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![]() ポー君は、ポルトガルのいろいろなところを見てきたよ。・・・すごいなあ・・・ ポー君は、旅の守り神なんだよ。エッヘン ・・・ほんとかな??・・・飛べないけどね・・・ |
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☆☆ニワトリの丸焼きとポー君☆☆バルセロスの帰りにポルトの串焼き店に行ってみた。牛の串焼きが目玉であるが、鶏肉もあった。 チキンの丸焼きもおいしいらしい。 丸ごとでなく、半分でも注文ができる。 半分でもかなりの大きさである。 チキンばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆バルセロスのガロとポー君☆ポルトのサン・ベント駅からブラガ行き近郊列車で1時間程、途中ニーネで乗り換えバルセロスに到着する。 スペインのビーゴ行きの列車もあるが本数が少ない。 ポルトとヴィアナ・ド・カステロの間に位置している。 この町を有名にしたのは、ポルトガルのマスコットである雄鶏に まつわる伝説である。 真実をつげるために調理されたチキンが生き返るという話である。 (詳しい話は、バロセロス2を見てくださいね) 毎週木曜日には、レプブリカ広場で大規模な露天市場が開催される。 広大な広場に露店がぎっしりと並び、普段は静かな町が一変する。 野菜や果物などの食料品から、洋服、日用雑貨、陶器、 大きなものは家具まである。 まるで、移動デパートのようである。 市庁舎の南のカヴァド川を見下ろす高台には、廃墟のようになった 15世紀建造の初代ブラガンサ侯爵邸が残っている。 現在は、考古学博物館 Museu Arqueologico になっており、 雄鶏伝説にまつわる石の十字架が置かれている。 バルセロスのトリズモ(案内所)に、地図をもらいに行く。 大きな陶器のガロ(ニワトリ)がいくつもあった。 ハートの柄がかわいいよね。 陶器のガロは手作りなので、デザインはひとつずつ違っている。 ポー君も陶器で作ると大きいのができるのかな。 ブタの陶器と間違われるかもな。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆ローマ時代のおもちゃとポー君☆☆ブラガに行ったら、ローマ時代祭りを開催していた。開催を知らないで訪れたのになんてラッキーなんでしょう。 ローマ時代の服装をしてイベントが開催される。 売り手も買い手もローマ時代の服を着ている。 露天市場でもローマで使われていたであろう物が売っていた。 木でできたオモチャは素朴でおもしろい。 木で作られた剣や盾も売っており、男の子に人気である。 その場で、名前を入れてくれるサービスもしていた。 ポー君はオモチャよりお菓子のほうがいいかな。 お菓子ばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ブラガのローマ時代祭りとポー君☆ポルトのサン・ベント駅から近郊列車で1時間程、バスでも1時間程でブラガに到着する。 本数が多いので日帰りで行きやすい場所である。 「リスボンは楽しみ、コインブラは学び、ポルトは働き、そしてブラガは祈りの町である」という言葉からも明らかなように、 ブラガは、ポルトガルにおいて、信仰面で重要な役割を果たしてきている。 ブラガを中心とするミーニョ地方は、先史時代より人々が居住していた痕跡があるが、鉄器時代には、Bracari人と呼ばれる人々が住んでいた。 彼らは、現在のガリシア地方やポルトガル北部に居住していたとされる。 紀元前136年に古代ローマによるイベリア半島の征服が始まり、アウグストゥスの時代(紀元前20年ごろ)には、ローマ帝国の行政の必要上から、 ブラカラ・アウグスタ(Bracara Augusta)が建設された。 1世紀の間に、ブラカラ・アウグスタは、急激な発展を遂げた。 ローマ時代の最盛期は、2世紀に迎えた。 3世紀に入るころになるとディオクレティアヌスは、再編された属州ガラエキアの首都をこの地に置いた。 