ホーム ★ ポルトガル豆知識 ★ プロフィール ★ ポルトガル写真集 ★ 写真展案内 ★ ポー君の豆日記 ★ 今月の1枚 ★ リンク ★

ポルトガル写真集(大学の町・コインブラ2)
Portugal Photo Gallery --- Coimbra 2

見てね  小さな画面をクリックすると、大きな画面&コメントのページになります! 見てね

コインブラ19
コインブラの町
コインブラの町

コインブラ20
モンデコ川の夕暮れ
モンデコ川の夕暮れ

コインブラ21
ホテルアストリア
ホテルアストリア

コインブラ22
ポルタジェンヌ広場
ポルタジェンヌ広場

コインブラ23
青空のカフェ
青空のカフェ

コインブラ24
赤いバイク
赤いバイク

コインブラ25
旧カテドラル
旧カテドラル

コインブラ26
水道橋
水道橋

コインブラ27
5月8日広場
5月8日広場

コインブラ28
サンタクルス修道院
サンタクルス修道院

コインブラ29
大学への道
大学への道

コインブラ30
アルメディーナ門
アルメディーナ門

コインブラ31
門をくぐれば
門をくぐれば

コインブラ32
マンガ堂
マンガ堂

コインブラ33
ハトの水浴び
ハトの水浴び

コインブラ34
メインストリート
メインストリート

コインブラ35
メインストリートの大学生
メインストリートの大学生

コインブラ36
オープンカフェ
オープンカフェ

コインブラ37
トローリーバス
トローリーバス

コインブラ38
白い菊
白い菊

コインブラ39
ながしのバイオリン曳き
ながしのバイオリン曳き

コインブラ40
焼き栗屋
焼き栗屋

コインブラ41
お散歩
お散歩

コインブラ42
骨董市
骨董市

コインブラ43
骨董品
骨董品

コインブラ44
トラクター
トラクター

コインブラ45
クラッシックカー
クラッシックカー

☆コインブラ2の説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
政治のリスボン、商業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市コインブラは文化の中心である。
丘の上の大学を中心とした人口9万人ほどに小さな町である。
コインブラ大学は、多くの政治家や文化人を世に送っている。
コインブラを流れるモンデゴ川はエストレア山脈を源とする美しい川である。

「ポー君の旅日記」 ☆ 大学の町・コインブラ2 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・10≫
    === 第四章●大学の町コインブラ起点の旅 @ === コインブラ 2

          《10月28日は幸運の日》

 ポルトの中心地サン・ベント駅で大学の町コインブラまでの切符を買う ため切符売り場に向かう。そこで問題が起こった。切符を売ってくれない のだ。駅員の女性は次の駅カンパニャンに行けという。 何故なのかと相棒が食い下がる。 早口で愛想なくしゃべる彼女の言葉が判らない。
 「まッ、いいか!」 切符なしで列車に乗り込んだ。 乗客の顔はなぜか、にこやかだ。楽しそうに語り合っている。いつもの 乗客の表情とはまるで違うと感じられた。 7分ほどで着いた。サン・ベント駅からひと駅のポルトの主要国鉄駅だ。 カンパニャン駅は特急や急行の発着駅としてポルトの鉄道の要である。 重い旅行バックを転がして切符売り場に来たが切符の代わりに10cm ほどの丸いグリーンワッペンを渡された。 周りを観察する。 ワッペンをもらうと皆、シールをはがして胸にペタリと貼りつけ嬉しそ うにホームに向かう。 相棒もポーも、朱に交わればの心境で、貼った。 貼ってもポーには、笑みは沸かない。 何じゃ、このワッペンのご利益は?  13時05分発のリスボン行き急行列車に乗り込んだ。 乗客は笑みが絶えない。あっちでも、こっちでも。

 ポーはリュックから[ポ日辞書]を出し、ワッペンに書いてある文字を ひろった。 「私はすぐ客に役立つ(または、私は今、客のものである)国鉄。鉄道 150年(または、鉄道150誕生日)」 直訳すると、こうなった。
 相棒が推理した。 『さっきから考えていたんだけれど、乗客がみんな嬉 しそうなのが気になって・・・、こんな光景は初めてだったからね。で、 今、ポーの訳を見て、国鉄が、今日で150周年になった、その記念日で、 運賃無料!のワッペン切符じゃないのかなって。虫が良すぎる翻訳かな』 まさかまさかの、そんな日に偶然出くわしたのなら、これは大ニュース だ。幸運の極みである。でも、ポーは信じられなかった。

