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愛しのポルトガル写真集ギャラリー(サンマルティーニョ・アルジュバロータ・
ポルトデモス・サントアントニオ・ポンバル・クリア・メアリャーダ)
Portugal Photo Gallery --- S.Martinho do Porto・Aljubarroda・
Porto de Mos・Santo Antonio・Pombal・Curia・Mealhada
≪ ナザレからコインブラへの小さな町々とドライブの旅 ≫

≪1≫ サンマルティーニョ・ド・ポルト S.Martinho do Porto

ナザレの南10kmほどの場所にあるリゾート地である。 扇型の入り江が美しい海岸がある。

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サンマルティーニョ1
扇型の港・サンマルティーニョ in portugal
扇型の港
サンマルティーニョ2
展望台からの景色・サンマルティーニョ in portugal
展望台からの景色
サンマルティーニョ3
見晴らしのいい場所・サンマルティーニョ in portugal
見晴らしのいい場所
サンマルティーニョ4
展望台からの海・サンマルティーニョ in portugal
展望台からの海
サンマルティーニョ5
展望台広場の像・サンマルティーニョ in portugal
展望台広場の像
サンマルティーニョ6
ナザレの未亡人?・サンマルティーニョ in portugal
ナザレの未亡人?
サンマルティーニョ7
ひなたぼっこ・サンマルティーニョ in portugal
ひなたぼっこ
サンマルティーニョ8
レストラン・サンマルティーニョ in portugal
レストラン
サンマルティーニョ9
親子・サンマルティーニョ in portugal
親子
サンマルティーニョ10
湾の入り口・サンマルティーニョ in portugal
湾の入り口
サンマルティーニョ11
浮かぶ船・サンマルティーニョ in portugal
浮かぶ船
サンマルティーニョ12
若草色のパラソル・サンマルティーニョ in portugal
若草色のパラソル
サンマルティーニョ13
日焼け防止クリーム・サンマルティーニョ in portugal
日焼け防止クリーム
サンマルティーニョ14
お散歩・サンマルティーニョ in portugal
お散歩
サンマルティーニョ15
海辺の遊び・サンマルティーニョ in portugal
海辺の遊び
サンマルティーニョ16
日焼けしたい人・サンマルティーニョ in portugal
日焼けしたい人

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≪2≫ アルジュバロータ Aljubarroda

アルコバサとバターリャの間にある小さな町である。
1385年8月14日、お王位を狙って攻めいてきたカスティーリャ軍をジョアン1世率いるポルトガル軍が打ち破った。
スペインに対してポルトガルの独立を守る、歴史の残る戦いだった。
聖母マリアに感謝を捧げるため、ジョアン1世がバターリャ修道院の建立に着手したのは、1388年のことである。
ポルトガルの英雄のひとりとして、パン屋の女房が窯に隠れたスペイン兵をやっつけたという話が有名である。

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アルジュバロータ1
古い塀・アルジュバロータ in portugal
古い塀
アルジュバロータ2
ボーイスカウト・アルジュバロータ in portugal
ボーイスカウト
アルジュバロータ3
ペロリーニョ・アルジュバロータ in portugal
ペロリーニョ
アルジュバロータ4
トリズモ・アルジュバロータ in portugal
トリズモ
アルジュバロータ5
英雄のパン屋の像・アルジュバロータ in portugal
英雄のパン屋の像
アルジュバロータ6
パン屋の英雄のアズレージョ・アルジュバロータ in portugal
パン屋の英雄のアズレージョ
アルジュバロータ7
町角のアズレージョ・アルジュバロータ in portugal
町角のアズレージョ
アルジュバロータ8
アズレージョの水飲み場・アルジュバロータ in portugal
アズレージョの水飲み場

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≪3≫ ポルト・デ・モス Porto de Mos

アルコバサとバターリャの間にある町である。 おとぎの国のようなとんがり帽子のお城が高台に建っている。
1755年のリスボン大地震のときに、屋根がくずれたという。 それまでは、お城は完全なまま残っていたのは、すごいことである。

