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![]() ポー君は、ポルトガルのいろいろなところを見てきたよ。・・・すごいなあ・・・ ポー君は、旅の守り神なんだよ。エッヘン ・・・ほんとかな??・・・飛べないけどね・・・ |
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☆☆ビールとセブンナップとポー君☆☆ブラガのボン・ジェズスの帰りはバスに乗ったよ。雨が降ってきたから早めにブラガに戻ったんだよ。 バスから降りて、雨宿りにカフェに入ったんだ。 とりあえず、ビールを注文だよ。 セブンナップのような缶ジュースは缶のまま出てくるよ。 自分で、グラスに入れるのさ。 ビールでもジュースでも水でも値段はかわらないよ。 だったら、ビールだねえ。 ビールばっかり飲むとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ブラガのボン・ジェズス教会とポー君☆ポルトのサン・ベント駅から近郊列車で1時間程、バスでも1時間程でブラガに到着する。 本数が多いので日帰りで行きやすい場所である。 ブラガのリベルターデ通りのバス停からバスに乗ると、 20分ほどで、ボン・ジェズスに到着する。 ボン・ジェズスは、ブラガの郊外にあるキリスト教の巡礼地である。 海抜400mの丘の上に教会が建っており、頂上からは、 ジェーレス山脈、ソアージョ山脈、海岸線まで見渡せる。 バロック様式の美しい階段は、下が五感の階段、 上が三徳の階段と呼ばれている。 徳の階段にある泉は、信仰、希望、博愛を表している。 各階段ごとに泉があり、信仰深い人は、 祈りを唱えながらひざで階段を登るという。 最後の踊り場は、モーゼス広場と呼ばれ、ポルトガルの庭園建築のなかで 最も美しいもののひとつ、と称されている。 教会は、1784年から1811年にかけて建てられた新古典様式で、 ブラガが生んだ名建築家カルロス・アマランテの作である。 信仰深い人たちは、膝をついて祈りながら、階段を登るんだってね。 ポー君も長い階段を登ったのかなあ。 ポー君は、ビュ〜ンと飛んで頂上の教会までいったんだよ。 ほんとかな・・・?? インチキだね。 ウ〜ソ・ピョ〜ン・・・ケーブルカーに乗っていったんだよ。 それでもインチキだね。 ポー君はいつも、ラクチンなんだからな。 そんなんじゃ、だめじゃん〜〜〜 そのうち、忘れられておいて行かれるぞ・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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☆☆ポルトガルの和菓子?とポー君☆☆ファーロのスーパーマーケットでかわいいお菓子を見つけたよ。和菓子みたいに、きれいな色と形だよ。 見かけは、和菓子みたいだけど、材料はちがうだろうね。 もちろん、買って食べたのかい? それは・・・ もともと、こしあんはあまり好きでないし・・・ 砂糖の塊も甘すぎて好きでないし・・・ ポー君は芋のほうが好きなのさ。 芋ばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ファーロのジャカランダとポー君☆リスボンから、ポルトガル航空で40分、オリエンテ駅から特急列車APまたは、ICで3時間から3時間半、 バスでは、4時間程でファーロに到着する。 ファーロはポルトガルの南のアルガルヴェ地方の首都である。 1249年にアフォンソ3世によって再征服されたファーロの町は、 ポルトガルにおけるイスラム勢力終焉の地となった町である。 現在は、イギリスやドイツからの飛行機も発着し、 周辺リゾート地への玄関口としてにぎわっている。 ポルトガルでもっとも春の訪れが早いアルガルヴェ地方は、 1月には、満開になるアーモンドの花に覆われ、 あたりは雪景色のように白く染まる。 アプリコットの花が続き、新緑へと変わっていく。 6月には、ジャカランダの薄紫の花が満開となる。 ジャカランダは、ノウゼンカズラ科、キリモドキ属、半耐寒性常緑高木。 世界三大花木の一つであるジャカランダは「熱帯の桜」とも呼ばれている。 熱帯や亜熱帯の各地では街路樹としても広く利用されている。 キリの花に似ていることから「桐擬き(キリモドキ)」と読んで愛した花だ。 ハワイでは日系人が日本の桜を偲んで「ハワイ桜」や「紫の桜」とも呼んでいる。 若木のうちは観葉植物のエバーフレッシュに比べて繊細な印象である。 対生羽状複葉の明るい緑色の葉を付ける。 小葉は長楕円状ひし形で長さは1cm程度である。 2008年にポルトガルで初めてジャカランダの花を見たんだ。 満開のジャカランダはとてもきれいで、日本でも育ててみたくなったよ。 ネットで苗を購入し、鉢植えで5年で、かなり大きくなったよ。 それから地植えして5年で、やっと今年花が咲いたよ。 苦節10年かかった紫の花は少しだけど、感動ものさ。 