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(出会い・ポルト5)
Portugal Photo Gallery --- Porto 5

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ポルト70
ドウロ川

ポルト71
ドン・ルイス1世橋

ポルト72
ポルトガル発祥の地

ポルト73
ワイン船

ポルト74
カリス・ダ・リベイラ

ポルト75
レストラン街

ポルト76
観光馬車

ポルト77
ワイン樽

ポルト78
ケーブルカー

ポルト79
サン・ベント駅前

ポルト80
キオスク

ポルト81
ひなたぼっこ

ポルト82
いこいの場

ポルト83
出番待ち

ポルト84
母娘

ポルト85
下町の路地

ポルト86
ひとやすみ

ポルト87
駅前のサンタクロース

ポルト88
カテドラル

ポルト89
聖母マリア

ポルト90
ファザード

☆ポルト5の説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンの北約300kmのところにある起伏の多い町である。
ドウロ川の北に広がるポルトガル第2の都市ポルト。
ポルト市民の台所のボリャオン市場は生活を感じさせる場所だ。
ポルトガルいちの高さのクレゴリス教会があるところだ。
2005年よりポルトにもメトロ(ライトレール)が走っている。

「ポー君の旅日記」 ☆ 出会い・ポルト5 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・2≫   === 第一章●ポルトの姐御(あねご)との出会い === 

          《ありがとう ポルト》

 ポルトガルの北部にある第二都市ポルトを初めて相棒と歩いた時、首都 リスボンにはない親しみを感じた。5年前のことだった。 心が何故か嬉しさで踊ったのを今でも忘れられない。 首都リスボンとは何かが違っていた。 両都市とも広々とした川に面し、川の流れ着く先がすぐ大西洋という坂 の多い石畳の町だったが、出会った人々に暖かさを感じた。
 それは、印象的には東京と大阪の違いだったかもしれない。やや乱暴な 切り口だとは思うがそんな気がした。相棒も気がねない人肌のぬくもりを ポルトに感じたのかもしれない。特に、市営市場〈ボリャオン市場〉で出 会ったお店の人達とは、5年前も4年前も3年前にも相棒は会って交流を 深めた。 でも、今年は残念ながらその愛しの人々に会えなかった。哀しかった。 (詳しくは、序章をご覧ください)

 10月23日(月)の午後1時過ぎ常宿にしている〈ペニンスラール〉 を出た。目の前のサン・ベント駅まで3分もかからない。その駅でポルト 住人の日本人YUKOさんと1時半に会う約束をしていた。 彼女は1年前にホームページで知りあった友人だ。ポルトガル人の夫と 大阪で知り合いこの地ポルトに嫁になってきて28年にもなる青森は弘前 生まれの女性だった。
 ホームページでも歯切れの良い《姐御調》の知的なエッセイを書く彼女 にポーは唸らされていた。 NHKの大ヒット番組だと思う全世界同時発信生ラジオ番組《地球ラジ オ》でも、ポルトガルの現状を姐御調の歯切れ良さでリポートしている声 だけは聞いていた。 その《姐御》(と言ってもポーより15歳も若い)と今回初めての出会いだ。
 サン・ベント駅の正面出口前で相棒と待った。 青空から太陽が温かく照り、10月末の石畳を暖めていた。 その石畳の坂道を地下鉄出口から登って来るサングラスで決め茶髪のお かっぱ髪の美女にポーは釘ずけになる。
 〈YUKOさん!〉だと直感的に感知した。 ポーは、サングラスの女性に 手を大きく振った。 サングラスの中で〈二カッ!〉と笑う瞳を見たと思った。
 「けい子さーん! すぎさーん!」と、サングラスが叫んでくれた。 YUKOさん、だった。

「けいの豆日記ノート」
 ホームページで、YUKOさんと知り合うことができた。 もっと前から、知っていれば、過去2回のポルト訪問のときにも会えたのに。 そのときには、ネット自体もやっていなかったのでしかたないことだが。 ネットで知った人と会えるのは、ほんとにうれしいことである。 海外とかでは、ほんとに力強い友人だと思う。 わからないことも聞くことができる。 生活に密着するような疑問は、ガイド本には、書いてないので助かっている。

