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ポルトガル写真集(聖アントニオ祭当日のリスボン8)
Portugal Photo Gallery --- Lisboa 8

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リスボン240
アルカンタラ展望台

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サン・ジョルジェ城

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テージョ川

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グロリア線終点

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バイロ・アルトの入り口

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展望台の像

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展望台からの絵

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女性運転手

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らくがき

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待ち時間

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ラヴラ線終点

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ラヴラ線ケーブルカー

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トラックも通る線路

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日当たりのよいベランダ

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映画館

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ミュージカルの広告

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レストラン街

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マネキン

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メニューをどうぞ

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フィゲイラ広場

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サント・アントニオ教会

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露天市場

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アントニオ像

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ろうそく

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白いドレス

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カテドラル

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売り子

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マンジェリコ

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カテドラルのファザード

リスボン269
パイプオルガン

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炎

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対になったパイプオルガン



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カテドラルからの町


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15番CM路面電車1

リスボン274
15番CM路面電車2

リスボン275
15番CM路面電車3

聖アントニオ祭パレード前半はこちらからどうぞ!    聖アントニオ祭パレード後半はこちらからどうぞ!

☆リスボン8の説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
聖アントニオ祭当日は祭日のため、ほとんどの店が閉まりひっそりとしている。
前夜祭の賑わいと異なり、町が急に静かになる。
アントニオが生まれた跡地に造られたサント・アントニオ教会では、ミサが行われる。
多くの人が集まり、愛の神の聖アントニオを祝うのである。
聖アントニオは、たくさんの奇跡をおこしたりして生前から人気が高い。
マンジュリカというハーブの鉢植えに愛の言葉をつけて送ると願いがかなうといわれている。

「ポー君の旅日記」 ☆ 聖アントニオ祭当日のリスボン8 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2008紀行文・14≫
    === 第五章●リスボンの守護聖人の祭り・聖アントニオ祭当日 === リスボン 8

          《旅は良薬》

 昨夜はバタンキューであった。宿に帰ってきたのは深夜2時。 ベッドに倒れこんで、そのまま眠りに落ちていった。  腰に着けていた万歩計をはずした時、見えた数字は28841歩。 よくもまあ、歩き回ったものだと消えいく脳で垣間見た。 昼中は一日中リスボン市街を歩き回り、夜は9時から群衆の中で立ったまま4時間もパレードを最後まで見てしまい、 さらに宿に戻る石畳の長い上り坂では、ふくらはぎがつりそうになるのを堪(こら)えた。その疲れがドッと襲ってきたのだ。 だから、万歩計を腰からはずすのが最後の力であった。決して歳のせいではない。

 しかし、今朝の目覚めもいつもの清々しい寝起きであった。 特にポルトガルでの一日二万歩の旅では眠りに切れがあり、日々粗食であったが身体にも切れが出た。 まるで、旅そのものが、良薬のように身体に染み込んでいくように感じていた。 がん患者が好きな旅を続けている間に、がん細胞が消滅していたという事例を聞いたことがある。 まさに、旅はポーにとって良薬であった。

 「けいの豆日記ノート」
 聖アントニオ祭前日のパレードをはじめてみた。 あんなに延々と続くパレードとは、思っていなかった。 2時間くらいで終わるものだと思っていたら、とんでもない話だった。 リベルダーデ通りをただ踊りながら歩くだけではない。 何ヶ所かに10段くらいのベンチで両側に観覧席が作ってある場所がある。 その観覧席の前では、行進をやめて、踊るのである。 ステージで踊っているようなものだ。 そのステージを20〜30グループも見るのである。 時間がかかるわけである。

          《モーニングタイム》

 6月13日(金)の朝空も真っ青だった。ポルトガルに来て9日間連続の快晴である。 晴れ男ポーのなせる業と思いたい。それはさて置き、宿で出してくれるモーニングはしっかり食べる。 一日の活力の基は、朝にあった。宿泊代が安い分モーニングも質素だが、焼きたてのパンだけはうまい。 薄切りのハムとチーズは3枚重ねにしてパンに挟み込み、コーヒーにはたっぷりの牛乳を注ぎ、冷たいオレンジジュースで、腹を満たす。 日本にいるときには考えられない朝の食欲である。 握りこぶしほどの表皮がこんやり焼けたパンは中身ふっくらもち肌。 3個は食べる。昼食が何時になるか予想がつかないからだ。 それにコンビニもないし、昼食時どこを歩いているかもわからない。 だから、モーニングタイムは相棒との会話もない。 ふたりは毎朝、ひたすら食べていた。

