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ポルトガル写真集(アズレージョ工房のヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン)
Portugal Photo Gallery --- Vila Fresca de Azeitao

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ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン1
工場

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン2
ジョゼマリア会社

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン3
ゴムの木

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン4
境界線

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン5
標識

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン6
工房発見

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン7
タイル工房

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン8
アズレージョ・鳥

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン9
アズレージョ・花

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン10
アズレージョ・よっぱらい

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン11
工房の部屋

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン12
技術者

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン13
切り取られたアズレージョ

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン14
色つけ作業

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン15
手描きのアズレージョ

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン16
ゴムの収穫

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン17
繊細な仕事

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン18
タイルを焼く

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン19
販売店

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン20
タイルの部分

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン21
アズレージョ・船

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン22
売り家

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン23
自家用馬

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン24
ヤシの木

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン25
青と黄色のパラソル

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン26
散歩

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン27
ツバメの巣

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン28
ハナいっぱいの家

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン29
国旗

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン30
町はずれの教会

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン31
反対側のバス停

ヴィラ・フレスコ・デ・アゼイタオン32
続く道路

☆ヴィラ・フレスカ・デ・アゼイタオンの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンからテージョ川を渡った対岸のセトゥーバルの近くのアゼイタオン。
こじんまりとした町ながらアズレージョの工房があり、歴史と文化の香りが漂う。
サン・シマオン・アルテは16世紀の手法でアズレージョを作っている小さな工房である。
15世紀からアラブから伝えられた装飾タイルは、
16世紀にはポルトガル独自のアズレージョへと華麗に変身していった。

「ポー君の旅日記」 ☆ アズレージョ工房のヴィラ・フレスカ・デ・アゼオタオン ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2008紀行文・18≫
    === 第五章●リスボン起点の旅・テージョ川対岸 === ヴィラ・フレスカ・デ・アゼイタオン

 〈ヴィラ・ノゲイラ・デ・アゼイタオン〉の田舎町はアゼイタオン地方の中心地。 そこにあるポルトガルでも名高いアデーガ(ワインセラー)を撮影させてもらった。 長年呼吸し続けているワインが大きな樽の中で熟成されていた。 薄暗い酒蔵の中で整然と並ぶ樽の姿からは、息を潜(ひそ)め呼吸する喉笛(のどぶえ)が響いてくるような神秘さすら感じられた。

          《ヴィラ・フレスカ・デ・アゼイタオンに向かう》

 外に出た。陽射しは、相変わらず強い。腕時計の針は、午後3時半を回っている。 隣町〈ヴィラ・フレスカ・デ・アゼイタオン〉にあるアズレージョ工房を目指した。 相棒は、さっき降りたバス停で調べておいたメモ帳の時刻表を見た。
 『バスはないよ。バスで6分、歩いたって20分もかからない。歩くぜ!』

 ポーは素直だった。相棒の先見を頼りに、従った。民家も見当たらない自動車道を黙々と歩く。 通過する自動車はとぎれとぎれだが、意外と多い。 この先にあるリスボン、ポルト、コインブラに次ぐポルトガル第4の都市セトゥーバルがあるからだろう。 だが、道を歩く人影はない。腰につけている万歩計を刻む歩数が聞こえてきそうな炎天下であった。

 道端には、老木のコルクカシが陽射しの中で、置き忘れられた街路樹のように点々と植えられている。 幹の表皮を縦長に、80センチメートルほどぐるりと剥ぎとられた姿は痛々しい。 表皮はコルクになるが、もう何年も前に剥ぎとられ修復の手当てもされずそのまま放置されている。 この一帯は、かつてはコルクカシ林であったのかもしれない。 世界のコルク生産75パーセントを占めるポルトガルだ。 その一役をになってきたに違いない老木たちは、朽ち果てるまで、路傍でたたずんでいなければならないようだ。

 「けいの豆日記ノート」
 バスは、2時間に1本くらいしかなかった。 地図でみると歩ける距離だと思っていた。 手描きの簡単な地図では、1本道をひたすらまっすぐに歩くだけのようだった。 町の目印はなにもなく、アズレージョ工房だけ印がついている。 日本だったら、ぜったいにたどりつけないアバウトな地図であった。 両側になにもない(正確には家がない)道を歩くのは、かなり不安である。 ほんとにこの道で大丈夫なのだろうか・・・

          《馬上のおじさんに会う》

 白い壁にオレンジの屋根瓦の集落が見えてきた。20分のはずが30分を過ぎていた。 道中で相棒のカメラが、何回も鳴った分だけ当然時間はかかる。 撮影の旅だ。撮りたいとき、撮る。そのための旅であった。 出会いは、突然やってくる。聞き慣れない音が飛び込んできた。 目の前を、パカパカひずめの音を響かせた馬上のおじさんが通り過ぎて行った。 即座に、相棒のシャッターが鳴る。この地では、馬で散歩する姿がなぜか似合っていた。 一本道の景色は、広大なぶどう畑しかなかったからだ。相棒がおじさんに声をかけた。