          《YUKOさんに会えた》

 そのYUKOさんが、言った。 「お昼は、任せてね」 二人にとっては涙が出るほどの最高のお言葉であった。 挨拶もそこそこに駅から坂道を下ると古びた町並みの窓が、ごった返し 状態の景観で迫ってきた。 かつて何度も下ったやや急な坂道をドウロ川に向かって歩いた。 歩きながらポーは彼女と話しっぱなし、相棒は撮りっぱなしだった。
 ポルト生まれの今年リスボン大学を卒業して就職活動も決まった息子の 話や一昨年日本の早稲田大学に行きたいという娘を入学させるまでの苦労 話など、ポーの問いに彼女はこころよくラジオで聞いていた雄弁な調子そ のままに話してくれた。 初めて会ったと言うより再会という雰囲気であった。

 800mも下って来たろうか、スペインを源流とするドウロ川岸に出た。 川は水かさも増し、川幅180mほどを満水し大西洋に向かって流れてい た。昨日まで降り続いていた30年ぶりの大雨のせいだというYUKOさ んの説明で納得した。  懐かしのドウロ川岸だった。 左手に並ぶ大衆レストラン街はポルト住民にも親しまれているカイス・ ダ・リベイラ。この地区は相棒と何度も歩きまわり撮影させてもらった人 々との思い出が詰まっていた。
 朝霧の中を大きな荷物を頭にのせて歩いてくるおばさんの手前でかもめ が一羽大きなあくび?をした瞬間をフィルムに収め歓喜した相棒、釣りを していたおじいさんに釣った魚を持って行けと強制され困った相棒、ファ ッション雑誌の撮影現場に出会い川を背景にポーズを作る黒人モデル嬢の 瞳の美しさに感嘆し持参の自分の写真集をプレゼントした相棒、二階の窓 で飛んでくるかもめに向かってパンくずを投げる魔女みたいなおばあさん に弾ける笑顔をもらった相棒など、沢山の人との偶然の出会いがあった。
 撮影させてもらった人には必ず相棒お手製の千代紙〈折り鶴〉を感謝の 気持ちを込めて手渡した。その担当はポーだった。2日間で18羽が飛ん で相手の手のひらに舞っていった。
 そのカイス・ダ・リベイラのレストラン通りが昼食時で賑わい、店先に 咲く白いパラソルが冬の日差しに鈍く輝いていた。夏場の観光シーズンで もないこの冬場でも人々はドウロ川の景観に引かれランチを楽しんでいた。 特に夕焼け時ともなればどの店も満席になる。 その白いパラソルの先に1886年に造られたという優美なドン・ルイ ス1世橋が青空を背景に迫ってくる。対岸のポートワイン工場が斜面に連 らなるヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアの町に向かって優雅に架かっていた。 二階構造橋の68m上段を、二両連結の黄色い電車が走って来た。 昨年開通した地下鉄であった。その下段を会話も弾み、3人で渡った。

「けいの豆日記ノート」
 ふたりの歩く姿を見ながら、風景を撮り続けていた。 せっかくの道をただ歩くだけでは、もったいないことだ。 つもる話は、ふたりにまかせて、あちこち撮りまくった。 前にも歩いた道だが、何回歩いても違う風景が見えるものだ。 川沿いのレストラン街は、何度みてもいいと思う。 ポルトに来るたびに必ず来る場所である。 レストランには、人が集まるからかもしれない。

          《YUKOさんのおごっつお》

 対岸のガイアの川岸は、芝生の細長い公園風になっていて、市民の憩い の場になっている。子供と遊ぶ母親や本を読む学生、釣りを楽しむ老人、 船着場で遊覧船を待つ家族など対岸とは違う長閑な雰囲気があった。 川岸には、かつて上流の葡萄産地で絞って樽詰めされたワインの原酒を 運んできたラベ−ロと呼ばれた小船が、川岸に20社以上もある各ポート ワイン製造会社の広告塔として列を作ってつながれている。