 「けいの豆日記ノート」
 安い宿でもモーニングだけは楽しみである。 朝は、お腹が空いているのでなんでもおいしい。 というと失礼かな。 安宿にはよくあることだが、パンが前日のものと当日のものと混じっていたりする。 見た目はわからないが中身のやわらかさがちがう。 食べるのなら少しでもおいしいほうがいいに決まっている。 牛乳好きなのでコーヒーにたっぷりの牛乳もうれしいものである。 なんと安上がりな・・・

          《指定席》

 昨日、南蛮渡来復元カステラやケーキ、それに生鮭の浸け丼や天丼もあるカフェをリスボンのコメルシオ広場近くで 開業している智子さんに聞いた〈サント・アントニオ教会〉に向かった。 国民に縁結びの聖人として親しまれていた僧侶サント・アントニオが祀(まつ)られている教会だと教えられた。  特に今日は、彼の〈聖アントニオ祭〉であり、しかもポルトガルの祝日でもあった。 昨夜の前夜祭では、リスボンの中心地リベルダーデ通りで4時間にも及ぶ踊りの祭典パレードを満喫。 観衆は、ブラジル系やアフリカ系の若者が目に付いた。 その一群の中に潜り込んだ相棒は仕切りの鉄柵越しにシャッターを切っていた。 勿論、ボディガード役のポーは相棒の背後から身を挺(てい)して撮影しやすいようにガードした。 ポーの隣にいたアフリカ系の少女は、大きな黒い瞳を輝かせ華やかな衣装で踊るパレードに向かって叫び続けていた。 恋人なのだろうか。アントニオー!アントニーオ! 縁結びの聖人の名前と同じに聞こえた。

 そのリベルダーデ通りは、昨夜の熱気いっぱいのパレードが発した音楽と拍手と歓声を、 すべて生い茂るプラタナスの大樹が吸収し、いつもの爽やかな首都リスボンのメインストリートに戻っていた。 塵(ちり)一つ落ちていない石畳に、プラタナスの葉が揺れる葉影を映す。 石畳に投影された影は夏の始まりを告げる陽射しでスローテンポに踊って見せた。 相棒の歩調にも、テンポがあった。 疲れたという言葉を忘れてしまったかのような軽快な歩幅である。 心に響く人々との出会いを求め、今日も相棒はカメラマンの目線を配しながら石畳を下って行く。 待っていては求める人には決して出会えない。歩くことで初めて求める人が現れるのだ。相棒は呟(つぶや)く。 『ポー、あったかい写真が撮りたいね〜』と。 リベルダーデ通りは歩く人影がまばらであったが、いくつも並べられているベンチにはお年寄りが座り静かに語り合っている。 昼間のベンチはお年寄りたちの、語らいの〈指定席〉であった。

 「けいの豆日記ノート」
 前夜祭などなかったかのようなリベルダーデ通りであった。 すっかり平常に戻っていた。 休日のために車も人も少なかった。 あんなにたくさんの人たちは、今頃、家のベットで寝ているのだろうか。 パレードで踊っていた人たちは、熟睡しているのでしょう。 疲れてでなく、酔いつぶれてかな。

          《カルサーダス》

 ヨーロッパ大陸最西端の首都リスボンは7つの丘の都といわれているほど起伏がある。 つまり坂道だらけである。だから、100メートルや200メートル、いや300メートルもの上り坂は当たり前。 しかも、その坂道は、ほとんど車道も歩道も石ころを敷き詰めた石畳である。  石畳に敷かれる石は石灰岩が多い。石灰岩は雨水を吸収し、濾過してくれる。 その水をポルトガルでは昔から農業用水などに活用してきた。まさに、エコ。 そのエコロジーである石畳をポルトガル語で「カルサーダス」という。 カルサーダスは様々な模様空間を描き町の景観を作っていた。 通りや広場ごとに石畳のデザインが違うのだ。 だから、その石畳模様を楽しむ散策も悪くない。

 石畳模様の原型を見たことがある。いろいろな色彩の大理石などを床に植え付けた装飾技法(モザイク)だ。 大学の町〈コインブラ〉からバスに乗って1時間ほどの〈コニンブリガ〉。 小さな町であったが、ここにポルトガル最古のローマ遺跡があった。 そこで紀元前2世紀に造られたといわれるモザイク模様を見た。繊細で美しい敷石模様であった。 発掘保存がよく風雨にさらしておくには欲しいと思う。 まだこの遺跡は発掘中であったが、貴重な広大な遺跡である。 ポルトガルの町並みが美しいのは、この遺跡に宿っていたのかもしれないとポーは思った。

