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ポルトガル写真集(手作り絨毯のアライオロス2)
Portugal Photo Gallery --- Arraiolos 2

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バス停近くの広場


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じゅうたん模様

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城壁の見える風景

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白いパラソル

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休憩したカフェ

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カフェの子供たち

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白い町

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中庭のジャカランダ

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教会の前のジャカランダ

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郵便配達人

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坂の町

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ペロニーニョ

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城跡への道

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城壁へ続く旧市街

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城壁への坂道

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城壁からの町並み

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天空の教会

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城跡に建つ教会

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怖い階段

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曲がる城壁

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ジュウタン店の女主人

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ジュウタンを作る

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休職中

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帰り道



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青いバイク


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工事中

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自転車のオブジェ

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郊外のスーパーマーケット



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農家


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ヤギとヒツジ

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町を見下ろすベンチ

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ベンチからの風景

☆アライオロスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
エヴォラの北約20kmにアライオロスの白い町がある。
コルク樫とオリーブの木がアレンテージョの平原を飾っている。
青や黄色に縁取られた家並みは童話に出てくる風景のようである。
アライオロスの町の徳さんはハンドメイドのジュウタン。
17世紀にペルシャからもたらされた技法にポルトガル独自の色と柄を取り入れ、
アライオロス独特のジュウタンが作られていった。
今もなお昔ながらの手法とモチーフを守っている。

「ポー君の旅日記」 ☆ 手作り絨毯のアライオロス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2008紀行文・27≫
    === 第六章●エヴォラ起点の旅 === 手作り絨毯のアライオロス

          《5年ぶりアライオロスに》

 6月20日(金)午後12時45分、〈エヴォラ〉のバスターミナルから〈アライオロス〉行きのバスに乗る。 バス賃2.45ユーロ、40分ほどの乗車だ。 ありがたいことに車内は冷房が効いて涼しい。 11人の観光客を乗せたバスはターミナルを出ると、城壁沿いに北に向かう。 600メートルほど進むと、右手に16世紀に建てられた[カルヴァリオ修道院]が見えてくる。

 カルヴァリオ修道院には思い出がある。2003年の寒さが足元から沁み込んで来る2月であった。 路地から路地を抜けて探し当てた修道院は何となく薄暗く感じた。正面の扉は閉まっていた。 建物づたいに歩いて行くと裏門があり、そこで小さなベルボタンを相棒が押す。 3度、押した。目元が優しい小柄なシスターが扉を開けてくれた。 撮影依頼をすると、心地よく案内してくれた。 シスターたちの日々の質素な生活が忍ばれる雰囲気に満ちていた。 シスターたちは貧困やアルコールに苦しむ女性の援助活動をしている、と知った。 帰り際、相棒はシスターの掌(てのひら)に折鶴と10ユーロ札をはにかみ、そっと握らせた。 「オブリガーダ」と言ったシスターのあたたかい「ありがとう」の声が、今も耳の奥に焼きついている・・・。

 修道院の前方に水道橋が城壁内から北東に延びている。 その手前をバスは左折し、長い長い水道橋に並行して北東に走った。 アレンテージョ地方の見慣れた風景が車窓を飛んで行く。 広々とした蒼い空の下の平原に彩るオリーブ畑やコルクカシの林が延々と続く。 その先の丘にオレンジと白の塊が見えてきた。アライオロスの町であった。

 「けいの豆日記ノート」
 修道院は、見学させてくれるところは少ない。 昔、修道院であり、博物館になっているところは、入場料がいるものである。 このカルヴァリオ修道院は、今も使われている修道院である。 実際に生活している場を見せてもらえるとは、思ってみなかった。 断られるかもしれないと思いつつベルを押してみた。 気軽に案内してもらえて、とてもうれしかった。 もっと寄付したい気持ちは山々だったのだが・・・申し訳ないです。

          《記憶》

 バスは高台にひろがる住宅地の入り口にあるバス停で止まった。 下車したのは我ら2人だけ。 9人はこの先の城壁に囲まれた中世の雰囲気満点の〈エストレモス〉に行く観光客だ。 坂道を走り去るバスに手を振った相棒はスタスタと歩きだす。

 5年前、バス停で降りた相棒は小雨の中を登校する子供たちに出会った。 カメラが濡れないようにして、その後を丘の上にある学校まで追った。 子供たちはみな父母らに付き添われての登校である。 治安が良いと言われているポルトガル、しかも片田舎であっても子供たちは毎登下校時、必ず親に守られていた。 何かがあってからでは遅いのだ。 もしかしたら、日本の4分の1の大きさしかないポルトガルは、 隣国スペインの侵略から守るために城塞を作り町や村を自衛してきた長い歴史がある。 侵略されてからでは遅すぎることを痛いほど知っている。子供たちを守る日常行為は当然の自衛行動なのかもしれない。 縦に細長いポルトガルは2面が大西洋で、2面がスペインとの国境で囲まれている・・・。