 サン・ベント駅から45分も歩いた。 そして、YUKOさんが案内してくれたのは川岸にある大きなスペイン 料理店だった。店に入っ時の店員との会話でYUKOさんの馴染みの店だ と思った。 お気に入りの料理を食べさせてくれるのだと、ポーは、その気持ちが嬉 しかった。
 獅子唐のオイル揚げ、蛸の辛味酢もの、ふかふかのハム入り卵焼き、海 老オイル炒め、生ハムに生ビールで乾杯だ。相棒はデジカメで料理を接写 した。自分のホームページに載せる写真はデジカメ撮りだった。 当然、話しは弾んだ。 ポルトガルの暮らし、年金、教育などポーの質問にYUKOさんは丁寧 に応えてくれた。
 相棒は料理を吟味するのに夢中だった。 4時、YUKOさんとの別れの時間が来た。すっかりご馳走になり話し 込んでしまった。彼女が別れ際に言った。ポルトにいる間に主人と夕食を ご一緒しないかと。 依存がある筈がない。3日後の夕方ならドウロ川上流の町からポルトに 戻っているので、その日に決めた。

「けいの豆日記ノート」
 いつもの貧乏旅だと豪華な食事など無縁である。 たまに入ったレストランでも安いものしか頼まないので、何がでてくるのかわからない。 当たり外れがあるのはしかないことかもしれない。 スーパーマーケットでは、知っているものしか買わない。 (日本でも食べれそうなもの=果物、ハム、シーチキン、ヨーグルトなど) かわったものを買って食べれなかったりするともったいないので。 普段の食生活がそんななので、たまには、ポルトガルのおいしいものを食べたいと思う。

          《下町慕情に再会》

 サン・ベント駅に向かう坂道の途中でYUKOさんと別れた。  「この路地は映画ロケがあったところよ」という彼女の一言で別れたの だ。その路地の狭い石畳の坂道を登ってみた。 確かに、狭かった。路地の両側は古いアパートメントハウスが洞窟のよ うに奥に奥に連なっていた。そこでは市民の日常生活が垣間見えた。
 洗濯物が両サイドの窓から色とりどりに陽射しもない通路に干され、上 階の窓から路地に向かって叫ぶ女の声が降ってくる。横道の更に狭い通路 から少年が飛び出し上に向かって叫ぶ。上からの声は母親なのかもしれな い。出入り口の石段に座り話し込むおばあさんが会話をとめる。撮影する 相棒に目をとめ微笑む。ポーがオブリガード(ありがとう)と言って近づ き折り鶴を渡しながら説明する。折り鶴を手に黒い瞳を輝かせオブリガー ダと言い嬉しそう。
 小窓から忙しく動く女の姿が見える。美味そうな匂い が漂ってくる。炒め物の料理中のようだ。大きなペットボトルを両手に歩 いてきて相棒に声をかけるおじいさんがいる。ジャポネーザ(日本人)と 応え、アグア(水)と聞く相棒。ボトルを差し上げ、そうだとおじいさん は笑って答えポーズをとる。その度に折り鶴が飛んでいく。

 路地の角に古びた小さなカフェがあり、片側の扉は開けたままになっている。 カウンターで男達が煙草を吸いながらワインを傾けている。棚に置かれたテレビ画 面に向かって叫ぶ。フットボール(サッカー)の中継映像だ。開けても暮 れてもポルトはフットボールの話題で一日が持つ。
 ポルトには収容人数5万2000人のドラゴンスタジアムがありFCPortoの本拠地だ。 その古びたカフェからはポルトガルの艶歌ファドが流れてくる雰囲気は今はない。 ぶち模様の猫がのそのそ現われ足を止め、ちらりと相棒を盗み見しすっと 小走りでカフェに吸いこまれていった。

 その路地を抜けると目の前にカテドラルの勇姿が開けた。 かつて要塞として建てられた12世紀のもので、17世紀から18世紀 にかけて改修がなされたカテドラルであった。
 5年前そのカテドラルで偶然出会った結婚式を激写して〈パパラッチ!〉 とからかわれた相棒が参列者に笑顔で迎えられたあの大聖堂だった。 個展での作品《誓いの儀式》の舞台だった。カテドラルから今歩いてき た狭い路地を見た景観は、すでに作品《下町慕情》というタイトルで発表 していた。

「けいの豆日記ノート」
 カテドラルの結婚式は、偶然だった。 カテドラルを見学していたとき、結婚式と遭遇した。 終わるまで、待っていようと思った。 後のほうの席に座って、待っていた。 話が長い。ほんとに長い。待ちくたびれた。 でも、そのおかげで、写真が撮れた。 ふたりが、教会から外に出る後姿を撮ったものだった。