これもポー君ががんばったからなのさ。 え〜〜〜?? 何をがんばったんだい? え〜〜と 「ガンバレ」って言った・・・ そんなんじゃ、だめじゃん〜〜〜 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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☆☆アメリカンチェリーとポー君☆☆シントラに行った帰りに、スーパーマーケットの前の露店で買ったんだ。以前にイチゴ1ユーロ買って山のようで食べられなかった。 かなり傷んでいたイチゴも入っていたからね。 ホテルには冷蔵庫がないので、1日で腐ってしまったんだ。 もったいないことしたなあ。 今度は、アメリカンチェリーにしたんだ。 1ユーロでこんなにあったよ。 いっぱい食べれてうれしいなあ。 果物ばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆シントラのレガレイラ宮殿とポー君☆リスボンのロシオ駅から列車で40分でシントラに到着する。通勤列車でもあるため、本数が多く列車も8両編成で長い。 リスボンから日帰りで行きやすい場所である。 カスカイスやロカ岬行きのバスもある。 リスボンから西へ約28kmにシントラの町がある。 王宮を中心として豪華な城館や貴族の別荘が点在する。 イギリスの詩人バイロンが「この世のエデン」とたたえた。 美しい景観は、1995年に世界遺産にも登録されている。 19世紀に王室一家の避暑地となってから急激な変化をつげて、有名なリゾート地となった。 ゴシック様式で施された王族の別邸のレガレイラ宮殿が古城のように建っている。 各様式の寄せ集めのペーナ宮殿も建っている。 標高500mの山頂からの展望は、大西洋まで見渡すことができる。 レガレイラ宮殿は、12世紀に建設された王族の別邸を利用して建設された。 20世紀前半に、イタリアの建築家ルイージ・マニーニによって改築された宮殿である。 シントラ中心部から、徒歩20分から30分ほどで到着する。 庭園には、深さ60mほどのらせん階段や洞窟が造られている。 随所に錬金術やテンプル騎士団のシンボルが施されている。 テンプル騎士団って、秘密結社みたいなんだって。 どこかに財宝が隠されているというウワサがあるんだよ。 ポー君は、テンプル騎士団のスパイで財宝の隠し場所を知っているんだよ。 え〜〜〜 そんなことあるわけないじゃん。 知っていたらとっくに大金持ちさ。 いつもいつも、同じ服なんて着てないよ。 へへへ〜〜〜 ばれたか〜〜〜 そんなんじゃ、だめじゃん〜〜〜 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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☆☆カメノテとポー君☆☆ラーゴスの常設市場の魚屋さんでカメノテがあった。カメノテって、亀の手でないよ。 石灰質の殻を持つ岩礁海岸の固着動物なんだよ。 ミョウガガイ科で濃厚な旨味を持つらしいよ。 変な形をしているんだねえ。 亀の手みたいだからカメノテになったのかな。 ポー君はまだ食べたことないよ。 どんな味なんだろうね。 ポー君は、フライドポテトで充分さ。 芋ばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ラーゴスの城壁の門とポー君☆リスボンのオリエンテ駅からAPまたはICに乗り、途中トゥネスでローカル列車に乗り換え4時間ほど、 セッテ・リオス・バスターミナルから、4時間程でラーゴスに到着する。 ファーロからローカル列車で1時間半ほどで着く。 ラーゴスは、今やもっとも気候に優れた滞在型リゾート地である。 周辺には、観光、スポーツ、イベント、おいしい料理など満載である。 ユーラシア大陸最西南端の町サグレスへ行く起点となる町でもある。 アルガルヴェ地方のかつての首都ラーゴスの歴史は古い。 紀元前から大西洋・地中海交易で栄え、文化の担い手がイスラム教徒に移った後も、ヨーロッパとアフリカの接点としての役割を果たしてきた。 1434年、アフリカのポジャトール岬に到達したジル・エアネスが船出した町である。 1755年に大地震はラーゴスにも大きな被害をもたらした。 復興が危ぶまれたが、今では国際的なリゾート地に成長した。 見事に南部の中心地として返り咲いた。 パンデイラ岬要塞は海を守るために17世紀に築かれた。 ナカニは、小さな博物館や土産店がある。 海に突き出るように建っておりラーゴスの海がよく見える。 パンデイラ岬要塞の向かいに城壁の門があった。 とても立派な城壁である。 ラーゴスの町は城壁に囲まれていた。 現在は、半分ほど残っている。 ポー君王様なら、すごい城壁を造ってお城を守るんだ。 どんな敵が押し寄せても大丈夫な造りにするよ。 