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![]() ポー君は、ポルトガルのいろいろなところを見てきたよ。・・・すごいなあ・・・ ポー君は、旅の守り神なんだよ。エッヘン ・・・ほんとかな??・・・飛べないけどね・・・ |
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☆☆イチゴとクランベリーとブドウとポー君☆☆ファーロのカルモ教会の前に広場がある。日曜日の朝、行ってみると露店市場が開催されていた。 時間が早かったので、開店準備中だった。 野菜、果物、乾物、花、雑貨品など、所狭しと並んでいる。 イチゴとクランベリーとシャインマスカットを買った。 すぐ食べられるように小さいパックにした。 1パックが、1〜1.5ユーロくらい。 果物は、安くておいしい。 甘い果物ばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ファーロのカルモ教会とポー君☆リスボンから、ポルトガル航空で40分、オリエンテ駅から特急列車APまたは、ICで3時間から3時間半、 バスでは、4時間程でファーロに到着する。 ファーロはポルトガルの南のアルガルヴェ地方の首都である。 1249年にアフォンソ3世によって再征服されたファーロの町は、 ポルトガルにおけるイスラム勢力終焉の地となった町である。 現在は、イギリスやドイツからの飛行機も発着し、 周辺リゾート地への玄関口としてにぎわっている。 ポルトガルでもっとも春の訪れが早いアルガルヴェ地方は、 1月には、満開になるアーモンドの花に覆われ、 あたりは雪景色のように白く染まる。 アプリコットの花が続き、新緑へと変わっていく。 6月には、ジャカランダの薄紫の花が満開となる。 カルモ教会 Ig. do Carmo は18世紀から19世紀に建てられた。 ふたつの鐘楼を持つバロック様式の教会である。 奥にある人骨堂 Capela dos Ossos は、天井から床まで1575人の修道士の骨で覆われている。 ポルトガルで人骨堂があるのは、ファーロとエヴォラだけである。 エヴォラのサン・フランシスコ教会には5000体もの人骨が壁や柱にぎっしりと埋め尽くしている。 修道士たちが黙想する場として造られたという。 カルモ教会の奥の人骨堂には、骸骨がいっぱいあるんだよ。 修道士の怨霊がたくさん住んでいそうだなあ。 夜になると、お化けがでるかもな。 ポー君はお化けなんて怖くないぞ。 なんたって、ポー君は、妖怪の仲間だからね。 まてよ、宇宙人だっけかな。 いえいえ、ただのブタさんかも。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆ボルダロのカエルとポー君☆☆カルダス・ダ・ライーニャにあるボルダロ・ピニェイロ工場には、レモンやキャベツの形をしたカップやソーサー、 トウモロコシやアボガドをかたどったプレートなど、 ユニークな陶器を生み出している。 ボルダロの作品のカエルは生きているようである。 どこかにカフェはないのかなあ。 アイスが食べたくなったよ。 アイスばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ボルダロ・ピニェイロ工場とポー君☆リスボンのカンポ・グランテ駅からバスで1時間45分ほどで到着する。リスボンのセッテ・リオス駅からもバスで1時間45分ほどの場所にある。 リスボンから列車でも行くことができる。 ナザレからは、バスで40分ほどで到着する。 温泉と陶器で知られる町、カルダス・ダ・ライーニャ。 オビドスの北に位置する人口2万人ほどの町である。 「王妃の湯治場」という名のとおり、ジョアン2世の王妃レオノールが設立した鉱泉病院がある。 町の中心広場で開かれる朝市では、野菜、花、オリーブなどのほかに、特産の陶器も売られている。 ポルトガルを代表するボルダロ・ピニェイロの工場がある。 キャベツの食器シリーズなどで知られるボルダロ社の陶器は、カルダス・ダ・ライーニャの工場で作られている。 風刺作家としても名をはせたラファエル・ボルダロ・ピニェイロ( Rafael Bordalo Pinheiro )が、 この地に窯をひらいたのは1884年のことである。 