 『ボア タールドゥ! デスクープ』(こんにちは!お引き留めしてすみません)  おじさんは馬をとめ、振り向いた。葡萄農園のご隠居さんか、知的なお顔であった。相棒はすかさず吐いた。  『ポッソ ティラール ウマ フォト?』(写真を撮ってもいいですか?) 相棒の手持ちのポルトガル語の中でも、言い慣れた言葉だ。 言い慣れた言葉というより、必需品みたいな言葉だった。 そして、撮影した後は手折りの折鶴をもらっていただく。

 『オブリガーダ!』ありがとう!と、相棒。頭を下げて笑顔で、礼を言う。 それが撮影させてもらった証の了解儀式でもある。 身を折って手を差し伸べて、お礼の折鶴を受け取ってくれた馬上の、おじさんの笑顔は晴れやかであった。

 「けいの豆日記ノート」
 普通に馬に乗って道を歩いていた。 馬は、観光地とかの馬車しか見たことがない。 騎兵隊のパレードでは、馬に乗っていたけど、イベントだった。 日常のひとコマのように、車に乗るように馬に乗っていたのである。 急いでいるわけでもないのだが、馬なので、あっという間に遠くにいってしまった。 ラッキーなワンショットであった。

          《目的のアズレージョ工房》

 道が二股に分かれている。おじさんはひずめを響かせ、右手セトゥーバル方面に進む。 相棒はおじさんに手を振って、左手に折れた。  『ここだよ、この一帯が〈ヴィラ・フレスカ・デ・アゼイタオン〉だよ、きっと』 二股を曲がったところに古い建物があり、白壁は剥げ落ち地肌がむき出しになっている。 だが、アズレージョ(青い装飾タイル)の文字看板だけは、しがみついて残っている。

 縁取り模様のタイルに囲まれ、十字架を持つ男の横に、S.SIMAO ARTEの装飾文字が青く焼かれ目に飛び込んできた。  (SIMAOのAの上には〜がつく)  ≪サン・シマオン・アルテ≫ 目的のアズレージョ工房であった。 しかし、もうひとつの小さな板に、電話番号とVENDE−SEと書かれた看板に目が走る。 売り家!ということは、目的の工房は、ない。唖然とした。

 『そんな〜!』と、相棒は吐き、息を呑む。 相棒は先に向かって走り出し、10メートルほどの次の路地を右に折れた。 放し飼い状態にしておくわけにはいかない。ポーが3歩ほど歩き始めた時、相棒が路地から飛び出した。 満面の笑みだった。獲物を追いかけ、しとめた喜びに見えた。『あったよ〜!』

 「けいの豆日記ノート」
 ポルトガルに行きはじめたころは、『VENDE−SE』の意味がわからなかった。 何度めかの写真展で、『VENDE−SE』の看板がでた家の写真があった。 「これは、『売り家』という意味なんですよ。」 と、ポルトガル語の堪能の知人に教えてもらった。
 それから、ポルトガルの撮影取材に行くときの見方が少しかわったように思う。 町並みの中で、『VENDE−SE』という看板がすごく多いことに気がついた。 市街地の古い家を修復するのは高くつくから、 郊外の生活に便利な場所に住むようになるのだろうか。

          《サン・シマオン・アルテ》

 あった。目的の《サン・シマオン・アルテ》アズテージョ工房が。 路地を折れた左手に平屋の建物があり、入口にアズレージョの絵看板が立てられていた。 ポーはその絵柄を見て嬉しくなった。 枠飾りタイルに囲まれた中に、正方形の30枚のタイルで構成されたアズレージョ画は、まるで額縁に入った一枚の絵画であった。 そのアズレージョ画は、ワイン蔵で5人の神父さんが樽から赤ワインをグラスになみなみと注ぎ、嬉しそうに飲み交わしている。 その表情やしぐさには人間味があふれユーモアで満ちていた。

 ポーの脳が揺れた。 メタボのおじさん演奏者たちをテーマにしている油絵画家・田中敏夫さんのことを、この地アゼイタオンで思い出してしまった。 それが、なぜかポーは嬉しかった。(田中さんに後日見せるために、ポーはコンパクトデジタルカメラで撮った)

 石畳の敷地の左手にアズレージョ商品売り場があり、その先に、明りとりがある吹き抜けの大きな建物がある。 製作部屋のようだ。 当然、アポイントメントは取っていない。いつも、ばったりばったりの撮影取材である。 その許可を取るのは、ポーが担当だ。と言っても、ポルトガル語に堪能ではない。 ただただ、熱意と誠意いっぱいの努力表現しかない。どうしても撮りたいという情熱のみでのアポイントだ。

 応対してくれたのは40代後半の赤い半袖シャツを着た小太りの温和な人だった。その人が、経営者であった。 彼は言った。言った言葉は分からない。持参のメモノート帳に書いてもらった。即、持参の小型[ポ日辞典]で引いた。  「16世紀以来の、ポルトガル人のアズレージョ技の、その職人技を蘇らせしたい。祖先からの技を伝承したい。 その一心で・・・」と。我流の翻訳である。