 その時知った学校から100メートルほど先に見える、丘の上のカステロ(城跡)に向かうのかとポーは思う。 しかし、相棒が行った先は5分も歩かないタクシー乗り場であった。 あの日、飛び込みで入った絨毯の店で、10人ほどの女性たちがひと針ひと針手作りで絨毯を作る作業を撮影させてもらった。 外に出ると冷たい雨が強くなっていた。雨と寒さで人影はない。

 雨に打たれた相棒は 『ポー、人物撮影は無理だね。タクシーで帰ろうか・・・』 と、ポツリ吐いた。

 弱音を吐く相棒を初めて見た。寒そうに震えてもいた。 体感温度10℃を切っていそうな寒さであった。久しぶりで冬のポルトガルを味わった。 タクシー台数が少ないのか、20分も待たされた。やっと来たタクシーの中は、暖房で天国であった。 心地よかった。15ユーロで、エヴォラまで暖かさを買った。しかしその夜、相棒は少しばかりの熱が出た。 そのタクシー乗り場に来て、相棒はひと息ついた。 もしあの時、このタクシー乗り場からタクシーに乗れなかったらどうなっていただろうか。 相棒の思案気な顔があった。

 「けいの豆日記ノート」
 アライオロスは、以前に訪ねたことがある。 でも、天候が悪かった。 行きは、曇りくらいだったのが、だんだん雲行きが悪くなってきて雨になってしまった。 冬の雨は、とても寒かった。 天気が悪いと写真が撮れなくなる。 人物を撮りたいので、暗いと撮れない。 フラッシュは使いたくないので、結局、撮らなかったりする。 現在ならデジタルなので、多少暗くても大丈夫なのだが、その当時はフィルムなので、無駄に使いたくなかった。 それにカメラがぬれて壊れてしまったら、とても困ることになるのである。

          《リマ・イ・ブリト広場》

 燦々(さんさん)と6月の太陽がアライオロスに降り注いでいる。 ポーには、町の様子が一変して見えた。 あの時は2月の冬、しかも雨模様で寒く気持ちが萎(な)えてもいた。そのためか、町全体が薄暗く狭く感じられた。 しかし、陽射しに輝くアライオロスの町は明るく広かった。 町なかの石畳の車道は広く、塵ひとつ落ちていない。 白い建物群は青い幅木模様で縁取られ、なだらかに丘の上まで延びている。 丘の上にはカステロの城壁が見え、広々とした青空が町を包み込んでいた。

 トゥリズモ(観光案内所)で、地図と資料を貰うために町の中心地である広場に向った。 リマ・イ・ブリト広場は細長い長方形をしており、白い壁の縁が碧く縁取られた2階建の家々で囲まれている。 広場を歩く住民の姿はない。観光客らしき姿もない。 石畳が陽射しで焼かれている殺風景な午後2時を過ぎた広場であった。

 遠くに白いパラソルが見える。カフェかレストランのオープンテラスだろう。 昼飯らしきものは午前中エヴォラ大学を見た後、定宿に戻りトイレをすませ、昨夜の残り物を頬張ってきた。 暑さでポーはグラスビールが飲みたくなり、相棒を促す。 白いパラソルの下には、アイスクリームをなめる10人ほどの子供たちがいた。 家族にしては多すぎる。野外学習中かもしれない。先生らしき中年女性がふたりいた。 我らは店の奥で冷たいグラスビールとパインサイダー(0.8と0.9ユーロ)で喉を鳴らす。 思わず、フ―と息が漏れた。

 トゥリズモはカフェのすぐ近くで見つけた。長い黒髪を後ろで結び、笑顔が絶えない30代の女性が迎えてくれた。 アライオロスの地図を開き説明してくれる。先月、日本からスケッチに来た5人組が立ち寄ったと彼女は言った。 日本人は珍しいけれど、ここ4〜5年増えたともいう。相棒が自分のホームページ入りの名刺を渡す。 「フォトグラファなのね」と、嬉しそうに彼女は微笑んだ。相棒は頷き、いつものようにお礼の折鶴を、彼女に渡した。

 「けいの豆日記ノート」
 以前に訪ねたとき、トリズモの前の広場と道路は、工事中であった。 メインの広場が工事中で、歩くのもやっとであった。 トリズモも仮の場所であった。 町にきて、メインの場所が工事中だったのは、残念であった。 今回は、きれいに整備された広場と道路が広がっていた。 広場には、地面からリズムに合わせて出る噴水が作られていた。 夏には、子供たちのいい遊び場になるのだろう。