 白や黒、グレーの石ころでデザインされた花柄模様のリベルダーデ通りを下っていた。 一日二万歩を目標に歩くポーは登山靴である。その方が歩きやすいし、疲れない。 6回の取材旅で2足目をはいているが、もう靴底がいたみ替え時だった。  ともあれ、リスボンは坂道だらけである。 そのため首都には3か所にケーブルカーがあった。 相棒は地下鉄・路面電車・ケーブルカーを1日何度も乗れる〈一日券〉を3.5ユーロ(460円)で、 ポンバル侯爵公園の地下にあるマルケス・デ・ポンバル地下鉄駅で買う。 買ったら元を取り戻したくなる。つまり、乗らなければ損だと思う。 目的はサント・アントニオ教会に行くのだから3つ目のバイシャ・シアード駅で降りなければならないのに、 次の駅アヴェニーダ駅で『ポー、降りるよ!』だった。 さらに『ポー、ケーブルカーを2つ乗るぜ!』であった。 疑問だらけのケチケチ根性である。でも、これも旅だった。

 「けいの豆日記ノート」
 1日乗車券は、お得である。 ケーブルカーもそのたびにチケットを買うことを思えば、4回乗れば元がとれる計算になる。 ケーブルカー、路面電車、バス、地下鉄、サンタ・ジェスタのエレベーターに乗り放題はうれしい。 路面電車は、始発から終点まで乗り、また引き返したりする。 さぞや、すてきな景色が見れるだろう。 と思ってはいるのだが、電車のガタガタの揺れがとても気持ちがいい。 なので、すぐに眠りについてしまうのであった。 なんともったいないことだろうか。 1日乗車券を買ったときしか、ケーブルカーや路面電車に乗らない。 ない日は歩くのである。 歩く日は、写真が撮れるのである。

          《ケーブルカー》

 まず、リベルダーデ通りの東側にある路地を入ると、ラヴラ線のケーブルカー乗り場がある。 黄色い車体は、黒いスプレーで文字の落書きがされている。 リスボンの町はこの手の落書きが多い。とくに路地裏の壁面は目に余る。 落書きはアートではない。見苦しいだけである。その落書きされた車体に乗り込んだ。 1日券を指定の装置に当てるとピッと鳴る。乗車OK。 乗客はふたりだけだった。5分ほどで急斜面を昇る。歩けばお年寄りなら20分はかかるだろうか。 それほどの高低差があった。降りてすぐに〈モラエスの生家〉がある。 ヴェンセスラウ・デ・ソウザ・モラエス(1854〜1929)は日本に住み日本人と結婚し、日本を世界に紹介した作家である。 (彼について話すと感動的に長くなってしまうのでまたの機会にしたい)

 再びリベルダーデ通りを下ると、地下鉄のレスタウラドーレス駅の手前右側にグロリア線のケーブルカーがある。 こちらの方が長い。両脇を民家の白い壁が迫る。 もちろん急斜面を昇る。運転手は女性だった。ポルトガルの女性は、たくましく働き者だ。 観光客の女性たちが短パン姿で賑やかである。 8分ほど乗れば、リスボンの町が一望できる展望台が待っている。 そのため乗客が多いケーブルカーだ。耳元で相棒のシャッターがひとつ鳴った。

 降りると右手に小ざっぱりした公園がある。 〈サン・ペトロ・デ・アルカンタラ展望台〉だ。 バイシャ地区にある〈サンタ・ジュスタのエレベーター〉より高い位置からの視点でリスボンの家並みが広角的に見える。 目の前にオレンジの屋根と白い壁がさざ波状に遥か彼方の〈サン・ジョルジュ城〉に押し寄せていく。 夕暮れ時には町並み全体が、黄金に輝く。まさに、リスボンの郷愁。ファドの歌声が忍び泣くようだ。 7つの丘を持つリスボンの痺れるほどの景観が堪能できる。

 この公園の坂道を登ると横地さんが経営するリスボンでは老舗の日本料理店「Novo Bonsai」がある。 横地さんとは公園の坂道で偶然知り合った。相棒が安宿から飛び出しぶつかった人が、横地さんであった。 それがご縁でリスボンに来るたびにお世話になっている。 北海道からの一人旅の女性と知りあったのもこの店である。 相棒の写真展にも来てくれた。