民族移動時代になると、ローマ帝国の影響が徐々に弱まっていき、ブラカラ・アウグスタを含む現在の北部ポルトガルとガリシア地方は、 中欧から移動してきたスエビ族の勢力範囲となった。 ブラガで、ローマ中世時代祭りが開催されていた。 ローマ時代の服装をした人たちがいろいろなイベントを開催している。 幼稚園の子供たちがステージで劇をしていた。みんなが楽しみにしている。 音楽のグループもおそろいの服装で演奏しながら、町の中をまわっていた。 みんな中世時代の服装のお祭りなんだってね。 ポー君も中世時代になろうかなあ。 ポー君はこの服しかないから、もともとローマの服みたいだね。 帽子がサンタだから、ローマ時代のサンタ犬かな。 あんまり役に立ちそうにないなあ。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆バカリュウ・ア・ブラスとポー君☆☆ヴィア・レアル・デ・サント・アントニオのサントニオ教会の前の広場のレストランに入った。ポルトガルに行ったら、なるべくポルトガルらしい料理を食べたいと思っている。 特にバカリュウ(干しタラ)の料理を選ぼうと思っている。 バカヤロウというとバカリュウに聞こえるらしい。 名前は有名であるが、バカリュウ料理は意外と高いことが多い。 ランチタイムの少し安くなった時がねらい目である。 バカリュウ・ア・ブラスは、干しタラと玉ねぎを炒め、千切りのフライドポテトを合わせ、卵でとじた素朴な味である。 庶民的な感じの家庭料理という点が好きで、ポルトガルに行くと毎回食べている。 店によって味が違うので、食べ比べてもいいと思った。 バカリュウばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆アントニオのアントニオ教会とポー君☆リスボンのオリエンテ駅から特急列車のAPまたはICで、3時間から3時間半でファーロに到着する。ファーロで普通電車に乗り換えて1時間程でヴィア・レアル・デ・サント・アントニオに着く。 アントニオがローカル列車の終着駅である。 ファーロからバスで1時間40分ほどでアントニオに着く。 スペインのアヤモンテまでフェリーで10分で着く。 アルガルヴェ地方の最南東端に位置する。 グアディアーナ川を挟んだ対岸は、スペインのアヤモンテである。 グアディアーナ川はここで、大西洋への河口をなしている。 アントニオ市は、3つの区に分かれている。 この都市は以前より、スペインとの交易で栄えてきた。 1991年にグアディアーナ川上流にスペインへ渡る橋が出来たために、 この都市を中継する必要が無くなった。 その結果、アントニオ市における交易高は激減した。 アントニオ駅前からまっすぐに南に歩いていくとメイン通りと交差する道に出る。 店やオープンカフェが出ているのですくにわかる。 アントニオの町はきちんと碁盤目に区切られている。 マルケス・ボンパル広場では、大勢の人たちがくつろいでいる。 中心の向かってストライブの放射線状の模様の石畳が印象的である。 スペインとの国境の町なんだってね。 フェリーで10分だから、すぐなんだね。 上流に橋もあるから車でも行けるよ。 ポー君は飛べるから、スペインまでひとっ飛びだね。 いつから飛べるようになったのかなあ。 それはね・・・今、練習中さ・・・どんな?? ポー君にできるかなあ・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆タコのカルパッチョ風とポー君☆☆ポルトで、店頭で牛串焼きを売っているレストランに入った。レストランでは、頼んでいないのに、オリーブやチーズやパンなどが出てくる。 これは、サービスでなく、料金を請求されるので注意である。 食べないときは、ノーと言って下げてもらう。 このレストランではタコのカルパッチョらしきものがあった。 タコがおいしそうだったので、食べてみることにした。 オリーブオイルにつけてあるだけの感じで味はいまいちであった。 見た目はおいしそうだったのにな。 しみじみ、日本のタコの取り扱いは丁寧だと思う。 オリーブオイルタコばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ポルトの路面電車とポー君☆ドウロ川河口に位置するポルトガル第2の都市ポルトは、リスボンから北へ約300km、列車やバスで3時間半ほどの距離である。 ドウロ川北側の丘陵地に築かれた、起伏の多い街である。 人口約23万人、この国の商業の中心として栄えてきた。 14世紀から15世紀にかけての大航海時代、ポルトで生産された船団は、 ポルトガルの海軍の発展に大いなる貢献をした。 1415年に、ジョアン1世の子供であるエンリケ航海王子は、 ポルトを出発し、モロッコの地中海に面する港町セウタを攻撃した。 エンリケ航海王子によるセウタ攻略がそれ以後のポルトガルの海外への 雄飛への出発点であった。 ポルトには、列車、長距離バス、近郊バス、メトロ(ライトレール6路線)をはじめとして、路面電車(3路線)、 ケーブルカー、ロープウェイ、観光用バス、観光用列車型バス、ドウロ川クルーズなど、各種の乗り物があり楽しい。 1日乗車券の使える乗り物など、リスボンと違うことが多いので気を付けたい。 ポルトは路面電車が乗り放題にならなくて、少しガッカリだった。 ポルトの路面電車が2014年に2路線から3路線に増えていた。 中心街を走る新しい22番の路線に乗ってみた。 カルモ教会の前に2台の路面電車が並ぶのは、30分に1回である。 路面電車の運転手は、女性が増えてきた。 ポー君も路面電車の運転手になれるかなあ。 線路の上を走るだけだから、簡単そうだね。 パンタグラフの方向をかえるのはたいへんだよ。 ポー君にできるかなあ・・・ え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆レシデンシャルのモーニングとポー君☆☆グアルダがポルトガルで最も高い標高1056mの山間の町である。地球の歩き方のガイド本に載っていない町に行ってみた。 近郊の歴史的な町にも寄りたかったので、ここで2泊した。 ミゼリコルディア教会のすぐ横のレシデンシャルフィリベで泊まった。 町の中心にあるのにお値打ちなホテルだった。 モーニングには期待はしていないが、これだけあれば充分である。 朝、しっかりと食べることが元気の源である。 ジャムいっぱいのパンばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆グアルダの大聖堂とポー君☆リスボンからセッテ・リオス・バスターミナルからバスで3時間ほどで、カステロ・ブランコに到着する。 カステロ・ブランコからバスで1時間程でグアルダに到着する。 列車は、グアルダまで通じているのかが確認できなかった。 ポルトガルで最も高い標高1056mの山間の町がグアルダである。 ひなびてはいるが、訪れる人を魅了する町である。 新鮮で健康的な山の空気が流れる中世の街並みは、 御影石のやや黒ずんだ色合いによって高貴さを漂わせている。 スペインとの国境からわずか37kmしか離れていない。 北東のマロファ山地と南西のエストレラ山脈に挟まれたグアルダの町を 国王サンショ1世が創設したのは1199年である。 スペインとの国境を「守る(町の名の由来)」ために設けられた 辺境の町ゆえに城壁をはじめ、堅固な防備形勢が求められた。 グアルダの空気は欧州生気候連盟によってその純度の高さを絶賛された。 空気の質にプラスの影響を与えているのが近郊のエストレーラ山脈である。 山脈の最高地点は標高1993mで、車で行くのはもちろん、 自然公園のハイキングコースをたどって、到達することもできる。 こじんまりした町の中心部には、巨大な大聖堂がそびえる。 建設が始まったのは、1390年である。 完成までおよそ150年を費やした。 大聖堂は、とても大きくてかっこいいね。 ポー君も、こんなに大きくなれるかなあ。 え〜〜〜〜 ポー君って大きくなるのかな。 ぜんぜん変わってないみたいだけどね。 デブッチョなところもね〜〜 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆どの町にもある中華店とポー君☆☆ヴィアナ・ド・カステロは、雨だった。