          《カステロ・城》

 広場からカステロに向かった。陽射しは暑い。サングラスが必要だ。 子供たちでもサングラスが必要なはずだがあまり見かねない。男が多い。女と子供は強い。 そういえば、2004年4月にスペイン国境に近い〈ブラガンサ〉という町に行った時、城壁で囲まれた教会での結婚式に遭遇した。 その時の記念写真光景が忘れられない。 白いウエディングドレスの花嫁を取り囲んだ40人ほどの、黒服の男たちの90%が黒いサングラスをかけていた。 その様子は異常であり怖かった。まさかその筋の結婚式かと。しかしこの光景は、この町では通常だと知った。

 石畳の路地は急坂であった。毎年、足腰が弱くなってきたと痛感した。ヘトヘトで城壁の門をくぐった。 14世紀初めディニス王に寄って造られたカステロは、今は丘の上を200メートル以上もぐるり囲む城壁が残っている。 ここだけ時間が止まっているようだ。 この円形空間の中央が盛り土されていて、そこに教会が建っている。 天国に一番近い教会のように青空の中に浮かんで見えた。

 城壁沿いにめぐっている一段高い通路からは、東西南北どちらを見てもアレンテージョ地方の平原を見渡すことができた。 南面に5年前子供たちを追いかけて行った学校が見えた。学校周辺は高い鉄の柵で囲んであった。 子供たちの声が聞こえてきそうだ。 青空の下に長閑なアライオロスの町並みのオレンジ屋根が広がり、さらにその先にオリーブ畑が点在していた。

 「けいの豆日記ノート」
 高台に造られた町の中央の、さらに高いところにある城跡。 敵に攻められることの多い城壁に囲まれた町の構造である。 城跡には、教会が建っていた。 まわりに何もないので、まるで天空の城のような感じである。 この教会は、使われているのだろうか・・・ 城壁の上は、歩くことができる。 高いところが好きなので、登ってみる。 登りはよいが、下りがとても怖い。 でも、なぜか、いつも登ってしまうのである。

          《絨毯の店》

 アライオロスは手作り絨毯の店が多い、と聞いている。 17世紀ペルシャから伝わった技法にポルトガル独自の色と柄を編み出し、アライオロス流のハンドメイド絨毯が認められ人気を博した。 今日まで受け継がれた歴史があった。  しかし、どの国のどれほどの歴史がある産業でも、時代の流れには打ち勝てないようだ。

 ここで知り合ったアンナさんの店も経営困難だった。 60歳に手が届いているようだが、肌も露わな服装で会ってくれた。 ここでは老舗のようで、店の中には手織りの絨毯がところせましと飾られている。 デザインや色合いの美しさ、織りの深さがいい。アンナさんはデザイナー兼経営者でもあった。 ここにある作品デザインは全部アンナさんの作だと言う。 でも、本物の手作り絨毯は売れなくなったと肩を落とす。まずは、ヨーロッパユーロ経済が問題であった。 それに市場を乱す安物販売。本物より安物。買い手の安物思考が、この地でも問題のようであった。  アンナさんと別れ、5年前に手作り現場を撮影させてもらった店を探したが、見当たらなかった・・・。

 「けいの豆日記ノート」
 以前、見せてもらった絨毯店らしきところに行ってみた。 店は、閉まっているのか、だれもいない。 ドアは開いたので、呼んでみるとおじさんが出てきた。 「以前に来た時に奥に工房があったので、見せてほしい。」といったら、見せてくれた。 再会の笑顔に会えると思っていたのに、だれもいなかった。 毛糸の山だけが置いてあり、さびしげであった。 暑い時期は、ジュウタンを作らないのか、それとも・・・?!

 18時ちょうどのバスに乗って、エヴォラに戻った。 まだまだ陽射しは高い。 今日一日の歩数は、17925歩だった。 モット歩いた気がしたが、それは暑さと坂道の多さのせいと歳のせいかも知れないと思う。 バスターミナルで、エヴォラからリスボン経由ポルトの大移動バスの旅の切符を買った。 一人19.5ユーロ(3120円)で8時間余りの乗車である。

 その夜、相棒は腹が痛いと持参した薬袋の薬を飲んで眠った。 アライオロスでは、微熱が出たり、腹痛になったりと旅の思い出を生み出してくれた。 これも、旅のご縁、粗末にできないと思いたい。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2011年10月掲載

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Lisboa 5
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Sintra 3
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