ポー君王様小さくて見えないってか・・・ そんなんじゃ、だめじゃん〜〜〜 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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☆☆バカリャウ・ア・ゴメスとポー君☆☆バカリャウ・ア・ゴメス・デ・サ Bacalhau a gomes de Sa は、干しダラとタマネギを炒め、茹でたジャガイモとゆで卵を合わせたもの、 または、オーブンで焼いたものである。 セトゥーバルの下町のレストランに入った。 地元の人たちで賑わっていた。 バカリャウ(干しダラ)が食べたかったので、ガイド本の写真を見せた。 はたして通じたのか心配だったが、出てきた料理はとてもおいしかった。 さすが、地元の人たちで賑わうだけあると思った。 サラダも頼んで、満足だよ。 こんなに食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆サン・ジュリアン教会とポー君☆リスボンからバスで45分ほどで、セトゥーバルに到着する。セッテ・リオスバスターミナルやオリエンテバスターミナルも乗ることができる。 リスボン対岸のカシーリャスからもバスが出ている。 リスボンとアルガルヴェ地方に挟まれた一帯は、コスタ・アズール(青い海岸)と呼ばれる。 西にアラビダ山脈、南にトロイヤ半島を望んでいる。 モシュカテルというワインの産地としても知られている。 ポルトガルを代表する詩人ボカージュやオペラ歌手ルイザ・トディの生誕地でもある。 サン・ジュリアン教会は16世紀には現在の姿になったと言われている。 聖ジュリアンの生涯を描いた美しいアズレージョで内部が飾られている。 教会北側の扉はマヌエル様式である。 トロイア半島は夢のように美しいといわれている。 北側は新しい別荘地で趣がないが、南側が松の木のある海岸が延々と続いている。 エメラルドグリーンの海と白浜のコントラストが鮮やかな半島である。 セトゥーバルからフェリーで20分ほどで行ける。 今回は、雨だったので、トロイア半島に行かなかった。 晴れた日にまた、行ってみたいね。 きれいな海岸を歩いてみたいね。 サーフィンしている人もいるかもね。 ポー君は、サーフィンできたんだっけ? ポー君は、波にさらわれて、海の藻屑になるんだねえ。 そんなんじゃ、だめじゃん〜〜〜 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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☆☆マーケットのサラダとポー君☆☆ベレン地区から中心部に戻る途中に4月25日橋がある。そのたもとに工場の跡地が最先端スポットに変身した。 エルシュシュ・ファクトリーという。 日曜日にはサンデーマーケットが開催されるので賑わっている。 工場を改装したレストランに入ってみた。 店内は広々としていてデザインも今風であった。 遅いランチに炭焼きチキンとサラダを頼んだ。 オーガニック野菜風の葉っぱばかりのサラダであった。 サラダの上にコーンスナックのような丸いものがのっていた。 カリカリしていておいしかったよ。 こんなに食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ミニチュアのベレンの塔とポー君☆ポルトガルの首都リスボンは、大西洋に注ぐテージョ川の河口から約12km上流の右岸に位置している。ヨーロッパ大陸最西端の首都である。 リスボン中心部からテージョ川沿いに6kmほど西にあるのがベレン地区である。 15世紀初め、ヨーロッパ列強が争っていた時代に、ポルトガルが悠然と道の海へと乗り出した。 輝かしい大航海時代の幕開けである。 エンリケ航海王子は海洋国ポルトガルの創始者となった。 ベレン地区には、大航海時代を代表する歴史的建築物が残されており世界遺産に登録されている。 ベレンの塔は、マヌエル1世の命により1515年に着工した。 建築家フランシスコ・デ・アルーダが指揮を執り、1520年に完成した。 もとはテージョ川を行き交う船を監視し、河口を守る要塞として造られた。 後に船の通関手続きを行う税関や灯台としても使われた。 マヌエル様式の優雅なテラスを持つこの塔を、司馬遼太郎は、貴婦人がドレスの裾を広げた姿にたとえ「テージョ川の貴婦人」と表現している。 ベレンの塔の前の広場に小さなベレンの塔があった。 実際のベレンの塔とそっくりに造ってあった。 ポー君のために置いてあるのかなあ。 王様のポー君の家にしようかなあ。 でも、中に入る入り口がないよ。 中に入れなくてもテラスで寝るからいいかな。 そんなんじゃ、だめじゃん〜〜〜 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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☆☆モーニングとポー君☆☆ポルトでは、「ペニンスラール」に泊まることが多い。駅近くの経済的なホテルだからである。 駅に近いので、近郊の都市に行くときに便利である。 