ボルダロ・ピニェイロ工場の入り口に来てみたよ。 アウトレットショップは安いらしいけど、ポー君には高くて買えないよ。 キャベツのお皿が有名なんだって。 工場の奥にある博物館の庭には、アヒル、トカゲ、サカナなどの置物があるよ。 大きなカエル君もいたよ。 ポー君はいるかなあ。 どこかにブタさんはいたかもね。 ポー君は、ワンコなんだぞ。 どう見ても違うけどな。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆ふたつに切ったプリンとポー君☆☆ケルース宮殿の近くのレストランに入った。ランチ時間を過ぎていたので、ガラガラだった。 デザートにプリンを頼んだよ。 大きなリング型に作ったものを切り分けてくれるんだ。 気をきかせて、ふたつに切ってくれたんだ。 まあ、全部ポー君が食べるんだけどね。 プリンばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ケルース宮殿とポー君☆リスボンのロシオ駅、またはオリエンテ駅からシントラ方面の列車に乗り15分で到着する。シントラまでの近郊列車は通勤列車でもあるので、本数が多い。 半日余裕があれば日帰りで行きやすいケルース宮殿である。 ドナ・マリア1世とその夫ドン・ペドロ3世の夏の離宮として、18世紀に建造された。 現在は賓客のレセプションなどに使用されている。 宮殿内の見学はガイドツアーで行われる。 宮殿内で1番きらびやかな「王座の間」、セルバンテスの小説をモチーフにした「ドン・キホーテの間」、 ハチの巣のような天井がユニークなティルーム、発見の時代を描いたアズレージョがある「ソデの間」などを見ることができる。 庭園は、1762年のフランス人の建築家によってデザインされたもので、 刈り込みが美しく幾何学的なフランス式庭園と、人工の滝や泉があるイタリア式庭園からなっている。 このふたつの庭園をつなぐのがライオンの階段で18世紀のアズレージョが見事である。 庭園に数々の彫像、噴水が配されたケルース宮殿は、ヴェルサイユを思わせる造りである。 また、ポルトガル家具、アライオロスの絨毯、王一族の肖像画、中国・ヨーロッパの磁器、宝飾品など、室内装飾品の貴重なコレクションでも知られている。 落ちついた雰囲気がただよう宮殿内の部屋は、ターリャ・ドウラーダ(金泥細工)や多くの絵画で飾られている。 そこには、18世紀後半から19世紀初頭にかけての、ロココ様式から新古典主義にいたる変遷が見てとれる。 宮殿を取り囲む広大な地所には、フランス式の幾何学庭園や、 かつての厨房(現在は有名なレストラン「コジーニャ・ヴェーリャ」)、 王室警備兵の宿舎(現在はポザーダ・デ・ケルースになっている)がある。 今日ではコンサート会場として使われることも多く、また迎賓館として多くの国家元首や政府要人、外交官を迎えることもある。 野外の乗馬学校では、4月から10月まで、ポルトガル馬術学校によるパフォーマンスが行われている。 ケルース宮殿はすてきな宮殿だなあ。 豪華な調度品がいっぱいで、見ていたも飽きないね。 3時過ぎだったので、見学人も少なくて、貸し切り状態だったよ。 ポー君は庭園の噴水がお気に入りなんだ。 変わった動物の彫刻がいっぱいで、おもしろいよ。 ポー君もいるかもしれないね。 ブタさんはいなかったと思うけど・・・ ポー君はブタでないぞ。 ワンコなんだぞ。 どう見ても違うけどな。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆くずれたケーキとポー君☆☆エストレモスのレストランでランチをした。レジ近くのケースにケーキがあったので、頼んでみた。 出てきたケーキははじめからこんな状態であった。 大きなホールから取り分けてのものである。 見かけなど気にしないのであろう。 でも、もうちょっと、気にかけて欲しいなあ。 味は、おいしかったからまあいいか。 ケーキばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆エストレモスの市立博物館とポー君☆リスボンのセッテ・リオス・バスターミナルから2時間〜2時間30分。エヴォラから30〜40分、エルヴァスから45分ほどで、到着する。 