ランチを食べる店を探すのもたいへんである。 中華店を見つけたので、入ることにした。 小さな村をのぞいて、ほとんどの町には中華店がある。 味の想像が付くため、失敗がないのでたまに入る。 ランチの時間なのに、お客さんはゼロだった。 雨のせいなのかは、わからない。 ジャスミン茶を頼むとポットで出てくるので、お得感がある。 中華料理の量は、ポルトガル料理よりかなり少ない。 残したくないので、これくらいがいいかも。 中華ばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆ヴィアナ・ド・カステロの教会とポー君☆ヴィアナ・ド・カステロは、ポルトの北約70kmに位置している。ポルトのサン・ベント駅、またはカンパニャン駅から1時間半から2時間で到着する。 直通で行けるスペインまで行く便もあるが、1日2本とかで本数が少ない。 近郊列車のブラガ行きに乗り、途中ニーネ駅で乗り換える方法もある。 どちらにしても本数が少ないので、時刻表の確認が必須である。 ドウロ川流域とスペイン国境を流れるミーニョ川に挟まれた地域はミーニョ地方と呼ばれる。 雨が多く、緑豊かな農業地帯でヴィーニョ・ヴェルデ(緑のワイン)の産地としても知られている。 ヴィアナ・ド・カステロは、このミーニョ地方の中心である。 リマ川の河口に開けた別名「リマの女王」と呼ばれている。 1253年に、アフォンソ3世が町を建設したことに歴史が始まる。 16世紀には、ヴィアナ・ド・カステロの港は重要性を増した。 ここを母港に大航海に乗り出す航海者が多かったことを意味する。 毎年8月にはロマリア祭(嘆きの聖母巡礼祭)が行われ、民族衣装で着飾った人々が町にあふれる。 金曜日に露店市場が開かれているらしいので、出かけることにした。 ほんとうは、バルセロスの木曜日の露店市場に行きたかったが、日程の都合で間に合わなかった。 ポルトのサンベント駅を出るときから雨模様の1日であった。 駅に着くと、雨が土砂降りになり、町の散策や、サンタルジア山にあるサンタルジア教会まで行く予定を変更しなければならなかった。 雨のせいなのか、日程を間違えたのか、露店市場は開催していなかった。 雨が降ると、カメラが濡れて壊れると困るので、写真は撮らない。 せっかく、2時間もかけて来たのに残念なことである。 ポー君もほとんど出番がない。 ポー君も雨には弱いんだよ。 濡れたら、ドブネズミのようになってしまうからね。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆ヨーグルトとポー君☆☆リスボンのホテルで宿泊するとモーニングが付いてくる。モーニングなしで宿泊代が安い場合もあるが、 外のカフェで食べる手間を考えると やはりモーニング付きのプランが便利なので選ぶようにしている。 安宿なのでモーニングといってもとても質素である。 パンとコーヒーとチーズとハムくらい。 果物やヨーグルトが付けば、ラッキーといえる。 フルーツヨーグルトかなと思うと白いヨーグルトであった。 かすかにフルーツの味がするかも。 日本のように果肉が入っていたりはしない。 贅沢を言ってはいけないのである。 モーニングばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆リスボンのメトロとポー君☆ポルトガルの首都リスボンは、大西洋に注ぐテージョ川の河口から約12km上流の右岸に位置している。 ヨーロッパ大陸最西端の首都である。 地下鉄やバスのほか、リスボン名物の市電、 坂の多い街ならではのケーブルカーが市民の重要な足となっている。 これらの交通機関は乗車時に現金で支払うと割高になる。 乗り放題券やプリペイドカードを使った方が得である。 地下鉄 Metropolitano は、略してメトロ Metro と呼ぶ。 路線はアズール(青)、アマレーラ(黄色)、ヴェルデ(緑)、 ヴェルメーリャ(赤)の4つである。 それほど複雑でないので旅行者にも利用しやすい。 地下鉄の入り口は赤いMのマークが目印である。 長い階段を降りると有人の切符売り場と自動販売機がある。 自動販売機はポルトガル語と英語を選ぶことができる。 