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ポルトデモス1
郊外の道路からのお城・ポルトデモス in portugal
郊外の道路からのお城
ポルトデモス2
郊外のスーパーからの城・ポルトデモス in portugal
郊外のスーパーからの城
ポルトデモス3
トリズモ・ポルトデモス in portugal
トリズモ
ポルトデモス4
白い教会・ポルトデモス in portugal
白い教会
ポルトデモス5
町を見下ろす城・ポルトデモス in portugal
町を見下ろす城
ポルトデモス6
ペロリーニョ・ポルトデモス in portugal
ペロリーニョ
ポルトデモス7
中央公園・ポルトデモス in portugal
中央公園
ポルトデモス8
ポルトデモス城・1・ポルトデモス in portugal
ポルトデモス城・1
ポルトデモス9
ポルトデモス城・2・ポルトデモス in portugal
ポルトデモス城・2
ポルトデモス10
ポルトデモス城・3・ポルトデモス in portugal
ポルトデモス城・3
ポルトデモス11
ポルトデモス城・4・ポルトデモス in portugal
ポルトデモス城・4
ポルトデモス12
ポルトデモス城・5・ポルトデモス in portugal
ポルトデモス城・5
ポルトデモス13
ポルトデモス城・6・ポルトデモス in portugal
ポルトデモス城・6
ポルトデモス14
ポルトデモス城・7・ポルトデモス in portugal
ポルトデモス城・7
ポルトデモス15
城からの街並み・ポルトデモス in portugal
城からの街並み
ポルトデモス16
城からの田園地帯・ポルトデモス in portugal
城からの田園地帯

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≪4≫ サント・アントニオ Santo Antonio

アルコバサの東方面の森林地帯にあるポルトガルで1番美しいといわれている鍾乳洞である。
1955年、牧場の少年が遊んでいて、穴を見つけた。お父さんといっしょに掘っていくと、鍾乳洞であった。
5億年前よりできた鍾乳洞だといわれている。ガイドにしたがって見学をする。

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サントアントニオ1
鍾乳洞の看板・サントアントニオ in portugal
鍾乳洞の看板
サントアントニオ2
鍾乳洞のホール・サントアントニオ in portugal
鍾乳洞のホール
サントアントニオ3
鍾乳洞入口・サントアントニオ in portugal
鍾乳洞入口
サントアントニオ4
鍾乳洞入口の岩の看板・サントアントニオ in portugal
鍾乳洞入口の岩の看板
サントアントニオ5
見つけた穴・サントアントニオ in portugal
見つけた穴
サントアントニオ6
鍾乳洞・1・サントアントニオ in portugal
鍾乳洞・1
サントアントニオ7
鍾乳洞・2・サントアントニオ in portugal
鍾乳洞・2
サントアントニオ8
鍾乳洞・3・サントアントニオ in portugal
鍾乳洞・3
サントアントニオ9
鍾乳洞・4・サントアントニオ in portugal
鍾乳洞・4
サントアントニオ10
レストラン・サントアントニオ in portugal
レストラン
サントアントニオ11
少年が見つけた穴・サントアントニオ in portugal
少年が見つけた穴
サントアントニオ12
遠くの牧場・サントアントニオ in portugal
遠くの牧場

サント・アントニオ特集 Santo Antonio 特集版・『サント・アントニオ鍾乳洞 Grutas de S.Antonio』 こちらからどうぞ

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≪5≫ ポンバル Pombal

コインブラの南20kmくらいの場所にある町である。 町の中央の高台に城跡が見える。
ちょうど、マラソン大会で、道路が封鎖されていて、城まで行くことができなかった。

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ポンバル1
線路横の住宅・ポンバル in portugal
線路横の住宅
ポンバル2
高台の城跡・ポンバル in portugal
高台の城跡
ポンバル3
市庁舎前の教会・ポンバル in portugal
市庁舎前の教会
ポンバル4
教会のアズレージョ・ポンバル in portugal
教会のアズレージョ

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≪6≫ クリア Curia

コインブラの北20kmくらいの場所にある温泉の町である。
コインブラのアストリアホテルやブサコのブサコホテルと同じ系列の豪華なホテルが数軒ある。
温泉がでるために治療のために訪れる人が多い。湧水は鉱泉で薬になるようである。

