲がひとつゆったりと浮かんでいる。 ポーの好きな絵本の世界だったが、一つの白い雲の大きさが絵本の見開きページをはみ出てしまうほどに思えた。

 アレンテージョ地方は、まさにゆっくりと時が流れている風情があった。 緑豊かな恵みの大地には、オリーブの木が茂り、ぶどう畑や野菜畑、それに広大な草原が広がり、ワインのコルク栓を生み出すコルクガシの木などが降り注ぐ太陽の恩恵を浴びている。 そのなかで、丘陵地帯がのんびり呼吸し、その中で町や村がひっそり息づいているようだった。 太い老木のコルクガシの木が車窓にあふれてきた。 およそ10年ごとに木の表皮を分厚く剥ぎとって、ワインの栓(せん)にするコルクを生産してきた。 世界生産の90パーセントはポルトガル産コルクだと聞く。 いちど直接コルクガシの木に触れてみたいものだとポーは思っていた。

 遠くに見えていた白い塊(かたまり)が近づいてきたその集落は、標識でMORA(モラ)という町だとわかる。 真新しい白壁の一戸建て住宅はお洒落な外装デザインで庭には実ったオレンジの木がどの家にも見られた。 勿論、屋根はオレンジの瓦をのせている。 その新興住宅地は意外に広く、町全体が白一色のため陽射しに浮かぶ姿は、裕福に明るく見える。 その住宅地を長距離バスはゆっくり巡る、その時、運転手の声が車内に流れた。 ♪この先のバス停で20分間の休憩です。 バス停前のカフェでトイレをどーぞ♪ってな、アナウンスが車内に響いた。 長距離バスは新興住宅地から旧市街の狭い道に大きな車体をねじ込んだ。 古い家並みの剥げた白壁には家と家の堺や巾木、窓の縁取りに青色や黄色など帯状のラインが引かれている。 ポルトガルの旧市街地で、必ず目に飛び込んでくる光景だ。 宗教的であり、魔除け的であり、権力の象徴を表す色彩表現であった。

 「けいの豆日記ノート」
 ガヤガヤとした騒がしさに目が覚めた。 このバスの運転手は、新人だったのだろうか。 休憩所となるカフェの場所をはじめ間違えた。 違うカフェに止まってしまったのだ。 違うことに、乗客全員が気がついた。 もちろん、日本人2人を除いてだが。 みんなが口々に「ちがうぞ。あっちだ。こっちだ。」といっているようだった。 乗客の道案内もあって、無事に休息所となるカフェにつくことができた。 田舎のバスの風景のようで、おもしろかった。

 相棒は寝ているというので、ポーは相棒を残し降りた。 ポーは、トイレが目的ではなかった。一杯のビールが飲みたかった。 乗客15人のうち相棒を残した15人はバスを降りた。 人数に計算間違いはない。運転手のおじさんがいる。 小さなカフェの中は、住民のじいさんたちの溜まり場だ。 そこにバスからの15人が乱入だから、もう店内は満員状態である。 椅子席は常連客、カウンターは女性を交えビールを注文する乗客が占領。 ポーも1杯0・75ユーロ(130円)の冷えた細長いグラスをわしずかみして、グイっとのどに流し込んだ。 ホップの味が喉道をキューッと冷たく通過。 『うまい!』とポーは吐いた。隣の青シャツのメタボのおじさんも『エ ボン!』と吐き、あんたは日本人か?と聞く。 そうだ、というと、おごるからもう1杯飲もうという。オブリガード!(ありがとう!)とポーは素直だ。 2杯目は、乾杯して喉に流し込んだ。

 「けいの豆日記ノート」
 みんながバスを降りていった。 はじめは、降りないつもりだったが、降りてみることにした。 いまだにポルトガルの長距離バスになれてなくて、トイレ休憩のカフェで降りることが不安だった。 「トイレに行っているうちにバスが行ってしまうのではないのか。 なにも買わないのに、トイレだけ借りてもいいのだろうか。」 バスの運転手さんは、乗客の数や顔を覚えているので、乗っていた客なのか、新しく乗ってきた客なのか判断できる。 そのへん、客が少ないので、大丈夫なのだろう。 トイレは、ちょうど最後の女性が一人だけ残っていた。 カギも壊れていなくてよかった。