チャージするカードの有効期限が1年である。 ポルトガルを訪れるごとに、毎回新しく購入することになる。 わからないときは、近くにいる人に聞けば、ほとんど親切に教えてくれる。 アズレージョ(装飾タイルアート)が盛んなポルトガルは、 リスボンメトロの各駅での趣の異なるカラフルなアートが多数みられる。 そのなかでも、オライアス駅では最も美しい地下鉄駅のひとつに選ばれている。 建築家トマス・タベイラによる設計と、ポルトガルの芸術家グループによる インスターレーションのコラボが壮観である。 壁面を覆う幾何学的なタイルや金属仕様の支柱、鮮やかなステンドグラスなど、 万華鏡を覗いたような遊び心のある地下空間が広がる。 リスボンのメトロはきれいなんだね。 駅ごとにアズレージョの柄が違うので、見るだけでも楽しいね。 ポー君のアズレージョもあるといいのにね。 みんなにポー君だってわかるかなあ。 ブタさんに間違われるかもね。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆ポップコーンとポー君☆☆世界遺産のシントラの町を歩いていた。王宮の前の広場にポップコーンの移動販売車が出ていた。 ひょうきんなおじさんが売っていた。 あんまり売れていないみたいだったので、買ってみた。 袋にいっぱい入って1ユーロだよ。 帰りの列車の中で食べようかな。 甘いポップコーンばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆シントラのペーナ宮殿とポー君☆リスボンのロシオ駅から列車で40分でシントラに到着する。通勤列車でもあるため、本数が多く列車も8両編成で長い。 リスボンから日帰りで行きやすい場所である。 カスカイスやロカ岬行きのバスもある。 リスボンから西へ約28kmにシントラの町がある。 王宮を中心として豪華な城館や貴族の別荘が点在する。 イギリスの詩人バイロンが「この世のエデン」とたたえた。 美しい景観は、1995年に世界遺産にも登録されている。 19世紀に王室一家の避暑地となってから急激な変化をつげて、有名なリゾート地となった。 ゴシック様式で施された王族の別邸のレガレイラ宮殿が古城のように建っている。 各様式の寄せ集めのペーナ宮殿も建っている。 標高500mの山頂からの展望は、大西洋まで見渡すことができる。 ペーナ宮殿は、標高529mの山頂に建っている。 ドイツから建築家を呼び寄せ、1885年に完成した。 イスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルなど各様式の寄せ集めの建物である。 それもまた奇妙な魅力を生んでいる。 1908年に暗殺されたカルロス1世とその王妃アメリアは、ほとんどの時間をこの宮殿で過ごしたという。 宮殿の壁には、変わった彫刻が多い。 大航海時代ということもあり、海に関する彫刻が多い。 大きな貝の中から、悪魔がでてきたような彫刻もある。 ポー君も海の王様になってすごい彫刻になるんだよ。 ポー君大魔王になるのかな。 え〜〜〜 悪魔でなく、正義の味方なんだよ。 ポー君スーパーマンだよ。 いえいえ、ポー君アポーマンの間違いでしょ。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆カフェのコカコーラとポー君☆☆カステロブランコのカフェでコカコーラを頼んだ。コカコーラを頼むと、コカコーラでないメーカーが出てくることが多い。 ここでは、珍しくコカコーラの缶であった。 自分でグラスに入れて飲むのである。 ビールより高いコーラであった。 ビールの方が安いことはわかっていてもビールは嫌いである。 ポー君は小さいからね??? 甘いコーラばっかり飲むとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆カステロブランコの石畳とポー君☆リスボンのサンタ・アポローニア駅から列車で2時間40分、セッテ・リオスバスターミナルからバスで3時間程で着く。 コインブラ、エヴォラ、ポルトからもバスが出ている。 モンサントに行く時の起点となる町である。 