エヴォラから北東へ約45km、コルク樫とオリーブの木が茂る広野を抜けると 穏やかな丘稜に広がるエストレモスの町が見えてくる。 中世の城と城壁が残る「上の町」と 人々の生活の匂いがあふれる「下の町」からなっている。 「上の町」は、13世紀以来ほとんど変わっていないという。 バスターミナルは、町の東の外れにある。 廃墟となった鉄道の駅舎があった場所である。 ここから東方面にまっすぐに向かうとロシオ広場に出る。 ここは、陶器が名産である。 素焼きの水差しやカラフルな土人形は16世紀以来続いており、 広場の市場などで売られている。 陶器のコレクションが充実している市立博物館は、城の向かいにある。 1階には、エストレモス陶器として有名な土人形や素焼きの壺、ローマ時代の遺物などが展示されている。 2階は木彫りのスプーンやコルク細工などの工芸品のほか、この地方の家具や民芸品を使って台所、居間、寝室が再現されていて興味深い。 大きな壺に窓がいっぱい付いているのを見つけたよ。 窓の中に人形までいて、手が込んでいるね。 ポー君はデブだから、ちょっと入れないかな。 土人形が有名らしいよ。 絵付けしているところを見たことあるね。 ポー君の土人形あるかな。 ポー君の場合、土人形でなく、土ネズミかな。 ドブネズミに間違えられて、猫に食べられるよね。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆生ビールとガラオンとポー君☆☆コインブラのメイン広場である5月8日広場のカフェに入った。オープンカフェなので、広場にいるような感じである。 水と同じくらいの値段の生ビールを頼む。 たっぷりサイズのガラオンも頼む。 ガラオンはミルクたっぷりのコーヒーである。 熱いのに、ガラスのグラスに入っている。 なぜかアイスコーヒーはない。 もちろん缶コーヒーもペットボトルコーヒーもない。 カフェがたくさんあるから必要ないってか・・ コーヒーばっかり飲むとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆コインブラのアルメディーナ門とポー君☆リスボンからセッテ・リオス・バスターミナルからバスで2時間30分程、サンタ・アポローニア駅から列車で2時間でコインブラに到着する。 または、ポルトのカンパニャン駅から1時間で到着する。 政治のリスボン、商業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市コインブラは、文化の中心である。 丘の上の大学を中心に広がる人口10万人ほどの小さな町だが、ポルトガルの歴史の中で果たした役割は大きい。 多くの政治家や文化人たちを世に送ったコインブラ大学は1290年にディニス王によって創設された。 多くの政治家や文化人たちを世に送ったコインブラ大学は1290年にディニス王によって創設された。 最初はリスボンにおかれていたが、その後コインブラに映ったりリスボンに戻ったりしながら、1537年コインブラに落ちついた。 ヨーロッパでもパリ、ボローニャ、サラマンカに並ぶ古い大学で、1911年にリスボン大学が建立されるまでは国内一の学術の中心地であった。 学生は黒いマントに身を包み町中を闊歩し、そのマントの裾に切れ目が多いほどもてる証だったという。 2013年には、14世紀以降大学として使われている山の手のアルタ地区と、 16〜20世紀にキャンパスがおかれた市町のソフィア地区が世界遺産に登録された。 ポルタジェン広場から5月8日広場までのメインストリートは商業の中心地である。 丘の上に建つコインブラ大学に行く近道がアルメディーナ門である。 階段と坂道が延々と続いている。 歩きでないと通れないので、店を見ながら歩くのもいいだろう。 コインブラの町の高いところに建つのがコインブラ大学だよ。 普通は、お城とかが建っている場所だよ。 コインブラ大学がお城の代わりなのかな。 ポー君も大学に行くよ。 アポーみたいだけど、ほんとは賢いんだよ。 「能ある鷹は、ツメを隠す」っていうじゃん。 ポー君にツメってあるのかなあ。 隠すツメがないってことは、やっぱアポーなのかな。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆モーニングのプチケーキとポー君☆☆トマールの鉄道駅の近くのホテルに泊まったよ。