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クリア1
パレスホテル・クリア in portugal
パレスホテル
クリア2
白鳥とパレスホテル・クリア in portugal
白鳥とパレスホテル
クリア3
トリズモ・クリア in portugal
トリズモ
クリア4
白鳥の影・クリア in portugal
白鳥の影
クリア5
白馬・クリア in portugal
白馬
クリア6
ホテルのカフェ・クリア in portugal
ホテルのカフェ
クリア7
電話交換室・クリア in portugal
電話交換室
クリア8
ボートの並ぶ池・クリア in portugal
ボートの並ぶ池
クリア9
ティアマスホテル・クリア in portugal
ティアマスホテル
クリア10
ダクリアホテル・クリア in portugal
ダクリアホテル
クリア11
ホテルの門・クリア in portugal
ホテルの門
クリア12
鉱泉の石畳・クリア in portugal
鉱泉の石畳
クリア13
ホテル横の土産店・クリア in portugal
ホテル横の土産店
クリア14
鉱泉くみ場・クリア in portugal
鉱泉くみ場
クリア15
水をくむ係りの人・クリア in portugal
水をくむ係りの人
クリア16
ホテルの会議室・クリア in portugal
ホテルの会議室

クリアの温泉ホテル Curia 特集版・『クリアの温泉ホテル Curia』 こちらからどうぞ

サント・アントニオ特集 Santo Antonio 特集版・『サント・アントニオ鍾乳洞 & クリア広場のブタ』 こちらからどうぞ

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≪7≫ メアリャーダ Mealhada

クレアからコインブラに戻る途中にあるブタの丸焼きで有名な町である。
ブタの丸焼き専門レストランが並んでいる。町の教会広場で、露天骨董市が開かれていた。

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メアリャーダ1
町の入口のアズレージョ・メアリャーダ in portugal
町の入口のアズレージョ
メアリャーダ2
逆光の教会・メアリャーダ in portugal
逆光の教会
メアリャーダ3
広場から見た教会・メアリャーダ in portugal
広場から見た教会
メアリャーダ4
広場の露天骨董市場・メアリャーダ in portugal
広場の露天骨董市場

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サント・アントニオ & ポンバル & クリア & メアリャーダの説明  見てね

レイリア県
レイリア県地図

≪1≫ サンマルティーニョ・ド・ポルト S.Martinho do Porto
ナザレの南20kmほどの場所にあるリゾート地である。 扇型の入り江が美しい海岸がある。 人が住み始めたのが13世紀の中頃で、19世紀の初頭で人口が1000人未満の港町にすぎなかったのが、その後、上流階級向けのリゾートとして発展した。

≪2≫ アルジュバロータ Aljubarroda
アルコバサとバターリャの間にある小さな町である。 1385年8月14日、お王位を狙って攻めいてきたカスティーリャ軍をジョアン1世率いるポルトガル軍が打ち破った。 スペインに対してポルトガルの独立を守る、歴史の残る戦いだった。 聖母マリアに感謝を捧げるため、ジョアン1世がバターリャ修道院の建立に着手したのは、1388年のことである。 ポルトガルの英雄のひとりとして、パン屋の女房が窯に隠れたスペイン兵をやっつけたという話が有名である。

≪3≫ ポルト・デ・モス Porto de Mos
アルコバサとバターリャの間にある町である。
おとぎの国のようなとんがり帽子のお城が高台に建っている。 1755年のリスボン大地震のときに、屋根がくずれたという。 それまでは、お城は完全なまま残っていたのは、すごいことである。

≪4≫ サント・アントニオ Santo Antonio
アルコバサの東方面の森林地帯にあるポルトガルで1番大きな鍾乳洞である。 1955年、牧場の少年が遊んでいて、穴を見つけた。お父さんといっしょに掘っていくと、鍾乳洞であった。 5億年前よりできた鍾乳洞だといわれている。ガイドにしたがって見学をする。

コインブラ県
コインブラ県地図

≪5≫ ポンバル Pombal
コインブラの南20kmくらいの場所にある町である。 町の中央の高台に城跡が見える。 ちょうど、マラソン大会で、道路が封鎖されていて、城まで行くことができなかった。