モーニングが宿泊代に含まれるので、朝食がビュッフェ方式である。 黄色の味付けのパンが好きなので、毎回このパンを食べる。 コーヒーはカフェオレにしてたっぷりと飲むことができる。 果物もあるのがうれしい。 いつもおかわりしてランチの分も食べるのである。 腹一杯で動きたくな〜い〜よ〜 こんなに食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ポルトのサン・ベント駅とポー君☆リスボンのサンタ・アポローニア駅、オリエンテ駅から特急列車で3時間ほどでポルトに着く。 セッテ・リオスバスターミナルからバスで 約3時間30分でポルトに着く。 飛行機では、55分である。 コインブラからはバスで約1時間である。 ポルトは、首都リスボンから北へ約300km、 ドウロ川北岸の丘陵地に築かれた起伏の多い町である。 人口約23万人、この国の商業の中心として栄えてきた。 1415年にエンリケ航海王子の指揮のもと、 ポルトを出港した船が北アフリカのセウタを攻略した。 ヨーロッパの他国にさきがけ、大航海時代の先陣をきることとなった。 ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイラには、ワインセラーが並び、 かつてワインを運んだ帆船がドウロ川に浮かんでいる。 ポルトには、鉄道駅がふたつある。 カンパニャン駅とサン・ベント駅である。 特急や急行列車が発着するのは、カンパニャン駅である。 市街地にあるサン・ベント駅は引き込み線なので、乗り換えが必要となる。 列車で5分ほどだが、はじめの頃、引き込み線を理解してなく失敗も多かった。 サン・ベント駅は、20世紀初め、修道院の跡地に建てられた。 ホールの壁を飾るアズレージョ(装飾タイル)は、 ジョルジュ・コラボが1980年に制作した。 ジョアン1世のポルト入城など、ポルトにまつわる歴史的な出来事が描かれている。 ポー君が王様になると、アズレージョに描かれるのかなあ? ポー君がポルトガルに上陸したときのアズレージョはあるのかなあ? 馬の下の黒いのがポー君なんじゃないかい? これは、ポー君?ゴミ?フン?単なる汚れ? そんなんじゃ、だめじゃん〜〜〜 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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☆☆ダブルアイスとポー君☆☆ポー君は、アイスが大好きである。アヴェイロでもアイスを食べたよ。 ダブルの2色のアイスを選べて、なんと1.5ユーロという安さであった。 普通は、シングルの1色で3ユーロ以上はする。 良心的なカフェであった。 アイスはどこで食べてもおいしいなあ。 こんなに食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆アヴェイロの運河とモリセイロのポー君☆ポルトからアヴェイロまで近郊列車で1時間程であるコインブラからアヴェイロまで列車で1時間程で到着する。 ポルトとコインブラの間にあるのがアヴェイロである。 ポルトからの列車の本数が多く、日帰りで行きやすい町といえる。 入り組んだリア(潟)が内陸に大きく食い込んでおり、自然の良港として繁栄してきた。 現在の主な産業は漁業と牧畜である。 新潟で取れる海草が埋立地の地味を肥やしたため、酪農が盛んになったという。 その肥料用の海草を集める船をモリセイロと呼ぶ。 弓のように反り返った軸先を持ち、船体は、極彩色の絵で美しく飾られている。 毎年、この船の絵のコンテストがあるという。 ホームが6つもある新アヴェイロ駅の隣に旧アヴェイロ駅がある。 アズレージョ(装飾タイル)が美しい駅舎である。 新しい駅ができても古い駅を残してくれているのはうれしい。 駅そのものが、博物館である。 駅舎の周りに金網で入れないようにしてあった。 修復工事をするのかもしれない。 町の真ん中を流れるのが、中央運河である。 中心に当たる橋の上からの眺めがいい。 運河に沿って並ぶ美しい家々が水面に映る。 その上に浮かぶ観光用のモリセイロを見ることができる。 アヴェイロはアヴェイロ川の河口に位置する水郷都市である。 夏のシーズン中は周辺の水路を巡るボートツアーも出ている。 ポー君は、ボートツアーをしたことあるのかい? え〜〜〜と、前回来たときに乗ったような気がする。 気がするだけなのかい。 覚えてないようじゃ、乗る意味がないよなあ。 ますます、ボケボケになってきたなあ。 そんなんじゃ、だめじゃん〜〜〜 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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☆☆干しタラのコロッケとポー君☆☆オビドスのレストランで干しタラのコロッケを頼んでみた。「パシュテイシュ・デ・バカリュウ」というポルトガルの名物なんだよ。 