駅の近くは移動に便利だよ。 宿泊とセットで付くモーニングは楽しみだね。 なんと、パンのほかにプチケーキがあったよ。 すぐにゲットしたよ。 なんたって、早い者勝ちだからね。 朝から、ケーキが食べれてよかったなあ。 プチケーキばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆トマールのキリスト修道院とポー君☆リスボンのサンタ・アポローニア駅から鉄道で約2時間。セッテ・リオス・バスターミナルからバスで1時間45分で到着する。 コインブラからも鉄道で途中乗り換えで約2〜3時間で到着する。 ポルトガル最大の修道院がそびえる町がトマールである。 ナパオン川の畔に広がるトマールの町は、マヌエル様式の美しい修道院と 4年ごとに行われるタブレイロスの祭りで知られている。 1160年に、戦略上の拠点として、トマールに城塞が建設された。 ナバオン川に近い丘の上に建設された城塞は、城壁と地下室を兼ね備えていた。 キリスト教修道院の地下室は、城塞における住居と司令塔の役割を果たし、 テンプル騎士団によって紹介されたポルトガル最古のものである。 1312年、全ヨーロッパ世界で、テンプル騎士団の活動が禁止された。 しかし、ポルトガルで活動していたテンプル騎士団のメンバーを中心に、 当時の国王ディニス1世は新たに、キリスト騎士団を結成した。 1357年に、トマールに移ったキリスト騎士団がここを本拠地とした。 当時団長を務めていたエンリケ航海王子は、その豊かな財力によってポルトガルを大航海時代へと導いた。 トマールの町が建設された時点で、ほとんどの住民は、この要塞の中に 居住していたとされる。 トマールのキリスト教修道院は、ロマネスク建築、ゴシック建築、ムデハル様式、 マヌエル建築、ルネサンス建築といった様々建築様式が融合した建築物である。 ポルトガル建築の返還がたどれる。 エンリケ航海王子の孫の孫のず〜と先のポー航海王子はポー君のことだよ。 やっぱ、ポー君は王子様だったんだね。 財宝がいっぱいで埋もれそうだよ。 それはいつの話かな? 今じゃ、ポルトガルは経済貧乏なんだよ。 そうなったのは、だれのせいかな? ポー航海王子がアホだからなんじゃない? え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆コーラと「ごまたら」とポー君☆☆ヴィゼウのカフェに入ったよ。トイレを借りるためでもあるけどね。 いつものビールとコーラをたのんだ。 コーラの缶がかわいかったけど、荷物になるからポイしたよ。 小腹がすいたら、「タラヒモ」だね。 ごまが入って少し豪華なタラヒモだよ。 日本人がゴム食べていると思われているかな。 タラヒモばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ヴィゼウのカテドラルとポー君☆リスボンのセッテ・リオス・バスターミナルから3時間から4時間。ポルトからRE社のバスで1時間45分。 コインブラからバスで1時間15分。 ポルトとコインブラの内陸部中間地点にあるのがヴィゼウである。 モンテゴ川支流のバヴィア川沿い、穏やかな丘陵地にブドウ畑が広がる。 ダオン Dao と呼ばれる有名なワインの産地、その中心がヴィゼウである。 16世紀にはヴィゼウ派を開いたふたりの画家がこの地に暮らした。 「偉大なヴァスコ」と呼ばれるヴァスコ・フェルナンデスと、その弟子のガスパー・ヴァスである。 ヴィゼウの人々はとても信仰心が強いといわれるが、今でも宗教的な雰囲気を色濃く残している。 街の中にラクガキがひとつもなく、街の美化に力をいれていることがよくわかる。 カテドラルは、13〜14世紀に完成したロマネスク様式の教会だが、正面は17世紀に建てなおされた。 正面のふたつの塔は、一方はロマネスク・ゴシック様式で、もう一方は17世紀に建てられたものである。 カテドラルの南の回廊は、16世紀のルネッサンス様式で、4つの壁を青いアズレージョ(装飾タイル)が飾っている。 ミゼリコルディア教会 Igrela da Misericordia は、18世紀の建造である。 広場を挟んでミゼリコルディア教会とカテドラルが向かい合い、宗教的な雰囲気に包まれている。 