≪6≫ クリア Curia
コインブラの北20kmくらいの場所にある温泉の町である。
歴史は随分古くローマ人のいた時代から、Aqua Curiva (病をいやく水)として知られていた。 その後、忘れた存在だったが、1865年その地方の鉄道線路の設置工事に来ていたフランス人技師が温泉のうわさを聞きつけ、 試してみたところ、見事に病が癒え、その後ポルトガル人たちが再開発にのりだし、今にいたった。 保養地としてのクリアの黄金時代は1920〜1950年である。 コインブラのアストリアホテルやブサコのブサコホテルと同じ系列の豪華なホテルが数軒ある。 温泉がでるために治療のために訪れる人が多い。湧水は鉱泉で薬になるようである。

≪7≫ メアリャーダ Mealhada
クレアからコインブラに戻る途中にある、ブタの丸焼きで有名な町である。 道沿いには、ブタの丸焼き専門レストランが並んでいる。町の教会広場で、露天骨董市が開かれていた。

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「ポー君の旅日記」 ☆ ナザレからコインブラへの小さな町々とドライブの旅 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2013紀行文・8≫
    === 第三章●Kimikoさんとのドライブ旅 === ナザレからコインブラへの小さな町々とドライブの旅

          《再会》

 ナザレの海岸通りには、青空の下で色鮮やかに舞う鯉のぼりの雄姿はない。当たり前だ。 ここはポルトガルである。でも、大西洋の海風になびく鯉のぼりを見たかった。 日本を旅立つ前に100均に寄って、小さな鯉のぼりを買っておくべきだった。

 今日は、5月4日(土)。 北にある大学の町コインブラから、車で2時間以上もかけ、ナザレの海岸通りの宿に我ら を迎えに来てくれるKimikoさんとの再会が待っていた、その彼女の2人の幼児に プレゼントできたはずの鯉のぼりを買ってこなかった。あ〜ぁ、アホめ!と後悔した。

 Kimikoさんとの出会いは、2012年の1月。彼女が妹の結婚式のため日本に ポルトガルの大学の町コインブラから里帰りしていた常滑市の実家で会った。 彼女の父母が、相棒の2001年から「名古屋市民ギャラリー栄」で毎年暮に開催している 《ポルトガル写真展》に3年前に来場してくださった。 それがご縁で知り合い交流するようになった。 彼女が里帰りした時、彼女の親父さんから声がかかり、初めて彼女と出会えたのだった。 当然、ポルトガル語しかしゃべらない2人の幼い子供連れだった。 彼女と相棒は呼吸が合いメール交換が始まる。

 コインブラの丘にある彼女のマンションに泊めてもらい、その翌日2012年6月初旬、 相棒の無理なお願いを叶えてくれた幼稚園に向かった。 彼女は2人の子供を連れて、しかも、彼女が勤める幼稚園で撮影が可能となったからだ。 そこは、彼女のポルトガルの義父母が経営する幼稚園だった。 ポルトガル帰国後の幼稚園での撮影を可能にするまでのKimikoさん努力は大変だった。 一人ひとりの家庭に足を運び、日本から来る女性カメラマンに協力してくれないかと尽力してくれ、撮影が可能になった。

 その年の暮れの2012年、名古屋市民ギャラリー栄でのポルトガル写真展で、 幼稚園の子供達のあどけない生き生きとした表情が提供できた。 ポルトガルの幼児たちの、園生活の自然な表情が観客の心をわしずかみにした。 なかなか撮影できない現場を撮影できる環境を作ってくれたのは、彼女Kimikoさんであった。
【ポルトガル写真集・2012年紀行文6・その出合いの写真と紀行文をお楽しみください】

 海岸通りで約束の午前11時に着くというKimikoさんを、おいらは海を背負って 陽射しが強くなった道路端に座り待っていた。駐車場がどこの町に行っても、 ほとんどないポルトガルだ。だが、狭い路地から不意を突いて彼女が現れた。 挨拶はこの国の風習に従って、ハグして再会と無理なお願いを叶えてくれた礼を言った。 車は、仮設バスターミナル近くの空き地に駐車したと、彼女は言った。 ふたりの子供たちは、幼稚園が土曜日曜休みなので義父母に預けて来たという。 彼女は2時間以上の運転の疲れも見せず、笑顔をかえし輝いていた。 その笑みには、人柄の良さが滲(にじん)でいた。