 「けいの豆日記ノート」
 2回目のポルトガル訪問のときであった。 グロリア線ケーブルカーを登ったところにホテルを予約した。 年代物の建物のホテルというよりペンサオンであるが。 出かけるので入り口の前で待っていると、日本人らしき人に出会った。 観光客ぽくない感じであった。 日本料理店をやっているという。 そのときは行けなかったが、次回から最後の日には日本料理店に決めていた。 他の人には、安いのかもしれないが貧乏旅行には、贅沢な食べ物であった。 ポルトガルを去る前の最後の晩餐であった。

          《首都リスボンの広場》

 サント・アントニオ教会を目指した。ケーブルカーをくだってリベルダーデ通りに戻る。 通りの終点にある〈レスタウラドーレス広場〉を通り抜ける。 広場の中央には高さ30メートルのオリベスクが青空に向かって建つ。 ポルトガルがスペインから60年間耐え忍びやっと再独立を勝ちとった記念碑だ。 1640年のことであった。 さらに南に下ると、大きな格式ある建物が迫る。〈ドナ・マリア2世国立劇場〉だ。 この劇場前に広がる空間が、〈ロシオ広場〉。この広場は庶民の憩いの場でもあった。 一日中人の姿が絶えぬほど賑やかな広場だ。 広場中央には初代ブラジル国王になったドン・ペドロ4世のブロンズ像が、 周りを囲む5〜6階建てのビルより高く白い大理石の塔の先で見下ろすように立っていた。

 相棒は白と青のパラソルが咲く路上テラスや昼の準備に忙しい人々をカメラに収める。 と同時に、笑顔のシェフ姿の人形が持つメニュー看板を覗き込む。 『ポー、レストランでは昼食は無理無理・・・』と呟く。 ポーもレストランでの昼食は、はなから期待していない。 ロシオ広場を抜け、中央にドン・ジョアン一世の騎馬像が建つ〈フィゲイラ広場〉に向かう。 地下鉄ロシオ駅やバス、路面電車の停留場があるフィゲイラ広場は、各方面に向かう交通の要であった。 路面電車は走破していた。乗るとすぐ眠くなる相棒ではあったが。 今日は28番の路面電車に乗って行くつもりで来た。 しかし、停留場で待てど暮らせど、28番も25番も12番も走って来なかった。

 ポーは考えた。 今日は、聖アントニオ祭の当日だ。 とくにサント・アントニオ教会があるアルファマ地区は路面電車が走る路地が究極的に狭い。 そこにどっと全国から人々が押し寄せる。だから、路面電車は走れない。 走ればどうなってしまうかポーでも想像できた。
 『そんな〜ぁ!知っていれば1日券を買わなかったのに〜ィ!』
 相棒の雄叫びは、教会に向かう人混みの中に空(むな)しく消え去った。

 「けいの豆日記ノート」
 ロシオ広場の北側にあるレストラン街は、すごく高い。 便利なところにあるせいか、観光客めあてのレストランばかりである。 オープンテラスになっていて、テーブルもイスもきれいである。 メニューが写真で表示されているのは、外国人むけだからなのだろう。 写真の看板のメニューが大きく立てかけてあったりする。 普通に歩いていても客引きが寄ってくる。 立ち止まったりするとすぐにメニューを持って席に案内される。 うかつに看板も見る事ができない。 貧乏人には、縁のないレストランだなあ。

          《サント・アントニオ教会》

 狭い坂道に敷かれたレールが輝いて上に上にと延びていく石畳。 そこを、着飾った人たちに交じり登った。 アフリカ系の若い父と母が5歳くらいの娘に純白の衣装を着せ、両サイドから挟み込み手をつなぐ。 笑みいっぱいの家族は、踊るような光景だった。サント・アントニオに娘の幸せな未来を託すようにだ。 当然、相棒のシャッターが鳴っていた。 ここは、いままで何度も路面電車を追いかけ、撮影してきた狭い坂道である。 季節も違えば、陽射しの角度も違う。リスボンに来るたびに必ず相棒が目指す坂道であった。 人の姿もまばらで、坂道を上ってくる姿や、下ってくる姿を両サイドの建物に挟まれ、 または背後を埋め尽くす教会などの建物のさらに背後に真っ青な空がある、そんな路面電車の情感が撮れるポイントだった。 だが、目の当たりにする今日の路地の姿は違った。 想像もできなかった人の群れが坂道を埋め尽くし、老若男女は笑顔を絶やさず先を目指していた。