ロココ様式の正面ファザードは、白壁と灰色の花崗岩のコントラストが美しい。 教会内部は19世紀のネオ・クラシック様式である。 かつて教会にあった絵画や彫刻は、現在はグラン・ヴァスコ美術館に移されている。 カテドラルは、由緒ある教会の中の特別な教会なんだよ。 ポー君だって特別なワンコなんだよ。 なんたって、特別なアポーだからね。 えっ・・・ほめてないってか・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆アイスとポー君☆☆リスボンの国会議事堂近くで、路面電車を降りた。トイレを探したが、まわりにカフェすらない。 ジャカランダの並木道の先にマクドナルドの看板を見つけた。 並木道を通って、どんどん国会議事堂と反対方向に歩いて行く。 かなり歩いたのに、マクドナルドは見当たらない。 普通のカフェも見当たらない。 さらにどんどん歩いて行くと、アイス店を見つけた。 やっと、トイレに行くことができる。 アイスもとてもおいしかったよ。 アイスばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆アマリア・ロドリゲス記念館とポー君☆ポルトガルの首都リスボンは、大西洋に注ぐテージョ川の河口から約12km上流の右岸に位置している。 ヨーロッパ大陸最西端の首都である。 アマリア・ロドリゲスは、ポルトガル首都リスボンに生まれた。 両親はポルトガル中東部出身で、少女期は貧しい生活を余儀なくされた。 しかし将来の大歌手は幼少期からその片鱗を見せており、 良く歌を覚え歌うのも上手かったという。 やがて一家の家計を支えるため様々な仕事に就いたが、18歳の時に一流のナイトクラブ「ファドの家(Casa do Fado)」に出演し反響を呼んだ。 アマリア・ロドリゲスは「ファドの家」を登竜門に、当時ファディスタの活躍の場を「ファドの家」と 両極し担っていたミュージカルの分野でも成功を収め、ファド歌手として認められるようになった。 アマリア・ロドリゲスの魅力はファドの魅力といっても過言ではないだろう。 そのメリスマティックな歌唱はサウダーデ(Saudade)を表現し、 聴く者の情緒を刺激して離さない。 歌詞の持つ情感を音へと導くロドリゲスの歌唱は亡くなった今も生き続けている。 ベレン地区とバイロアルト地区の中間地点を北方面に行くと国会議事堂がある。 路面電車を国会議事堂前で下車する。 国会議事堂から10分ほど坂道を上がるとアマリア・ロドリゲス館がある。 アマリア・ロドリゲスの生家が博物館として公開されていた。 写真や衣装、お気に入りのアイテムなど見ることが出来る。 舞台衣装やステージの写真、彼女が愛した品物等が沢山並んでいる。 アマリア・ロドリゲス記念館に行こうと思った。 でも、閉館時間の18時を過ぎていたため、閉まっていた。 せっかく、坂道を歩いて行ったのに・・・ ポー君が早く歩かないからだよ。 ポー君は、バッグの中に入っているから歩かないよ。 じゃあ、なんで間に合わなかったかなあ・・・ さては、寄り道して、アイスを食べていたからだな。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆オープンカフェのサングリアとポー君☆☆オビドスのオープンカフェのテーブルの上に置いてあった。サングリアがフルーツとワインをミックスした飲み物である。 フルーツの甘さで、ワインがとても飲みやすくなる。 でも、こんなカンカン照りの中に置きっぱなしでいいのだろうか。 アルコールも抜けるし、ホコリやゴミも入るし・・・ なんて心配しなくても、大丈夫なんだけどね。 カフェに入らないんだからね。 ホテルから持ってきた麦茶で充分さ・・・ 欲しそうに見ているだけでもデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ポザーダ・カステロ・オビドスとポー君☆リスボンから、カンポ・グランテバスターミナルからバスで、1時間10分。カルダス・ダ・ライーニャに行く途中にある町である。 バスは、1時間に1本ほどあるのでとても便利である。 日帰りも可能なので気軽に行ける町である。 オビドスはは城壁に囲まれた人口800人ほどの小さな町。 「谷間の真珠」と呼ぶにふさわしい絵のような町で夏は色とりどりの花が彩る。 