 この後、彼女はナザレからコインブラに戻るまで、自家用車で目一杯我らのために 考え抜いた旅を作ってくれた。それは、ガイド本にも載っていない数々の町であり、 バスの乗り継ぎでは到底廻り切れない所ばかりだった。 我らに彼女が与えてくれたのは、5ヶ所もあった。各地の様子は、 感想だけしかお伝えできないのが残念だ。なにせ、ポルトガル語に弱いおいらだ。 その町の概要も正しく伝えられない。おいらの感想でしか知ってもらえないのが辛い。

「けいの豆日記ノート」
 前回のポルトガルの旅の際も、たいへんお世話になったKimikoさんに、今回もお世話になることにした。 今回の旅の目的でもあるコインブラ大学の卒業式のイベントを見るためにいろいろとメールで相談をしていた。 毎年、イベントの日程が変わり、その日程も4月にならないとわからないらしい。 卒業のパレードを見たいがためにコインブラ宿泊の日程もギリギリまで待っていた。 こういうイベントの場合、地元に住んでいないとわからないことも多いのである。

          《サン・マルティーニョ・ド・ポルト》

 ナザレ3泊の宿「ホテル・アデガ・オセアノ」の主人が差し出すぶ厚い手に、 おいらは熱い握手をした。再会を約束して別れた。心温かい主人が言った。 「KEIKOのホームページを見たよ。そして、仲間に言ったぜ。ポルトガル各地の人々を 10年以上も撮り続けている日本人の女性がいるぞ〜て、ね。」と、言ってくれた。 その一言は、即Kimikoさんの通訳で相棒に伝えられた。 相棒の泪の腺を揺すった。涙もろい相棒の瞳に涙が溢れた。 『また、来ます』と、ご主人にハグして相棒は別れた。Kimikoさんが嬉しそうに 見つめていてくれた。

 我らは彼女の自家用車に乗った。 今日一日の彼女が計画してくれたドライブ旅に身をゆだねた 助手席に相棒、後部席においらが陣取った。運転もできない相棒は、 なぜかどこに行っても地図には強かった。

 サン・マルティーニョ・ド・ポルトの町は、ナザレから南13キロメートルにあった。 円形な湾が一望できるという望台までエレベーターが、3人を運んでくれた。 民家のオレンジの屋根瓦が連なる向こうに、馬蹄形に広がる大西洋から流れ込む青い 海面が一望できた。 観光地というよりひっそりした静かな家庭的なリゾート地であった。 照りつける太陽は、夏日だった。その海岸に3人で降り立つ。 砂浜には水着を着た何組かの家族が大西洋の海水を楽しんでいようとは思わなかった。 5月4日の海だった。

 日本の名古屋と同じような気候のポルトガルだ。早すぎる海水浴の光景に戸惑った。 が、Kimikoさんは平然と言った。 「北欧の人はポルトガルに太陽を求め海水を求めて来ている人が多い。 それが、ポルトガルの財政を補ってくれているかもね」という。 そして、「子供たちを連れてくればよかった。水着を持ってね」と。 母親の顔になっていた。 一日中、我らのために、子供たちを車に乗せるには酷過ぎると考え、 義父夫婦に預けたに違いない。優しい母だった。

 海水浴場に並ぶレストランで昼食にした。 ピザ1皿(7.4ユーロ)、生ビール(1.1ユーロ)、コーラ(1.2ユーロ)、 水(1ユーロ)、ケーキ3個(4.2ユーロ)、計15.4ユーロだった。 「すぎさの紀行文を読んでいたけれど、これほどのケチケチ旅とは思っていなかった」 と、Kimikoさんが声を出して笑ってくれた。 『今日は、一日面倒を見ていただくKimikoさんのために、ケーキを大奮発したよ』と、 ポー君。これで、更に我らの旅模様に、彼女は溶け込んでくれたのだった。

「けいの豆日記ノート」
 ガイド本に載っていない町に行くのはたいへんである。 なんの情報もなく、バスがあるのかもわからない。 グーグルマップを見て、町の屋根だけを見てもどんな町なのかよくわからない。 学校と病院以外の建物の名前が載っていないのも不親切だと思う。 ナザレの近くにこんな海岸があるとは知らなかった。 扇型の入り江は穏やかで、波も静かである。 海岸線が岸壁の荒波の大西洋と違った印象である。 新しい家が多い感じがしたので、別荘地として注目を浴びている町なのかもしれない。