 「けいの豆日記ノート」
 アズレージョの工房ははじめて見た。 以前、リスボンのアルファマ地区にいく途中にアズレージョを売っている店の横の部屋で見たことがある。 ガラス越しにタイルに絵付けをしている人がみえた。 中に入れてもらって写真を撮ったことがある。 2枚くらい撮ったら、出ていくようにいわれた。 今から思えば、観光用に絵付けをしているところを見せていたのだろう。 お土産用の路面電車の絵ばかりだった。

          《ポルトガルのアズレージョとは》

 ここで、アズレージョの歴史をポーなりの知る限りで、端的に述べたい。

 [15世紀] スペインのムーア人からポルトガルに。ムーア人はペルシャから習得。 アズレージョという語源はアラビア語。曲線、幾何学模様が主流だった。

 [16世紀] アズレージョは、15〜16世紀の初めまで壁を飾る。 16世紀にポルトガルのベージャに。ほとんどポルトガルは輸入したタイルに頼っていた。 スペイン・イタリアから陶工が16世紀ポルトガルに来る。このころポルトガルにアズレージョ工房ができる。 リスボンのサン・ロッケ教会内の、聖ロクロの奇跡は1584年にできたポルトガル初めてのアズレージョを組み合わせた構図である。

 [17世紀] 1687年から1698年、アズレージョ輸入を禁止。 地元で作った青白の造形タイルが修練を積んだポルトガルアズレージョ作家によってデザインされていく。

 [18世紀] 巨匠の時代と言われるポルトガルのアズレージョ黄金時代となる。 国内で高まったアズレージョ技法は教会、修道院,宮殿などに満ち溢れる。

 [19世紀] 装飾タイルの生産は不振になる。原因は、ナポレオン軍の侵略。 そして、1840年代、ブラジルからの移民がポルトで産業化したタイル生産で、ポルトガルの人々はアズレージョで自宅を飾る。

 [20世紀] 新しい時代に入り、アズレージョ作家らが装飾皿や風刺のきいたアズレージョ画を編み出し、 アズレージョタイル想像作家を確立していく。

 その一人のアズレージョ作家に、偶然会えたのも、歩け歩けのケチケチ旅が与えてくれた。 そして彼は、好きなように、どこでも撮っていいよ、と。 放し飼いにされた相棒の、カメラのシャターの音が音符のように快く鳴り響いた。 その間も、オーナーはアズレージョ絵柄設計図を軽やかに描き続けていた。なんと、こころ広い経営者だ。感服した。 名も知れぬ日本から来たカメラマンに、職場を自由に、撮れと言ってくれた。これは、凄いことかもしれない。 嬉しさで、相棒のシャッターを押す指先が感謝で震えているのを、ポーは見た。

 「けいの豆日記ノート」
 アズレージョというと、薄いタイルに描かれた絵だと思っていた。 お土産店に売っているアズレージョがそうである。 1枚で絵になっているものが多い。 額に入ったり、鍋敷きになっていたりする。 数枚がセットになって絵になってるものもある。 どれも厚みが5mm〜1cmないくらいの薄さであった。 この工房の横にタイルを売っている店があった。 そこのタイルは2〜3cmくらいの厚さであった。 なので、1枚がすごく重い。 お土産用にアルファベットをデザインしたタイルが売っていた。 1番安いタイルで、10ユーロだったと思う。 記念に1枚と思ったが、重さも値段も重くて、やめにした・・・

          《体験的ポーのアズレージョ世界》

 ポルトガル6回の旅で知ったアズレージョ。ポーが記憶に残る各地アズレージョを紹介したい。

 ○ リスボン [ポンバル侯爵広場近くにある体育館の外壁にあるアズレージョ]

 ○ ポルト [サン・ベント駅舎ホール壁のアズレージョ。カルモ教会外壁のアズレージョ]

 ○ シントラ [ペーナ宮殿のアズレージョ]

 ○ コインブラ [サンタ・クルス修道院のアズレージョ]

 ○ ギマランイス [ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会の壁面アズレージョ]

 ○ ペソ・ダ・レグア [町の通りにある昔のワイン造り工程のアズレージョ]

 ○ ケルース [ケルース宮殿のアズレージョ]

 ○ トウア [トウア駅舎外壁周囲のアズレージョ]

 ○ ピニャオン [ピニャオン駅舎外壁周囲のアズレージョ]

 ○ ブサコ [宮殿ホテル外壁と内階段壁面のアズレージョ]

 ○ ラーゴス [サント・アントニオ教会の壁アズレージョ]

 ○ ラメーゴ [ノッサ・セニョーラ・ドス・レメディオス教会のアズレージョ]

 ○ ポルトガル各地の、一般家庭の玄関先にある番地アズレージョ。

 ポルトガルは何処に行ってもアズレージョで飾られていた。まさに、ポルトガルは国中がアズレージョの博物館であった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2011年1月掲載

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