          《さらにアレンテージョ地方を行く》

 ゆるやかな起伏の草原にひつじたちが点々と散らばり、その数は400頭はいるだろうか。 余りの広さのため車窓からは、頭数把握が難しい。もっといるかも知れない。 羊毛になり、マトン肉になるこの国の大切な動物たちだ。 そのひつじたちが太陽の陽射しの中にのんびりとほとんど動きのない景色として草原を飾ってくれていた。 右に向かって矢印のついた大きな標識に〈Avis〉という文字が見えてきた。 この町の背後に太陽に輝く細長い湖水が見える。久しぶりに見た草原の中の水風景であった。 座席から前方フロントガラスの先には、相変わらず滑走路みたいな直線の道が飽きるほど伸びて見えた。 その時、真っ白な大理石の墓地が視界に飛び込んできた。ポルトガルの墓地は白い大理石集団だった。 ポルトガルのどの地に行っても、墓地は白い大理石の墓碑であった。 その墓碑には、絶やすことがない色とりどりの生花で飾られていた。墓地はどの地に行っても明るく輝いていた。 ポルトガルは、昔から大理石発掘生産が盛んな国であり、品質の良いことでも知られている。

 アヴィスの町を過ぎると、大きな鳥が青い空を背景にして悠然と舞っていた。 白い羽の下部に黒羽を添えて舞う姿はまさに鶴だ。だが、くちばしと脚が赤い。 コウノトリである。コルクガシの木のてっぺんにコウノトリの巣が、車窓から幾つも見えた。 ポルトガルでコウノトリを初めて見たのは、5年前南部のアフリカ大陸が遠望できる中心地ファーロであった。 コウノトリを町中で見たのは、その時が初めて。相棒と早朝からコウノトリの追っかけをした。 高い教会の鐘や高い使用済みの煙突や間近の街路灯に巣を作り、カタカタ長いくちばしを打ち鳴らす。 その音が、コウノトリの鳴き声だと勘違いしたほど初心(うぶ)だった。

 「けいの豆日記ノート」
 日本でコウノトリは、動物園でも見ることはなかった。 それを、以前にポルトガルのファーロに行ったときに見ることができた。 コウノトリのことなど、ガイド本には、一言も書いてなかった。 教会の上に止まっているコウノトリを見て、はじめ観光用の作り物だと思った。 頭が動いたので、動くロボットなのかと思った。 そしたら、空を飛んでいった。ここではじめて本物のコウノトリであることがわかった。 それほど、信じられなかったのだった。 町の中に自由に飛ぶコウノトリがいるなんて・・・

         《小高い丘のポルタレグレ》

 草原の彼方の、小高い丘の上におおきな白い館がオレンジの瓦をのせ青空の中に浮かび上がって見えてきた。 あれが、ポルタレグレか。腕時計の針は4時を15分ほど過ぎていた。 しかし、6月のポルトガルは陽が落ちるのが遅い。夕焼けは夜9時頃だ。 日本では信じられない宵(よい)っ張りだった。 そのためか、ポルトガルの友人と夕食をレストランで食べようと約束すると、それは夜9時だった。 こちらの、夕方だ。それまで腹が鳴って減って耐えていると、いざ食事となったら腹が減りすぎて食欲がなくなるのがポーだった。

 Portalegreの矢印の標識が幾つも車窓を過ぎていく。 観光ガイド本には、スペイン国境に近いポルタレグレは昔からスペインとの戦略の要で、1290年ディニス王が城を築き、16世紀以降はタべストリーやシルクの生産地として栄えた町だとある。 その町に15人を乗せた長距離バスは坂道をまるで最後の力を振り絞って行くように、登っていく。 予定通りの3時間半で、バスターミナルに着いた。ターミナル前は樹木が茂る公園で、人影も少ない静かな町のたたずまいであった。 サグレスビールを奢ってくれた青シャツのメタボのおじさんに、下車したとき「オブリガード!」と声をかけた。 大きな荷物を出迎えに来た車に押し込み、微笑んで手を振ってくれた。