 車窓に大西洋が迫っていた。青い海が輝き、延々と車窓を飾った。 その時、車掌がやって来た。切符拝見!だ。 しかし、車掌は誰も検閲せず通過! あり得ないことが起こった。 2時間ほどのコインブラ駅下車まで、この幸運が持続出きるのだろうか。 車掌が次ぎの車両に消える姿を見ながら、ポーはまだ信じられない。
 だが、コインブラ駅に着くまで2度と車掌は現われなかった。 ポーは確信した。相棒の推測は正解だと。 神様がくれた贈り物だったと! 終着駅のリスボンまで行った人はラッキーだったことだろうと思う。 狐のだましも、ここまで徹底してくれれば真実になる。 ありがとう! ポルトガルの神様に感謝感激である。

 「けいの豆日記ノート」
 ラッキーな日であった。 貧乏旅行には、とてもありがたいイベントであった。 日本なら、ありえないサービスかもしれない。 こんなことしたら、人が殺到してたいへんなことになるだろう。
 以前、ニュースになって新聞にも載っていた話だが、ポルトガルの列車でのできごとである。 列車の中で、妊婦が産気づいて、途中の駅で臨時停車した。 救急車で運ばれて、無事に出産をした。 ここまでは、よくある話である。 このあとの鉄道の対応が話題になった。 生まれた子供に鉄道一生無料券を贈ったということだ。 とてもおしゃれなプレゼントだと思う。 考えそうで考えられないことである。

          《大学の町コインブラは夏日和(なつびより)》

 10月28日(土)のコインブラは晴天であった。 運賃無料で、コインブラ駅に着いた。 駅舎を出ると上手に見える大きなモンデゴ川から気持ちの良い微風が流 れてきた。そして、照りつける太陽が眩しかった。 北部のポルトの町から2時間ほど列車で南下してきたのにコインブラの 町は、10月の下旬だと言うのに真夏の暑さだった。 ドウロ川の洪水といい、この暑さといい、地球温暖化の影響だろうか。 日本の4分の1の、細長い小さなポルトガルであったが、こんなに気温 に変化があるのは初めての経験だった。

 駅から5分もしない路地に今日の宿ドムスはあった。 狭い階段を昇ると小さなフロントで女将と娘が笑顔で迎えてくれた。  実は、この宿ドムスは名古屋からFAXで予約をしていたが返事が返っ てこなかった宿だった。ポルトからYUKOさんに電話をしてもらい再度 予約が取れた宿だった。
 YUKOさんに面倒ばかりかけてしまい、感謝ばかりだ。 とりあえずコインブラを起点に、あの町この町に行ける宿を確保できた が、宿から提示された部屋はシャワーのみの、バスなしであった。 『そんな―ァ!』相棒の雄叫びだ。1泊なら我慢するが4泊もするので、 娘さんに案内してもらいすべての部屋を見た。 5ユーロ(750円)高くなったがバス付きで、狭い賑やかな路地が眼 下に見える部屋に決めた。  40ユーロ(6000円)、勿論モーニング付きだった。

 「けいの豆日記ノート」
 コインブラ駅から近いところにあるホテルである。 ホテルより、ランクが下のレシデンカルという。 民宿とビジネスホテルをあわせたような感じである。 駅から、近いところでないと荷物を運ぶのがたいへんだからだ。 タクシーをなるべく使いたくない。 近くて安いところがベストである。 ここは、その面でまあまあのところであった。 FAXで予約が取れなかったが、シーズンオフでもあり空いているとは思っていた。 FAXが壊れていて、受信できなかったとのことだった。