          《アルジュバロータ》

 40分ほどのドライブだった。運転は当然、Kimikoさんだ。 フロントガラス越しに迫って来る前方右側通行の走行風景に慣れるまでおいらは怖かった。 しかし、免許証を持たない相棒は平然としていた。運転しない人は、そんなもんのだと知った。 Kimikoさんのカーナビは、単純無垢(むく)。 日本で使っているおいらの安物カーナビから流れる「次、左方面です」のあの女性の声もなく、 ただただ真っ白い画面に黒い一本の道路標示線が走る。 そんな画像で判断し、地図で確認してアルジュバロータに向かっての彼女の運転だった。 今日のために計画してくれた5ヶ所の一つだ。勿論、彼女も初めて行く所ばかりだという。 車が止まった。大きなアズレージョ(装飾タイル画)がある交差点で彼女はブレーキを踏んだ。

 そのアズレージョ画は、パン屋の女性(おばさん)がこの地を襲った敵国の男たちを 撃退している姿であった。一人のパン屋のおばさんがこの町を守ったらしい。 と、Kimikoさんがアズレージョに刻み込んだ文字を読んでくれた。 おばさんが我が愛しの町を守るために反撃した武勇伝が記されていたようだ。 その奮戦記の精細を納得できないまま、この地を去った。 彼女が知る限りの情報を、おいらの聞く耳が貧弱だったと後悔した。 相棒の耳は、もっと違った情報を吸収していたかもしれない。 なにせ、70歳を越したおいらの耳は、吸収力が弱っていた。

「けいの豆日記ノート」
 ポルトガルの歴史にうといので、何々の戦いといわれても、わからないことが多い。 もう少し、勉強しなくてはと思うのだが、思っているだけである。 このへんが、情けないとこである。 ポルトガルの英雄の国民投票で、ほかの歴史的人物を抑えて、このパン屋の女主人が上位にランクインしたという。 名もなき女性だが、それが民衆にうけたのかもしれない。 戦う兵士だけでなく、大勢の民衆も一致団結して、ポルトガルの独立を勝ち取ったという誇りなのかもしれない。

          《ポルト・デ・モス》

 14時20分、20分で城に着いた。ポルト・デ・モス城が丘の上にあった。 殺風景な風景の丘の上に凛と立つ景観は絵になった。立派な城跡だった。 陽射しは、30℃を越していた。完全な真夏日になっていた。 入場料だが女性2人は1.5ユーロ、60歳以上は0.75ユーロ。 おいらだけ安い。何故か抵抗感があったが、安いことには慣れていた。

 ポルトガルには城が多い。どの地に行っても、城がある。 ポルトガルの歴史は、我が村我が町我が国を隣国から守り抜くには、城が必要であった。 我らは、100ケ所は訪れているかも知れない。城は高台が定番だ。 その地に行ったら、まず城に登り、村や町の俯瞰を撮影し、地形と町の様子を観察した。 タクシーを使ったことがない。タクシー代がもったいないからだ。 すべて歩く。一日2万歩が我らのケチケチ旅だった。運転で疲れているKimikoさんも、 我らのケチケチ旅に嬉々として付き合ってくれる優しさがあった。

 ポルトガルに来ていつも思うのは、ポルトガルの世界遺産でも、 その地の博物館や美術館などに入っても、入館料が日本と比べ信じられないほど 安いことだった。観光で生きなければならない国ポルトガルである。 入館料はその館の修復費や国の財政を救うはずなのに、安すぎる。 それがポルトガルの優しさなのか。遠慮することはない。 これだけの目まいがするような本物をおしげもなく見せてくれる国はない。

 ポルトガルしか知らない我ら。断言は間違っていようが肌に感じる真実だった。 もう、13年間ポルトガル各地の人々を追い求め、ケチケチ旅を続けていた。 外国人には遠慮は無用だ。心に残る旅の満足感をお金に換えても国の恥にはならない。 日本の観光地は、高すぎる、とおいらは思う。 でも、ケチケチ旅を続ける我らには、至福の優しすぎる国であった。