レストランでは前菜で出てくることが多いんだって。 テーブルにはじめからセットされている料理だよ。 オリーブ、チーズ、パンなどもおいてあるよ。 食べないときは「いらないよ」と言わないと料金がかかるよ。 バルの惣菜コーナーでも売られているよ。 単品で頼んだ方が揚げたてでおいしいよ。 こんなに食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆オビドスのサンタ・マリア教会とポー君☆リスボンのカンポ・グランテバスターミナルからバスで1時間10分。カルダス・ダ・ライーニャに行く途中にある町である。 バスは、1時間に1本ほどあるのでとても便利である。 日帰りも可能なので気軽に行ける町である。 オビドスはは城壁に囲まれた人口800人ほどの小さな町。 「谷間の真珠」と呼ぶにふさわしい絵のような町で夏は色とりどりの花が彩る。 1282年にすっかり魅了された王妃イザベルにディニス王が村をプレゼントした。 ジョアン2世の王妃レオノール妃など、代々の王妃に受け継がれて行った。 「王妃の町」として知られるようになった。 以後1834年まで代々の王妃の直轄地となった。 今もなお中世のままの姿をとどめている。 おとぎの国のようにかわいい町で、観光地として人気の町である。 1444年に10歳のアフォンソ5世が、わずか8歳のいとこイザベルと結婚式を挙げた教会である。 内側の壁は、全面が17世紀の美しいアズレージョ(装飾タイル)で覆われている。 内陣にある石棺はルネッサンスを代表する彫刻家ニコラ・シャントレーヌによるものである。 オビドス市長だったジョアン・デ・ノローニャと妻のイザベラ・デ・ソウザが眠っている。 10歳と8歳で結婚したんだってね。 小学生なのにすごいねえ。 ポー君は何歳なんだっけ? えっと・・・ ポー君は天使だから永遠さ・・・ 永遠にアポーのままっていうことなのかい? そんなんじゃ、だめじゃん〜〜〜 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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☆☆キヨスクアイスとポー君☆☆タヴィラの城壁の横にレストランがあった。高そうなレストランだったので、食事には入らない店である。 トイレを借りるためにレストランカフェに入った。 メニューの飲み物は高いので、どこにでもおいてあるアイスにする。 キヨスクやカフェの横の看板に出ている安いアイスである。 売店の意味のキヨスクはポルトガルでもキヨスクという。 駅に限らず、町のいたるところにある小さい店である。 キヨスクアイスでもおいしいよ。 こんなに食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆タヴィラの城跡とポー君☆リスボンから、ポルトガル航空で40分、オリエンテ駅からAPまたは、ICで3時間から3時間半、 バスでは、4時間程でファーロに到着する。 ファーロから普通電車で40分ほどでタヴィラに到着する。 タヴィラは、大西洋に注ぐジラオン川の河口にある町である。 スペインとの国境まで17kmである。 タヴィラの町の起源は、紀元前1000年から800年ごろの銅器時代にまで遡る。 紀元前8世紀には、フェニキア人の居住が確認されている。 タヴィラは、フェニキア人のイベリア半島西部における港町の1つとして機能していた。 フェニキア人は、城壁を備えた町を建設し、少なくとも、2つの神殿と2つの埠頭がタヴィラは備わっていたとされる。 紀元前6世紀になると、何らかの紛争によってタヴィラの町は破壊されてしまった。 タヴィラの名前の由来は、フェニキア人の神であるバアルからきている。 タヴィラは、8世紀から13世紀にかけて、ムーア人の支配を受けた。 ムーア人の時代は、タヴィラは、船員や漁師にとって重要な重要な港が再興され、アルガルヴェ地方における中心として急速な経済発展を遂げた。 1242年、ポルトガル王国の手にタヴィラが陥落した。 その後、タヴィラには、多くのキリスト教徒が移住することとなった。 タヴィラの城はムーア人によって築かれた。 レコンキスタ後の13世紀にディニス1世によって再建された。 現在は外壁や塔など1部が残っているだけである。 城壁の中は花が咲く庭園になっている。 ポー君は城壁まで登ってきたよ。 丘の上に建っているので、登り坂はたいへんだよ。 まあ、ポー君は、バッグの中に入っているからラクチンだけどね。 ポー君も王様になってお城がほしいなあ。 ポー君はワンコだから犬小屋で十分さ。 そんなんじゃ、だめじゃん〜〜〜 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一)
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★☆「ポルトガル&?の旅」ポー君の豆日記 ★☆ 〜もっと見たいよね〜 ★☆
☆「ちたろまん」ポー君の旅日記 ☆