 ポルトに次ぐポルトガル第三の9万人ほどの都市コインブラ。 かつては、6代目のディ二ス王がリスボンに首都を移すまでの100年 以上もポルトガルの首都だったのだ。そしてその王が1290年に、この 地にコインブラ大学を創設した。ヨーロッパでも最古の大学のひとつで、 政治家や文化人を多数輩出している。 だからコインブラは、今でも大学が中心の町で、学生で溢れていた。
 半袖シャツに着替え、懐かしい4年ぶりの町に飛び出した。 宿ドリス前の路地は狭いが、下町的情緒にあふれていた。両側は洒落た ブテックが何店舗もありコインブラ大学生のファション基地になっていた。 そして、こじんまりしたカフェやレストランがひしめき学生達のコンパ 基地にもなっている。
 彼らの好きな中華店や焼き立てパン屋など種々の店がひしめいている。 この曲がりくねり折り曲って続くこの狭い路地こそが大学生の青春の場で あり、しかも住民の生活の場と共存していた。 この路地は相棒の被写体としても好きな場所だった。4年前歩きに歩き まわった思い出がいっぱいの路地だった。
 そして、この路地はコルメシオ広場に通じていた。 そんな宿の前の細長く狭い路地から再びコインブラ駅に行き、目の前の モンデゴ川沿いにあるバス停で、明日行く予定のコ二ンブリガ出発の時刻 を調べた。 9時05分発だから、翌朝のモーニングは30分早めの7時半にしても らおうと思う。

 「けいの豆日記ノート」
 バスの時間は、ガイド本やネットでも調べることができる。 でも、違っていることがよくある。 違っているというより、更新されていないといったほうがいいかもしれない。 なので、現地に行って確認しないとたいへんなことになる。 曜日によってもバスの本数は、かなりちがってくる。 土日運休なんていうのは、よくあるパターンだ。 それにガイド本には、バスが1日に10本なんて書いてあり、安心していたら、実際に乗れるバスは、3本くらいだったりする。 日帰りの予定なので、午前のバスで行って午後のバスで帰ってきたい。 午前のバスも朝食を食べた後の時間がいい。 となると、乗れるバスの時間は、限られてくる。

 バス停から川幅が180mほどあるモンデゴ川沿いを南下すると、上手 に、対岸に渡るサンタ・クララ橋が見える。その橋のたもとにあるのがポル タジェン広場だ。ここがコインブラの中心地だった。 4年前の1月27日(日)は耳が痛くなるほどの寒い日だった。   ポルタジェン広場のベンチで凍えるほど冷たい川風に耐えて、19時開 店まで震えながら夕食時を待った。あの辛い状況を思い出させた広場だっ た。
 そんな寒い思いをするならカフェに入っていればいいと思う。でも、そ のお金が無駄で使いたくなかった。寒くても1円でも無駄なお金を使いた くなかったのが、いつもの撮影取材旅だった。

 その広場が今、太陽光線に照り輝いていた。 レストランの店先に並ぶパラソルの下で白い肌を惜しげもなく露出した 女性たちがワインを飲みながら語り合っている。足元で待つ犬は長い舌を 出したり引っ込めたりして暑さに耐えていた。真夏の情景だった。
 広場の右端にあるトリズモ(観光案内所)で地図と資料をもらって、コイ ンブラのメインストリートであるフエレイラ・ボルゲス通りを北に向かう。 人々が行き交う。半袖姿は半々だが、天気が良いので表情は明るかった。 それぞれの店も大きくカフェもレストランも華やかで、観光シーズンに なれば観光客であふれるが、今は閑散としていた。(日曜日はすべての店 が閉まっているから注意)  路上でバイオリンを奏でる青年を6歳くらいの女の子2人が聞き惚れて いる。青年にとっては嬉しい客ではない。お金を、投げ銭してもらえない からだ。

 この通りは300mほどあり道幅もゆったりし、その先は市庁舎とサン タ・クルス修道院がある5月8日広場に通じていた。 そのコインブラのメインストりート、フエレイラ・ボルゲス通りの中間 あたりの左側に石段を30段ほど下ると、あの常宿前の狭い路地から連な るコメルシオン広場があった。
 その広場で露天市場が開かれていた。 もし、ポーにお金があったら買ってみたいものばかりの露天市場であっ た。羅列する。蛇腹式の旧式カメラ。旧式空気銃。旧式知恵の輪。鳥の写 真集。飾り絵が美しい磁器。そんな露天商が70店もひしめいていた。 時間があれば何時間でも、店から店を覗きこんでも飽きない天国だった。