「けいの豆日記ノート」
 町から町への道は、なんにもない山道や草原を走ることが多い。 前方に現れたとんがり屋根のお城に思わず、「車を止めて。」と言ってしまった。 ポルトガルでは、郊外の高速道路的な道は車を停車することができない。 後方から来る車にぶつけられるからである。 幸い、走っている車が見えなかったこともあって、少しだけ止めてもらった。 丘の上のお城は、近くに行くと大きすぎて全体が見えないのである。 ささっと撮影して、車を走らせ、町の手前のスーパーのカフェでトイレを借りた。 この郊外のスーパーの駐車場からでも、お城の全体像が見ることができた。 これを知っていれば、ムリに止めてもらうことはなかったのに申し訳ないことをしてしまった。

          《サント・アント二オ》

 白い画面に黒い一本の道路線が延びるカーナビは、東にある石灰岩が広がる アイレ・カンデーイロス山脈自然公園に向かっていた。 Kimikoさんが我らのために考え抜いた旅であった。 石灰岩がごろごろする山道を走ること30分。 サント・アントニオ洞窟ついた。16時10分だった。

 広い丘陵地帯には、牧場があり牛群の姿が遥か先に見える。 石灰岩だらけの丘陵に牧場があるとは信じられなかった彼女は初めて知った。 彼女が感動する光景が展開していたのだった。 ここの鍾乳洞は,1995年に発見された。一人の少年の冒険心が偶然発見したと、 彼女が説明してくれ、鍾乳洞に潜り込んだ。料金は5.8ユーロと4.8ユーロだった。

 30℃の世界から10℃ぐらいの神秘的な空間に導かれた。 温度差で一層冷え切った夢の世界だった。 その温度差の寒さにも驚いたが、照明で浮かび上がる水で浸食された石灰岩が 織りなす夢空間を楽しめた。 日本の各地の鍾乳洞を何本かテレビで紹介したことがあったが、 ここの光の量と光の色が、控(ひか)えめであた。 でも、日本の高度な照明技術はここの雰囲気を目の当たりにして、 行き過ぎ演出だと思い知らされた。その差は、見た経験差の感覚かもしれない。 しかし、こちらの薄暗さの方がワクワク感が増長されていた。

「けいの豆日記ノート」
 Kimikoさんは、トマールを活動拠点としている劇団と知り合いで、通訳もしている。 今回の旅で、その劇団が、5月4日にエントロンカメントで公演があるので、いっしょに見る予定であった。 小さい劇団なので、観客を巻き込んだ劇をするらしく、写真撮影もできそうなので、とても興味があった。 そのために、Kimikoさんが、ナザレまで迎えに来てくれたのである。 それが、観客が集まらず、公演が中止になったという。 そのかわりに、鍾乳洞に連れて行ってくれることになった。 近くに何ヶ所か、あるらしいが、このサント・アントニオの鍾乳洞がお勧めで1番きれいらしい。 ポルトガルに鍾乳洞があることなど、知らなかった。 5億年もかけてできた鍾乳洞である。 劇を見れなかったことは残念ではあるが、鍾乳洞を見れたことはとてもよかったと思う。

          《ポンバル》

 目的地であるポルトガルの大学の町と呼ばれる、Kimikoさんが住むコインブラ。 その目先の町、ポンバル。ここに見てもらいたいという彼女が推薦の城跡があった。 ふたりは行った。 おいらは駐車場がなかったので路肩駐車の車中で彼女たちを待った。 車中で持参の作家・伊集院静の単行本小説を読んで2人の帰りを待った。 今回の旅本はセントレア(中部国際空港)の本屋で買ってきた。 2011年7月6日初版第一判発行《なぎさホテル》だった。 これを読み込むほど映像化したら、素敵な映画になると確信しながら、 ポルトガルの空の下で読み耽っていた。

 読み始めた1行目から、これは小説ではなかった。 映画のためのシナリオである。おいらの頭の中では、映画映像シナリオであった。 シナリオと小説の合体であった。この作家がおいらは好きだった。 ぐいぐい引きつけて来た。作家の心の住まいが、その原点が息づいていた。 それが、嬉しかった。おいらは、この作家の本をほとんど読んでいた。 どの小説にも、男の生きる優しさの流儀が崩れることはなかった。