 この地の宿泊先は、予約してある〔ペンサオン・ノヴァ〕だ。 ガイド本の地図には高いホテルの名は載っているが、予約したペンサオンは載っていない。相棒は瞬時に動いた。 トゥリズモ(観光案内所)のマークを探しこの地の地図を入手する算段だ。 しかし、マークを探し当てたが肝心の事務所が見つからない。 『もう、閉めてしまったのかな。早すぎるぜ』と吐く。 一つ息を吐き、相棒は、通りがかったスーパーマーケットのビニール袋を下げた婦人に聞いた。 ペンサオン・ノヴァは何処にあるのかを聞く前に、スーパーマーケットは何処にあるのかを聞き、その後で宿を聞いた。 そこが、相棒の先読み感覚であった。 小柄な人の良さそうな黒髪をきりりと束ねた婦人は、丁寧にふたつの質問に快く答えてくれた。 相棒はお礼の〈折鶴〉を忘れなかった。 婦人は、掌(てのひら)の上に載せられた色鮮やかな千代紙の折鶴に満面の笑みを作った。

 「けいの豆日記ノート」
 ポルタレグレのホテルは、ネットで見つけて、FAXで予約をした。 いつもは、ガイド本に載っている安い宿を見つけている。 ポルタレグレは、2つしか載っていなくて、1つはホテルで金額も高く場所も地図外になり、バスターミナルから遠そうだった。 もう1つは、バスターミナルのすぐ横にある5部屋しかない小さなところで、FAXがなかった。 言葉が話せないものにとって、電話は意味がなかった。
 ネットに載っているホテルは高いところが多い。 でも地道に探してみた。 地図に載っている道の名前と同じ住所のペンサオンを見つけた。 この通りのどこかにペンサオンがあるはずである。 ネットで申し込みをすると返事が来た場合、文章が読めないし、迷惑メールと間違えて消しそうであった。 なので、FAXから申し込みをすることにした。 だいだいの場所しかわからなかったので、現地で聞くしかないかなと思っていた。

 宿は坂道の石畳を7分ほど登った左手にあった。 白い壁の3階建ての各窓には、黄色い縁取りがあり小奇麗な民家のように見える宿であった。 眼差しの柔らかいやや太めの30代の女性が、相棒のパスポートを確かめ、208番号のキーを渡してくれる。 その部屋は3階であった。 (こちらでは1階が0階なので、3階は2階になる。 つまり、部屋の鍵番号208番は2階の8号室である)エレベーターがないので階段を上る。 なだらかな階段は広く清掃もよく、部屋も広かった。 相棒は、下手なホテルより綺麗!と吐き、満足そうであった。 荷を置くと、即、スーパーマーケットに向かった。

 「けいの豆日記ノート」
 どこの町にもあるのがスーパーだ。 市場もあるのだろうが、開いている時間ががぎられている。 買いなれているスーパーのほうが買い物しやすいのである。 水は、必ず必要なので、2L入りのものを買う。 ペットボトルは、大きくても小さくても値段はかわらない。 切った果物は、冷蔵庫で冷えていたりするのがうれしい。

 腕時計は5時を過ぎていたが、空は真っ青であり、陽射しもまだまだ日中だった。 宿から登ってきた石畳を下り、ロシオ広場に接した下車したバスセンターに出る。 緑豊かな公園を東に登っていくと右手にエスビリト・サント教会、ミゼりコルディア教会があり、ビニール袋を下げた人たちが目立つ。 この町の婦人の半分が買い物に来ているのかと思うほど、スーパーマーケットは混んでいた。 どこの町のスーパーマーケットに行っても、魚売り場は目立つ。 真鯛、平目、鯵、鰯、鰻、太刀魚、海老、蛸、烏賊など日本でもお馴染みのラインナップだ。 しかし、刺身状に切った魚はない。

 鱈好きなポルトガルらしく生鮮売り場に干し鱈が山積みされていた。 80センチメートルほどの肉厚の大きな干鱈が1匹9・98ユーロ(1700円ほど)。 日本だったら4000円は越すだろう。 最近、日本の乾物屋でもお目にかかれない立派な干鱈であった。 この干鱈1匹あれば1か月は水に戻しさいて、野菜などと煮たり、オリーブで炒めたりして食卓に鱈味を楽しめる。 生の鱈はポルトガルでも高い。 日本でも薄切り3切れで500円近くはする。 相棒は夕飯を買った。 水(0.12)、赤ワイン700ミリリットル(1.15)、メロン半分(2.07)、ケーキ(2.49)レジ袋(0.02)、計5.85ユーロ(994円)。 メロンやケーキと比べると、ワインの安さには驚く。赤・白・炭酸入りワインの種類の多さにも呆れる