 また石段を登ってメインストリートに戻ると、目の前にアルメディ−ナ 門がある。半円の門をくぐり石段を登ると大学に行く近道になっている。 学生達が語り合いながら降りてきた。相棒のシャッターが鳴った。 この狭い石畳の坂道は、かつて首都だった名残が漂う一角で相棒の好き な道だった。
 5月8日広場に出た。焼き栗売りのおばさんがいた。焼き栗の香りと煙 りが人々を誘う。この広場は地味だった。華やかさに欠けていたがいつも 人であふれているから不思議だ。  広場に面してサンタ・クルス修道院がある。 1131年に建立されたが16世紀にマヌエル1世が改築。内部に入る と100人ほどが厳粛の中で祈りをささげていた。天窓からの外光の中で の祈りだった。ポルトガルではカトリックが97パーセントだと聞く。

 「けいの豆日記ノート」
 露天市場が出ていたのは、ラッキーだった。 建物の中の常設市場は、どの町にもある。 でも屋外の市場は、開催する日や曜日が決まっているので、狙っていかないがぎり、なかなか出会えない。 太陽の下での市場はいい。 明るいので、望遠レンズが使える。 周りの建物がその土地ならではの感じがでて、人々を引き立ててくれる。 野菜や食べ物などの市場と、衣料品や靴やバックなどの市場と、骨董品の市場に大きく3つにわかれている。 今回の露天市場は、骨董品であった。 はたして、売れるのだろうかと思うようなガラクタの山であった。失礼・・・

          《新学期の始まり》

 夕闇が迫っていた。メインストリートを走りぬけ、モンデゴ川に架かる サンタ・クララ橋に戻った。 太陽が対岸の新サンタ・クララ修道院に沈んでいくところだった。 相棒は橋を走った。橋を渡りきる手前で振り向いて、コインブラ大学の 丘に向かってシャッターを切った。 黄金色に燃えた大学の丘がモンデゴ川に神秘的に映っていた。青い空に 半月が輝いて昇る。7時だった。
 考えてみたら昼食をとっていなかった。腹がぺこぺこ。 コインブラ駅の近くにあるスパーで水のボトルを買って、下町で夕食を とることにした。その時、駅の階段で黒いシーツの女性大学生や黒マント の男性大学生が列車で集まってくる仲間を奇声をあげて迎えていた。
 夏のバカンス時期はコインブラは閑散時期。学生達が帰省中だからだ。 10月になると学生が戻ってくる。新学期の始まりだからだ。それに先輩 学生にとっては新入生の歓迎で忙しい日々でもある。自分が体験させれた 屈辱をはらす時期でもあった。

 この祭りはラターダと呼ばれ、新入生にとっては、ある種の試練の場で もある。先輩の指示には服従しなければならない行事だ。 街中で先輩のいうことは、恥ずかしくとも絶対服従しなければならない 掟がある。 それが嫌で、退学する学生もいると聞く。屈辱とは、豚だ、鳴け。カラ スだ、鳴け。たわいのない指令だが先輩の指示には服従なのだ。(YUK Oさん情報) そんな行事の夜に出くわした。
 相棒は、口裂けメークの女学生などに、 了解を得てシャッターを切った。口裂け女学生の笑顔が不気味であった。 撮影のお礼に、折り鶴を差し上げると歓喜して口裂けの口がもっと大き く裂けて笑った。

 下町にある中華の店〈豪華飯店〉に飛びこんだ。4年前寒風の中で店が 開くのを待って入った小奇麗な店だ。白い壁に大きな山水画が飾ってある。 卵スープ、もやしがいっぱいのサラダ(もやしは中華店に入らないと食 べられない食材だ)と、ぷりぷりの鶏肉野菜炒め、それに、焼きそばだ。 一皿づつだが盛りがいい。サグレスビールの冷え具合もいい。 腹が裂けるほど食べて、15ユーロ(2250円)。たまには贅沢な夕飯 もいいもんだ。無料列車の運賃代でゴチになった感じだ。  万歩計を見た。19038歩だった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2008年7月掲載

掲載済み関連写真===≪ポルトガル写真集≫2006年版旅日記
前途多難の予感のポルト4 ・2出会いのポルト5 ・3ドウロ川終着駅のポシーニョ ・4アルトドウロの基点のレグア2
輸送基地のトウア ・6ワインの里ピニャオン ・7中継バス地点のヴィア・レアル ・8地上のメトロのポルト6
・9日本語補修校のポルト7

☆ コインブラ Coimbra シリーズです ☆
コインブラ1 ・コインブラ2 ・コインブラ3 ・コインブラ4 ・コインブラ5 ・コインブラ6