カステロ・ブランコ市は人口約3万人の教区1つから成っている。 基礎自治体としては25の教区があり、約55000人の人口を持つ。 ポルトガルでも面積の広い基礎自治体の一つである。 カステロブランコはベイラ・バイシャ地方の首都である。 スペイン国境から20kmほどの所に位置する町である。 何世紀にもわたって他国の侵入・占領を受けてきた。 特に1807年のナポレオン軍による攻撃では町は激しく破壊されて しまったため、歴史的なモニュメントはあまり残っていない。 歴代国王の像が置かれている宮殿庭園は旧司教館付属の庭園である。 宮殿庭園(アンティゴ・バッソ・エピスコパル Antigo Paco Episcopal)、 または(Jardim do Paco)。 ポルトガルで最も美しい庭園のひとつといわれている。 18世紀のバロック様式でアズレージョの階段がある。 幾何学模様の植木の間に彫像が置かれている。 町の路地によって、石畳の模様はいろいろである。 石畳だけ見て歩いても、飽きることがない。 幾何学模様の石畳は、測ったように正確である。 その中に手作り風のワザと曲がった石畳が造ってあった。 これは、線路なのか、路地なのか、川なのか。 遊び心がおもしろい。 ポー君の石畳もあるといいね。 ポー君デザインは斬新で、どうみてもブタさんにしか見えないって。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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☆☆モンサントの朝食のカステラとポー君☆☆モンサントで泊まったペンサオンは、小さいけど温かみのあるホテルだった。満室でも5組ほどしか泊まれない小さなホテルである。 多少、部屋代は高かったが、このホテルにしてよかった。 テラスからは朝日も夕日も見える絶好の立地であった。 モーニングは時間を指定された。 よくあるセルフのモーニングでなく、手作りの朝食が出てきた。 作りたてのスクランブルエッグや暖かいパンと珈琲。 オレンジジュースは生搾りである。 朝から、こんな贅沢な食事ができるなんてラッキーであった。 デザートのカステラもあり、食べきれずおやつに持ち帰ったよ。 甘いおやつばっかり食べるとデブになるぞ・・・ そんな〜〜〜・・・(>m<) うぷぷ
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☆モンサントの岩の家とポー君☆リスボンから、バスで3時間でカステロブランコに到着する。そこから、バスで1時間半ほどでモンサントに到着する。 ただし、モンサント行きバスは、1日に1本か2本しかない。 タクシーを使うと60ユーロくらいである。 モンサントは、ポルトガルの東部、スペインとの国境付近の エストレラ山脈の東にある小さな村である。 モンサントはポルトガルで最もポルトガルらしい村といわれている。 標高約758mに位置するモンサントの村。 モンサントには村のいたるところにごつごつした大きな岩がある。 なかには、200トンの重さをもつ岩もあるそうだ。 この特異な地形から昔は聖なる場所として崇められていた。 ここに住む人々はこの大きな石を利用して家を建てている。 この石は、地中のマグマが雨で冷やされ固まったものが、 後に地上に表れたものだ。 山の上にある集落は、中世の城砦の高い塔が目印となって 遠方からでも一目で分かる事から、敵から身を守る戦略地として 大きな役目を果たしたようだ。 屋根の上にも岩が乗っているね。つぶれないのかなあ。 正確には、上に乗っているのでなく、岩の周りに家を造っているんだって。 岩と岩の間に家を造っているんだよ。 家の壁が岩なんだって。すごいなあ。 岩で、ポー君の家も作れるのかなあ。 ポー君は、岩につぶされてペッチャンコかもね。 え〜〜 そんな〜〜〜(;一_一) ・・・
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★☆「ポルトガル&?の旅」ポー君の豆日記 ★☆ 〜もっと見たいよね〜 ★☆
☆「ちたろまん」ポー君の旅日記 ☆