 2人が『待った〜、ごめんね、すぎさん』と、後部座席で本を読みふけっていた おいらの心地よい世界に、突然踏み込んで来た。  城は改修工事中であり、今この町は市民マラソンの開催中で、町中は人も車も 身動きできない状態だと2人から知らされた。 楽しいふたりの会話とふたりの素敵な笑みが溢(あふ)れていた。 彼女は今夜のホテルまで送ってくれた。 明日、コインブラ大学のイベントが始まるまでの午前中を、我らを連れて生きたい ところがあると言って別れた。

「けいの豆日記ノート」
 コインブラに行って、時間があれば、ポンバルに行こうと考えていた。 大きな駅であり、列車から見ても降りてみたい町であった。 グーグルマップでも旧市街地も残っており、お城もあるようである。 今回、コインブラに向かうKimikoさんの車がポンバルを通ることを知って、寄ってもらうことにした。 ナビでは、行けるはずの道路がどこも通行止めであった。 町の広場では、マラソン大会があるらしく大勢の人が集まっていた。 人が集まる所は好きなのだが、車を止めるところもないので、その場を離れた。 線路わきに車を止めて、小さな教会だけ見ることにした。 Kimikoさんが、そこにいた人に聞いてくれたが、道路が閉鎖されていて城へは行けそうになかった。

          《憧れのホテル》

 泊まってみたい憧れのホテルが、ポルトガルの大学の町コインブラにあった。 それを今夜、相棒がネットで取ってくれていたのだった。 そのホテルは、コインブラの象徴的なドウロ川沿いに建つホテルだった。 [アストリア ホテル]は憧れの泊まってみたいところだったが、 予約しても簡単にはとれない。 そこからドウロ川に沈む夕日を相棒は撮りかった。 憧れの角部屋のテラスに相棒は陣取った。黒マントを川風になびかせた 大学生の群れが夕日が染まる川沿いを歩いていた。大学の町コインブラだった。
 【コインブラ大学は、2013年6月、日本の富士山と同時の世界遺産になった】

「けいの豆日記ノート」
 コインブラのアストリアホテルは、老舗の3つ星ホテルである。 クラシックな造りがコインブラの町を引き立てていると思う。 ホテルは日本でネットから予約をしているが、キャンセルしないという条件なら、格安で泊まることができる限定の部屋がある。 今回、コインブラの予定は3泊だったが、ナザレを1日早めて4泊にした。 格安の料金で申し込むことができて、さらに、2階の角部屋というリッチな部屋に泊まることができた。 格安料金なのに、こんなに広い部屋でいいの?と思うくらいである。 東、南、西にテラスがついている。 南側のテラスからは、ポルタジェン広場を見ることができるのである。 モーニングもおいしそうだし、うれしい限りである。

          《クリア》

 日本では節句の朝8時、Kimikoさんが宿まで迎えに来てくれた。 空はポルトガルブルーの晴天だ。 晴れ男すぎさんブルーだね、と昨日、一日中運転してくれ気を配って案内してくれた 彼女がいう。 疲れきっているだろうに。それが心配りである。 でも、その疲れをおくびも出さず、笑顔であった。芯の強い人だっと思う。 相棒と息が合うのは、2人の芯の強さが共鳴しているに違いない。 それに比べるとおいらの芯は、やわだった。

 クリアの町までは、50キロメートル。 経済危機に圧迫されているというポルトガルが信じられなくなる高級地であった。 庭園にしろ、咲き乱れるバラ園にしろ、白鳥が長閑に泳ぐ池にしろ、 張り詰められた緑緑した芝生庭園にしろ、その向こうにデンと構えた四つ星ホテルの 美しさに、おいらは唸ってしまった。 ポルトガルの大航海時代の芯の強さを思い知らされた。 のんびりした国民性の芯は、耐え抜いて来た歴史の自信なのかもしれない。 そのホテルのロビーで、グラス赤ワイン4ユーロ2杯、コーラ1杯、計10ユーロ。 贅沢させてもらった。

牧場には白馬が 草を噛み、栗毛の親子がじゃれ合っている。長閑だった。
気温32℃、5月5日(日)の優雅な風が心地よかった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、ポルトガル旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。
次回をお楽しみに・・・・・・・今回分は2014年9月に掲載いたしました。

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