「けいの豆日記ノート」
 スーパーで買ったバウンドケーキはパックにたくさん入っていたので、一切れだけ食べて明日のために残しておこうと思った。 ビニール袋に入れたのだが、しっかり口を閉じてなかった。 ビニールに入っているから大丈夫だと思ったのが失敗であった。 翌日、バウンドケーキをおいた鏡台の横には、アリの行列ができていた。 「え〜そんな〜」 バウンドケーキのパックの中には、アリがいっぱい・・・ 3階の部屋まで、アリは来るんだ。 泣く泣く捨てることになった。

 宿に戻り相棒はメロンを半分食べた。そして、さっ、行くぜと宿を飛び出す。 腕時計は6時半を過ぎたばかりだ。まだ空は明るく青い。少し、ひんやりとはしてきたが、石畳を上って町の中心地に向かった。 この時刻なのに狭い石畳の道は意外と人通りがある。観光客と分かる人もいる。 北欧人らしく思える。半袖半パンツで身体がデカイ男女はすれ違いざま、日本人かと聞いてきた。 相棒がカメラを向けて頷くと、大きな掌を振り笑む。なかなか、いい顔だ。 シントラという町の城跡で、半パン姿で日光浴をしていたノールウエイの新婚さん夫婦を思い出す。

 狭い路地みたいなメインストリートの両サイドは、レストランや中華店、ブティク、電気店、時計店、果物屋、雑貨屋、カフェ、本屋、おもちゃ屋、酒屋など何処も広くはないが明るい店が連なって、あきない。 中華店の前でふたりの娘が掃除をしていた。ニ〜ハオ!と声をかけると、ビクッと振り返った。 発音は悪いが母国語を聞いたためかも知れない。 ポーは、サイチェ〜ン(再見・またね)と言うと、初めてふたりは微笑んだ。相棒に言う。 晩飯を食べに来ようねと。今夜はスーパーマーケットで買い物をすませている。 でもポルタレグレで3泊するから、中華を食べるチャンスはあるはずだとポーは思った。

 「けいの豆日記ノート」
 どこの町にいっても中華店は1軒はある。 小さい町には、ないこともあるが、ほとんどの町にはあった。 もやしの入った野菜炒めなどがある。 それに麺が入ったヤキソバのようなものもある。 どれを頼んでも同じような味である。 タイ米のチャーハンはパサパサである。 でも、懐かしい味付けと当たり外れがないのがいい。 それに急須に入った温かいジャスミン茶が飲めるのがうれしい。

          《ポルタレグレの落日》

 狭い石畳の先に石積みの高いアーチが見える。旧市街地に入るようだ。路地の奥から子供たちの声が聞こえる。 女性の声高も混じる。母親が子供を呼ぶ声かもしれない。 7時を過ぎようとしていた。空はまだ青一色だが、薄暗くなったのは気のせいかも知れないが、ポーの腹は夕食時だ。 市庁舎を過ぎると16世紀に建てられたというカテドラル(大聖堂)が現れた。白壁と花崗岩の壁柱が天を突く。 ファサード(正面に入口)から中に入ろうとしたが閉まっていた。5時半までだった。 カタカタ、と音がした。この音はコウノトリだ。しかし、相棒と見渡したが何処にもコウノトリの姿はなかった。

 肌寒さが増してきた。青かった空が薄い紫色に変色してきた。 城壁にもたれ西の空を見る相棒の姿が、オレンジ色に溶けてきた。 手をこすり合わせ寒さに耐えても、相棒はポルタレグレの夕焼けを見たかったのだ。 夜9時に近い西の空の対面する丘斜面に、夕日が丸く落ちて行く。 雲ひとつない空のため、浮かぶ雲に焼きつく夕焼け空はなかった。 広い広い空がポルトガルの家々の屋根瓦のようなオレンジ色に天空いっぱいに広がっていった。 こんな世界にいられる、ポーを止めないで!

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2010年2月掲載

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