1282年にすっかり魅了された王妃イザベルにディニス王が村をプレゼントした。 ジョアン2世の王妃レオノール妃など、代々の王妃に受け継がれて行った。 「王妃の町」として知られるようになった。 以後1834年まで代々の王妃の直轄地となった。 今もなお中世のままの姿をとどめている。 おとぎの国のようにかわいい町で、観光地として人気の町である。 カステロがポザーダ(国営ホテル)になっている。 15世紀の城を改装したポザーダである。 もともと小さな城なので、客室はそれほど広くはないが、落ち着いた内装と、 アンティークの家具が居心地の良い空間を造り出している。 ポザ−ダの中でも特に人気が高い上に部屋数が少ないので 予約は早めにしたほうがいい。 国営ホテルって、豪華だね。 お城に泊まれるなんて、王様になった感じでいいなあ。 ポー王子様って呼ばれるかな。 えへえへ・・・ カッコいいなあ・・・ でもね、ポー君は、ばっちいから、 部屋の掃除の時にゴミと間違われてポイされるってか・・・ それとも、ネズミに持って行かれるかな。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) 洗濯してよ・・・
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☆☆カフェのムースケーキとポー君☆☆スペインとの国境の町アントニオの帰りにタヴィラに寄ってみた。ところが、土砂降りの雨が降り出した。 カフェで雨が通り過ぎるのを待っていた。 2時間待ったが、雨はやむ様子がなく、ファーロに帰ることにした。 カフェで頼んだケーキは想像以上にきれいに盛り付けがしてあった。 ポルトガルの庶民的なレストランやカフェのケーキは無残な姿が多い。 グダグダに切ったケーキが倒れて登場することがよくある。 味がよければ、盛り付けは関係ないという考えなのだろう。 このカフェは、生クリームまで添えられてきれいに盛り付けてあった。 もっと、食べたかったなあ。 ケーキばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆タヴィラのフェリー船とポー君☆リスボンから、ポルトガル航空で40分、オリエンテ駅からAPまたは、ICで3時間から3時間半、 バスでは、4時間程でファーロに到着する。 ファーロから普通電車で40分ほどでタヴィラに到着する。 タヴィラは、大西洋に注ぐジラオン川の河口にある町である。 スペインとの国境まで17kmである。 タヴィラの町の起源は、紀元前1000年から800年ごろの銅器時代にまで遡る。 紀元前8世紀には、フェニキア人の居住が確認されている。 タヴィラは、フェニキア人のイベリア半島西部における港町の1つとして機能していた。 フェニキア人は、城壁を備えた町を建設し、少なくとも、2つの神殿と2つの埠頭がタヴィラは備わっていたとされる。 紀元前6世紀になると、何らかの紛争によってタヴィラの町は破壊されてしまった。 タヴィラの名前の由来は、フェニキア人の神であるバアルからきている。 タヴィラは、8世紀から13世紀にかけて、ムーア人の支配を受けた。 ムーア人の時代は、タヴィラは、船員や漁師にとって重要な重要な港が再興され、アルガルヴェ地方における中心として急速な経済発展を遂げた。 1242年、ポルトガル王国の手にタヴィラが陥落した。 その後、タヴィラには、多くのキリスト教徒が移住することとなった。 タヴィラの町を縦断してるジラオン川は、大西洋に流れている。 ジラオン川を2km河口に海水浴が楽しめるタヴィラ島がある。 大西洋の入り口である河口まで、フェリーで行くことができる。 2ユーロという安さにひかれて乗ってみた。 河口の乗り場の長蛇の列をみて、降りずに帰ってきた。 降りていたら、今日中に帰ってこれないかもしれない。 ポー君は海の藻屑と消えるのかもしれない・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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★☆「ポルトガル&?の旅」ポー君の豆日記 ★☆ 〜もっと見たいよね〜 ★☆
☆「ちたろまん」ポー君の旅日記 ☆