 サント・アントニオ教会前は、教会に入るための長蛇の列だった。相棒と素直に並ぶ。 だが、二人で並んで待つ必要はない。撮影が優先だ。ポーは相棒を放った。 放ったというより、順番待ちはポーと決め込んだ相棒の行動が先だった。 阿吽の呼吸。それだった。時間は有効に使う。 相棒を自由に動かさないと撮れるものも撮れるチャンスを逃してしまう。 ふたり旅で築き上げてきた「ア」といえば「ウン」の、約束の呼吸だった。

 教会の前に、彼はいた。サント・アントニオが小さな子供を抱き上げ立っていた。 子供を左手で抱えたサント・アントニオの立像は、誇らしげで微笑んでいるように見える。 その立像の脇にある石段を上って、やっと、教会の中に入れた。 さほど大きくない教会内部は群衆であふれている。 祭壇の前では、何組もの着飾った男女が並んでいる。この日は無料で結婚式が挙げられるらしい。 何組か限定のいきな計らいのようだが、それにしても肩と肩がびったり触れ合う満員電車並みの混みようでは撮影もできない。 小柄な相棒は群れの中に埋没(まいぼつ)気味だ。目配せで外に出た。 汗びっしょりだ。息苦しいほどの混みようであった。 年に1度の〈聖アントニオ祭〉だ。アントニオがいかにポルトガルの人々に愛されているかを実感できた。 汗だくの中でこの日をポルトガルの人々と体感できたことが、ポーには嬉しかった。

 「けいの豆日記ノート」
 教会の前の列をみて、イベントがあるのだと思って並んだ。 祭壇では、合同結婚式をやっているのだろうか。 期待をもって、中へ入った。 すごい人の中を潜り抜けて前へ前へ進んだ。 教会の中は、すごく暑くかった。 満員電車なみの人の熱気でよけいに暑かった。 それでも前に進むと、ようやく祭壇がみえるところまできた。 期待していた結婚式などやっていなかった。 (かなり後でわかったが、結婚式は前日であった・・・情報がほしかったなあ) 暑い中、祈っている人々の間を抜けて、出口に急いだのであった。

          《イワシの炭焼き》

 サント・アントニオ教会前の長蛇の列は崩れない。人々はこの日をきっと外せないのだ。 思いや願いがアントニオに直接素直に一番通じられる日なのかもしれない。 ポーだって毎年元旦の早朝に相棒と近所の神社仏閣にお賽銭を投げ、手を合わせ1年の思いや願いを込めてこうべを垂れるのと同じだ。 その雑踏した教会から人混みを避けて勝手知った狭い路地を、テージョ川に向かう石畳を相棒が下って行く。 一度通った道は何年たっても忘れない。方向音痴なポーにはありがたい道先人であった。 道幅2メートルもない狭い石畳の両サイドは、4階建てのアパート形式の住居が白壁で切れ目なく連なっている。 もう何十年と白い塗料で塗り重ねてられた壁は、でこぼこだが風情として観れば気にならない。 見上げれば、色とりどりの洗濯物が頭上に乾され、テージョ川からの路地を這いあがってくる風で青空を背景に踊っていた。

 聖アントニオ祭の今日は、赤白黄緑などのテープで路地がトンネルのように飾り付けられている。 それに、イワシを焼く煙と香りが漂う。路地はイワシを焼く工場のようだ。 戸口の前で鉄製のU字型に網をのせ炭火で焼いている。焼き人はみなお年寄り。挨拶すると笑顔が煙で渋る。 どの家も今日は、焼きイワシを食べてアントニオを祝うのだった。

 『イワシ、食べるか!』相棒が小さなレストランというか食堂に飛び込む。1時40分だった。 グラスビール3.50、7ナップ2.00、イワシ一皿8.75(1140円)。 6匹、レモン付き。『なんじゃ〜あ!何処でも祭りの日は、高〜ィ!!』と相棒の雄叫びが店内で響き渡る。 いつもより飲み物もイワシも、倍の料金だった。

 ものすごく損した気持ちを切り替えて、テージョ川のフェリー乗り場に向かった。 川風が頬に優しく吹き抜けていく。夏の太陽は真上から容赦なく射る。 白い車体に大きなイワシの絵が描かれた路面電車が、目の前を通り過ぎて行った。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2010年9月掲載

聖アントニオ祭パレード前半はこちらからどうぞ!    聖アントニオ祭パレード後半はこちらからどうぞ!

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お楽しみに

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