          《地下鉄の乗り方伝授》

 手持ちのお金(ユーロ)が乏しくなった。 前回の旅での残金で取りあえず過ごしてきたが、明日からの旅に出るには換金しておかねばならない。 銀行はもう閉まっていた。空港に行って換金だと相棒が決めた。
 出来たばかりのメトロ(地下鉄)に乗りたいのだ。 相棒は首都リスボンのメトロを看破していたからだ。 4路線のどの駅で乗り換え、何処で降りれば何処行きのバスターミナルがあるなど一度通っ た駅は犬のように忘れなかった。 ポーは、犬も歩けば猫も歩くの猫だった。
 サン・ベント駅のメトロ乗り場で当惑した。 乗車券の買い方が判らなかった。 購入方法は大きな掲示板に書いてあったが読めないので迷う。 YUKOさんに聞いておけば良かったと後悔した。
 しかし、困ったときの底力。相棒の行動は観察から始まった。 乗客が機械でどう購入するかの観察だ。 ほとんどの人がカードを持っていて、カードを差し込んだ後に85セントを コインの支払い口に入れるとカードが戻ってくる。 85セント以上入れる人は行き先駅ゾーンで運賃が違うからだと理解した。

 10人ほど観察していたがカードを持っていない人が現われない。 困惑しているそんな時だ。 黒髪が似合い笑みが美しい大学生風の女性が声をかけてきた。 空港に行きたいと相棒が言うと、一つ一つの工程を相棒 に確認しながら教えてくれた。カードが出た。もう一枚必要だ。 相棒が教えられた通り実行した。カードが出た。彼女は相棒に拍手を送 ってくれた。ポーも拍手していた。 カード一枚にこんなに感動するとは思わなかった。
 そして、彼女はこっちに来てと手招いた。 通路に高さ1mほどの装置が立っていた。 20cmほどの黄色板中央にカードを押し当てろという。 カードを相棒が当てると音がして青いランプがついた。 これで乗車駅がカード記入されたので乗車できると彼女は微笑んだ。 勿論、親切な彼女に感謝の折り鶴が飛んでいった。

 旅では、困ったときの観察力が大切であり、優しい人との出会いが必要であった。 カードには基本料金が打ち込んであるので終身使えるのだ。 もしカードを紛失したらまたカードを新調しなければならない。 日本みたいに単純に乗車券購入ができればいいのにとポーは思った。 それにホームに入る改札口がない。 あのスキャナー装置が通路に立っているだけだ。 乗車券を買ったのだから安心してメトロに乗ってしまいかねない。
 この儀式みたいな手順をしないと、車掌の検札にあった時トラブルとな ると、YUKOさんが食事時失敗談として語ってくれたことを思い出す。 乗る時カードをスキャナーに当てなかったために無賃乗車扱いになり、 70ユーロ〔10500円)の罰金をかせられたと憤慨していた。

「けいの豆日記ノート」
 ポルトのメトロに、初めて乗ってみようと思った。 カードが永久的に使えるので捨てないようにという話は聞いていた。 区間の料金が細かく設定されているので、行く場所を料金表から確認しなくてはならない。 リスボンのように均一にしてくれれば、いいのに。 メトロ駅構内に、端っこに駅の名前があるだけで、ほかには、なんの記載もない。 広告がありすぎるのもどうかと思うが、なんにもないのもどうかと思う。 もう少し、親切な表示は、できないものかなあ。

 メトロ路線には、青・黄・赤・緑・紫の5ラインがあった。 車内は二人がけの向き合い席で広く座りごこちも良かった。 しかし、メトロは地下鉄ではなかった。地下を走っていたのはほんのわずか。 後は空港までずーと地上を走っていた。 空港での換金も無事すんだ。 手数料も入れ、1ユーロ162円のルート換金だった。 夕方7時前ホテルに戻り万歩計を見ると、23368歩になっていた。
 名古屋からポルトまでフランス経由で20時間ばかりかけ、真夜中に宿に 着き4時間も眠らず、しかも9時間の時差ぼけもなく良く歩き回ったものだと思う。 サン・ベント駅の建物を照らす灯りが窓辺から射し込んでいた。

                              *「地球の歩き方」参照 *

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。次回をお楽しみに・・・・・・・2008年1月掲載

関連写真===≪ポルトガル写真集≫の中のポルトはこちらです
冬のポルト   ワイン船のポルト   牛刺しの誘いのポルト   前途多難の予感のポルト

☆ ポルト Porto シリーズです ☆
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